3cm left
「……やっぱ、野良猫なのかな」
首輪はない。
けれど、それにしても艶やかな毛並みだった。
真っ黒なのに、どこか鮮やかに見えるほどだった。
絵に描いたような黒猫だ。
黒猫を絵にしたような黒猫だ――というのは、よくわからない表現かもしれないが。
とにかく、野良猫とは到底思えないほどの綺麗な猫だったのだ。
「君も触ってみるといいよ。抱いて可愛がってあげてくれ」
そんな風に、老人に促されたはいいものの、実は動物の扱いをよく知らない。
触ったことがないわけではないけれど、抱っこするとなるとそれは難しいかもしれない。
抱き方なんて知らないんだけど。
うーん……。
うーん……。
老人がゆったりとした足取りでベンチを去り、取り残された黒猫は何とも読み取り辛い表情でこちらを見ていた。
まぁ、動物の表情を読み取るなんて専門家でない私にできるわけないんだけど。
にゃぉん。
そんな愛くるしい、甘えた鳴き声をあげる。
「か、可愛い……」
触っても平気だろうか。
抱っこするのはともかく、頭を撫でるくらいなら大丈夫か。
と、ベンチに寝そべる黒猫の頭を目掛けて手を伸ばしたと同時に。
「――っ!」
急に体を起こした猫は目にも留まらぬ速度で私の膝の上に飛んだのだった。
飛び乗ったのだった。
膝の上で寝転び、私のお腹に背中を擦りつけている。
混乱。
パニック。
どうすればいいのかわからず、私はただその様を見下ろすだけで、どれくらい経っただろうか。
黒猫はそのままの体勢で眠りについたようである。
と言うか。
勝手に膝の上を寝床にされてしまった。
人懐っこいとは思っていたけれど、これではまるで別の生物のようだ。
警戒心が強いのが猫で、特に野良猫となると他以上にそれは働くものだ――と、いつかテレビで見た知識を参照にしてみる。
猫が懐くことが珍しいというわけではないけれど、それにしたって初対面の私になんて無防備な格好を見せるのだ。
餌をあげたわけでもないし、猫の扱いを熟知しているわけでもないし。
うん、きっとこの猫は誰でもいいのかもしれない。
可愛がってくれる人ならば、誰でもいいのだろう。
「…………………………………………」
私はそっと頭に手を伸ばした。
伸ばして、触れる。
その柔らかい艶やかな毛並みに。
何だろうか。
柔らかい毛並みなのに芯を感じる。
それでいて抵抗が全くなく、手がよく滑る。
野良猫にはよくある目ヤニもないし、本当に綺麗な顔立ちだ。
猫界ではきっとかなりのイケメンに違いない。
いや……。
あれ……。
メスなのか。
それならば、かなりの美女だ。
家庭で飼われている猫と比べても、遥かに綺麗だと思う。
頭を撫でたことによって、知らず知らずの内に緊張感からは解放されたようで、私はその後、肉球や鼻の頭、尻尾などをまるで吟味するかのように念入りに撫で回したのだった。
言うまでもなく。
近くを通りかかった看護士の方に溜息混じりに外に出されのだったが、暴れることも鳴くこともなく、すんなりと敷地の外に歩いて行った。
懲りずに明日もまた再来するだろうけど、去る時はかなりあっさりなものだ。
それも猫っぽいと言えばそうなのかもしれない。
でも……。
うん、可愛かったな……。
明日もまたあの猫と遊ぼう。
◆
次の日も。
次の日も。
次の日も。
およそ一週間に亘り、私は毎日決まった時間に黒猫と遊び、老人から抱っこの仕方を教わって、今ではすっかり扱いに慣れた。
そして。
次の日。
あの黒猫は珍しく病院に来なかった。
次の日も。
あの黒猫は病院に来なかった。
次の日も。
あの黒猫が病院に来ることはなかった。
私はその日、夢を見た。