6cm left
その夜はなんだか寝付けなかった。
それは別に黒猫のあんな姿を見てしまったからというわけではないのかもしれないし、気にせずとも無意識に思い出してしまう光景が脳裏を過ぎるせいなのかもしれないが、私は普段からあまり寝付きがいい方ではないのだ。
病院生活を長らく惰性で続けているせいで、早寝早起きを習慣としているせいで、夜はあまり眠くならないのである。
習慣にしているなら眠れるだろ、なんて言われてしまいそうだけれど、本来夜行性である私が簡単に早寝できるはずがない。
消灯時刻が決まっているせいで、私は冴え切った脳を感じながら目を瞑るわけだけれど、勿論、易々と私を眠りにつかせることはない。
どころか、暗がりの中で布団に入ると思考がどんどん活発になって、脳がどんどん活性化するのがわかるくらいに、夜の私は妄想に耽っていた。
それを言ってしまうと、何だかとんでもない語弊を生みかねないが、それは女子だけの秘密ということにしておくべきかもしれない。
自分で言うのも何だが、年頃の女子である。
こう見えても、思春期真っ只中、多感な時期の女子である。
物思いに耽る時間くらい欲しいこともあるだろう。
しかし、別にやましいことを思考しているというわけではない。
夜な夜なベットの中で考えることと言えば、動かない足のことだったり、消えない手術跡のことだったり、後悔してもし尽くせないことばかりをつらつらと思考していたりする。
果たして、そんなことに意味があるとは思えないけれど、それだけで私の気持ちは救われることもあったりなかったり。
逆に言えば、もしもこの足が治ったら、なんて妄想する時だってあるのだ――健全と言えば間違いないだろう。
こうして目を瞑って、眠るわけではないのだけれど、妄想に耽る。
いつもと同じだ。
何で私はこんな目に遭ってしまったのだろう、と事故から長い時間が経過した今でも考えてしまう。
もしもこの足が治ったら何をしようか、と事故から長い時間が経過しても尚考えてしまう。
猫。
黒猫。
今日の思考は足のことや手術跡のことより、やはりそちらに傾くようだ。
それも仕方ないと言えよう。
あんな光景を目に焼き付けてしまったのだから、これは最早トラウマと言ってもいいかもしれない。
猫。
黒猫。
これからもっと仲良くなれると思っていたけど、それももう叶わない。
もう一度くらい抱っこしたかったけれど、それすら叶わない。
死んでしまったのだから。
無残な姿になって、死んでしまったのだから。
猫。
黒猫。
あぁ……。
とても小さくて、ほんの些細なことで、他から見ればどうってことのない存在だっただろう。
でも私は、確かに私は、あの猫に楽しさを見出していた。
その猫も、私と同じように車に撥ねられて死んでしまった。
猫。
黒猫。
私も猫も、同じだ。
私も所詮、死んだようなものだ。
死んでいるのに、生きているような存在だ。
見てよ、この目。
本当、自分でも思うけど、死んだ魚みたいな目してる。
蔑んだ目をしてる。
自分を蔑んだ目をしてる。
猫。
黒猫。
後悔と言えば、猫も私と同じようにしているだろうか。
あの通りに出てしまったことを後悔しているだろうか。
そのせいで命を絶ってしまったことを後悔しているだろうか。
私はどうだろう。
うん、後悔している。
猫。
黒猫。
もし、願いが叶うなら?
私はお父さんの笑った顔が見たい。
私はお母さんの笑った顔が見たい。
私は友達の笑った顔が見たい。
こんな身体になってしまって、私は今でも同情される。
両親にすら、可哀相な子だと見られている。
それが、嫌だ。
猫。
黒猫。
だって、足が治ったとしても、笑顔が見れるかどうかは別でしょ?
足が治ったからと言って、私が可哀相な子だと結局同じでしょ?
だから、私は別に足が治って欲しいとか、手術跡が消えて欲しいとか、そういうことを望んでいるじゃないんだよ。
猫。
黒猫。
私は私が可哀相だと思われている。
私は私を可哀相だと思っている。
それを、払拭したい。
みんなに笑顔で私を見て欲しい。
そうすれば、きっと、私も笑えると思うから。
猫。
黒猫。
でもわかってる。
そんな綺麗な言葉を並べる中に見え隠れする私の腹黒い本性を。
自覚している。
私はみんなが笑顔になればそれでいいという願いの裏側に、こんな世界なんて壊れちゃえと思っている。
壊れてしまえばいい。
崩壊してしまえばいい。
修復などできないくらいに砕けてしまえばいい。
そんな風に思っている。
猫。
黒猫。
それは何故かって?
私は何もしてないんだよ。
悪いことなんて何もしてないんだよ。
それなのに、それなのに私はどうしてこんな目に遭わなくちゃいけない。
どうして両親からも蔑まれなくちゃいけない。
どうして両親の機嫌を伺わなくちゃいけない。
どうして友達から同情されなくちゃいけない。
私が事故に遭う理由なんてどこにもないのに。
猫。
黒猫。
偶然?運命?
そんな言葉で片付けらるのだとしたら、それこそ私はこの世界を恨むよ。
憎むよ。
私と同じような目に遭った人なんて数知れず、いっぱいいるだろうけど、多分きっとみんなそう思っているに違いない。
彼もきっと何も悪いことなんてしていないはずなのに。
彼女もきっと何も悪いことなんてしていないはずなのに。
猫。
黒猫。
だから私は綺麗な世界を望む反面、こんな下らない理不尽な世界は壊れてしまえばいいと望んでいる。
うん、その通りだと思うよ。
そんな思考をしている私こそが下らない。
子供も子供、理不尽な世の中に抗う力のない我が儘な子供の言い分だと自覚している。
けれど、自覚しているからこそ、私は君に向かって言えるよ。
私は子供だ、と。
猫。
黒猫。
え?いや、そうじゃない。
本当は世界なんて壊れて欲しくないって思ってる。
素直じゃない?
違うよ、そうじゃない。
私だって理解はしているんだ、この世が理不尽であることなんか。
いつだって理不尽で、不思議で、常に暴力と恐怖が付き纏う世界じゃないか。
そんなこと、言われるまでもなく、わかっているよ。
猫。
黒猫。
だけど、その中でも、この世界を綺麗だと思えることもある。
だから私は、みんなの笑顔が見たい。
それが私の願い。
壊してしまうのは嫌だから、だから私はやっぱり、みんなの笑顔を望みたい。
猫。
黒猫。
猫。
黒猫。
猫。
黒猫。
「――――!?」
妄想?
いやいや、まさかまさか。
一体私は今、誰と喋っていたんだ?
誰に向かって語りかけていたんだ?
誰からの質問に答えていたんだ?
目を開けると。
目を見開くと。
目の前には――
「――未来を変えたくないか?」
一匹の黒い猫が枕元に鎮座していたのだった。
私は小さく、その言葉に頷いた。