7cm left
その後のことはあまり覚えていない――などと言うと、あたかもそれが夢だったかのような印象を与えるかもしれないが、そうではなく。
私は夢と現実の狭間を浮遊していた、ような気がする。
そこには、白い猫が一匹目の前にいて。
赤い猫が一匹、目の前にいて。
青い猫が一匹、目の前にいた。
そして、私は黒猫の姿だった。
そんな異様な光景を目の当たりにしても、私の心中は平穏平然としていた。
何がどうなっている、わけがわからない、そう混乱することはなかった。
むしろ、私を含めた猫が四匹集合している意味を理解していた――そして、どこか安堵していたのだろう。
「それでは、現在が歪んだ後でまた会おう」
「それでは、過去が狂った後でまた会おう」
「それでは、未来が壊れた後でまた会おう」
三匹の猫は言った。
私は。
私は――
「それでは、未来が変わるならもう会えないだろう」
と言ってやった。
三匹の猫が吐いた意味不明な言語を聞いて、私は自覚したのだった――あぁ、これもまた私の一面だ。
私の腹黒い内面を表した、猫の姿を模した私自身なのだと認識した。
皆が笑える世界を望む反面、こんな世界など壊れてしまえばいいと願う私が切り離された猫なのだ。
言うなれば、私の『悪』が切り離されて、自律したような存在。
世界の理不尽と不条理を嘆く弱い私、それがきっと、あの三匹なのだろう。
「私は、笑えるのだろうか」
呟きながら、私の意識は薄暗い深層へと沈んでいった。
◆
その後のことはよく覚えている――と言うのも、目を覚ました場所は見覚えのない一室だった。
生活感に溢れた、およそ男子高校生だと推測できる部屋で目を覚ましたのだった。
散らばった教材、脱ぎっぱなしの寝間着、皺くちゃのシーツ。
唐突に視界を襲ったその有り得ない光景に、有り得ないことを体験した私ではあったがさすがに驚きの色は隠せない。
呆然、である。
開いた口が塞がらない、である。
しかし、やはり私は簡単な絵解きをするように自問自答するまでもなく理解できたことがある。
私の存在意義が一体何なのか、問うまでもなく、私は解答を持ち合わせている。
あの三匹の猫――あの色猫は私の『黒い部分』だ。
私が望む裏側に隠れた欲望と侮蔑が生んだ存在だ。
ならば、私の存在は、存在こそは――
「私はやっぱり、笑える世界を望みたい」
そう、心から思う。
その後に待ち受ける私と彼とその友人たちの一夏の物語はここで語るまでもないだろう。
私は失敗した。
私も、彼の友人も失敗した。
過ちを犯してしまった。
私のせいで彼らだけでなく、無関係の周囲の人々までも巻き込む羽目になってしまった。
私には償うべき罪がある――それはすでに無かったことになってしまっているけれど。
けれど。
彼は成功した。
狂っていく世界に抗い、模索し、成功した。
世界を取り戻すために、未来を取り戻すために、彼は躍起になって果たしたのだ。
私はそれを傍観ならぬ静観しているだけだったけれど、それでも彼は私の願いを叶え、さらには崩壊した世界を修復までやってのけた。
親愛なる友人との関係が崩れ、そして友人との関係性を消失することになっても、彼は明るい未来を選択した。
今まで育んできた友情がなかったことになったとしても。
今まで継続させてきた友情がなくなったとしても。
彼は私の願いを選んでくれた。
それがどれほど嬉しかったことか、はたまた、どれほど罪悪感に駆られたものか――だから私はこうして自分の罪を再確認するために、ぶつぶつと独り言のように語っているのかもしれない。
或いは、手日記に綴るように、反省文を書くように語っているのかもしれない。
私は彼によって救われた。
そう言っても過言ではない。
まったく、事の発端は私の我が儘な願いだと言うのに。
しかし、私の『悪』が世界を狂わせた事実など、今となっては誰も覚えていないし、誰も認識していない。
いや、一人だけいるか――彼だけが私の罪を知っている。
私の罪を裁けるとすれば、それは彼だけなのだから。
罪を償うのであれば、それは彼に向けて贖罪するべきだろう。
私を襲ったあの事故から果たしてどれほど経っただろうか。
その中で、私は何を学んだだろうか。
彼と友人を巻き込んだあの物語から果たしてどれほど経っただろうか。
その中で、私はたくさんのことを学ぶことができただろう。
黒い腹を抱えた私は、あの事故から教訓や人生観や価値観など、何も学ぶことができなかった。
いや、何も学ぼうとしなかった。
世界に責任転嫁して、理不尽を嘆いて、不条理に喚くだけだった。
ほんと、子供だと思う。
子供より子供だと思う。
だから、一向に成長を見せない大人振った子供のままの私は、弱者の我が儘に過ぎない願いを抱いてしまった。
夢を、見てしまった。
希望を抱いた。
それが悪いことだと言っているのではない、私は我が儘な願望を所持して尚、自らの手でそれを果たそうとしなかった。
傍観して静観して、あたかも無関係であるかのような曖昧で中途半端な素振りまでして、彼は混乱しただろう、困惑したことだろう。
それなのに、私は手を差し伸べることはなかったのだ、最後の最後まで。
最後の最後に、ようやく私は自分の我が儘を口にしたが、しかし、もし弁明の余地があるとするなら私は小声で主張しようと思う。
私も少なからず後ろめたさを抱えていたのだ、と。
私の『腹黒い部分』の色猫が身勝手に世界を壊していく中で、そんなことを口にする勇気など私にはなかったのである。
それもまた、私の破綻した人格のせいだと言われれば反論する余地はないのだけれど。
どんでもないことをした、と私はまた後悔している。
あの事故から何一つとして学んでいない、と私はまた自虐している。
私の我が儘が彼を苦しめた、と私は罪を感じている。
私が――
私のせいで――
そんな私が、みんなが笑える世界など本当に望んでよかったのだろうか――
結果を見れば、それはよかったことなのかもしれない。
世界は救われたし、何より、私自身も救われた。
しかし、彼は救われたのだろうか。
彼自身は救われたのだろうか。
取り巻く環境や関係性を全て台無しにされた彼のことを、どう穿った目で見たところで、果たして救われたと言えるのだろうか。
私は罪を認めている。
だからこそ、私は彼に向けて贖罪しようと思う。
罪と罰と後悔と自虐に塗れた私は、この物語の一番の被害者でもあるところの彼に、罪を償おうと思う。
だから。
だから私は――
今、自由の利く足を進めて、彼に会いに行こうと思う。




