4cm left
◆
夢を見た。
真っ白の雪景色のような景色が広がる夢の中で、私は泣いていた。
悲しくないのに、辛くもないのに。
どうして泣いているのだろう。
どうして勝手に涙が溢れるのだろう。
『それはきっと、お前が悲しいからじゃないか?』
そんな風に、背後から声がした――気がする。
振り返って見れば、礼儀正しく鎮座した黒い猫が一匹。
いや、猫に礼儀も何もあったものではないのだけれど。
「……悲しい?私が?」
私は猫の言葉を反復する。
『お前が悲しんでいるのではなく、お前自身が悲しいのだよ』
「…………?」
よくわからない。
何を言っているのか、全然わからない。
『悲惨だね、お前は。そんな足じゃ、前に進むことも後戻りすることもできやしない』
「…………」
『人間の足はただ立つためにあるものじゃないんだ。前に一歩を踏み出すためにあるんだ。そして、たまには横に逸れてみるのもいいだろうし』
私の、自由の利かない両足。
前進することも、後退することもできない――ただそこに停滞するしかない、両足。
横に逸れることすら許されない、縛られた両足。
『例えば、私にはこのように四つの足がある。つまり、人間に比べれば二倍前進することができるわけだ』
「……それってつまり、人の二倍後退もできるってこと?」
『ははっ、そうとも言える。だがしかし、過去を悔いることに意味がないのと同様、後退することにも意味はない。そう考えれば、ニ倍速で前進できる――人の二倍、未来に繋がるというのはロマン溢れるものではないか』
過去を悔いることに意味がない、か。
五年前の事故を後悔したところで、私の足が動かないことに変わりない。
この先一生、私の命が絶えるまで背負っていく羽目になるしがらみだ。
しかし、思う。
二足歩行と四足歩行を単純な掛け算で比べるのはどうだろう。
まぁ、ただの比喩表現なのだろうけど。
「人の二倍、君が足を踏み出すことができるというのはわかったよ」
『けれど、お前の足は停まったままだ』
支えなしでは立てない足。
支えありでもろくに言うことを聞かない足。
停滞し続けるしかない足。
『何故、お前は歩き出さない。歩けないから?足が思うように動かないから?甘えるのもいい加減にしたらどうだ。お前はただ、歩こうとしていないだけだ』
「別に、私はそんなつもりじゃ――」
そんなつもりじゃ、ない。
歩きたくとも、歩こうとしようにも、動かない足ではそれすらままならない。
『その足が動くようになれば、お前は前に進むことができる。止まっていた時間から、抜け出すことができる』
「でも、動かないよ」
『いや、動く。お前が未来を変えれば――動くようになる』
「……未来?」
人の二倍、前進する黒猫。
人の二倍、未来に繋がる黒猫。
『お前は、未来を変えたいとは思わないか?』
「思う」
だから、私はそう言った。
未来が変えられるのであれば変えたいと――この先、二度と思うように動かないと宣告された両足が動くようになるのであれば、それ以上に願うことは何もない。
また私は一歩を踏み出したい。
車椅子ではなく、自らの足で地に立ち、一歩を踏み出したい。
そう、心から思う。
『お前はどんな未来にしたい?』
こんな滑稽な私を黒猫は悲しいと言った。
死に損ないの私を悲しいと言った。
可哀想な子だと、悲惨だと同情せざるを得ない子だと、言った。
だから――
「みんなが悲しいと思わない未来にしたい」
『ふぅん?』
だから――
「みんなが笑える幸せな未来」
そうなれば、例え私の足が動かないとしても、私はまた違う一歩を踏み出せる気がする。
停滞するのではなく、前進することができる。
誰も私に同情しない、誰も私を可哀想だと思わない、誰も私を悲しい子だと見ない――そうすれば、私はこの足とも向き合うことができるかもしれない。
『なんだ、お前。笑えるのか』
私の涙はいつの間にか止んでいた。




