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7 毒と毒、そして魔女

 ルチアが花屋で働き始めて、約一月が経った。

 ある程度仕事を覚えて慣れ始めれば、周囲を見る余裕が出てくる。

 その分、接客と花の搬入ばかりだったルチアの仕事は多岐に渡るようになった。

 水揚げを行った花達を店頭へと運び、客足が途絶えた時を見計らって鉢植えの植物を見て回る。

 枯れた葉や開ききった花を丁寧に取り除き、肥料を与えた方が良さそうなものは店主に確認するようにしていた。

 花束を作るのはまだ任されていないが、会計なら何度か行っている。

 植物全般に関する知識――特に花に関しては飛躍的に増え、庭師達とはますます会話が弾むようになっていた。

 花屋の業務は想像していた以上の重労働ではあったが、それ以上に楽しい。

 街の住人や常連客達ともうち解けてきたし、先日にはついに給金が出たしと、ルチアはとにかく高揚していた。

 何よりも、先日以来アロルドが一度も店に訪れていない。

 ここ最近は公務が忙しいらしく、ニコラが何回か様子を見に来ただけだった。彼一人ならば、ルチアはいつでも大歓迎なのだ。

 今日も今日とて、ルチアは花の手入れに精を出していた。

 手が荒れないように手袋をはめ、水をたっぷりと入れた桶を持って鉢植えの元まで移動する。

 日は既に傾きかけ、オレンジから薄い青へとグラデーションを見せる空が窓から見えた。

 店内に注ぎ込む光は赤みを帯び、ルチアの髪をより炎の色へと近づける。

 光の中に溶け込んでしまいそうなルチアの姿を、店主がのんびりと見守っていた。

「店長、ここの鉢植えが夕方にも水やりするやつでしたよねー?」

 日が高い間は混み合っていた店内も今は客足が途絶えているため、ルチアの口調もやや砕けたものになっている。

「おー」

 カウンターでのんびりと紅茶をすすっていた店主の答えを聞いてから、ルチアは桶に柄杓を突っ込んだ。

 水を掬い、葉や枝にかからないように気を付けながら土に染み込ませていく。あまりやりすぎると根が腐ってしまうし、逆に水を与えないと枯れてしまう。理論としては学んでいたし、薬草や毒草ならばこれ以上無い程に適切な手入れが出来るが、花の手入れに関して、ルチアはまだまだ未熟だった。

 花の種類ごとに手帳に書き付けた内容を思い出して確かめ、時間をかけて水を与えていく。

 そうして全ての水やりを終えた時、ふと頭上に影が落ちた。

「ごきげんよう」

 香水の甘ったるい香りがルチアを刺激し、思わずくしゃみをしそうになる。

 周囲を飛び交っていた精霊(スピリトス)達が一斉に顔をしかめ、ふいと店の裏手まで移動してしまった。

 どうやら、精霊(スピリトス)に好かれない質の客が来たらしい。

 姿が見えないというのに客に付きまとってはしゃいでいた彼らの姿を思い返し、珍しい事もあるものだと内心で首を傾げる。

 顔を上げたルチアの視界に、白みがかった金色の筋が映り込んだ。

「いらっしゃいませ」

 営業用の笑みを湛えて膝を伸ばし、初めて見る客の姿をそれとなく観察する。これはもう、ルチアの習性のようなものだ。

 緩く巻かれた髪が、彼女の肩や背を滑り落ちていた。ルチアよりも頭一つ分程低い位置にある顔は、帽子のせいで判然としない。

 背筋を伸ばして佇むその姿勢は、どこかルチアと通じるものがある。やや派手すぎる程にレースとフリルがあしらわれた服は染み一つない純白で、夕日に淡く染められていた。はめている薄手の手袋にも繊細なレースがふんだんに使用されている。

 どう見ても、市井の民ではない。ルチアと同じように、上流階級に属している事は間違いなかった。

 何でそんな者がここにいるのだ。

「わたくし、花を探していますの」

 若々しい装いであるのに、放たれる声は老成した雰囲気が漂っている。

「ねえそこの方、わたくしに似合う花を選んで下さるかしら?」

 不意に体の向きを変え、彼女は店主へと媚びるような声をかけた。

 その拍子にきつい香りがまたルチアの鼻を刺激する。彼女が自分を見ていないのを良い事に、ルチアは顔をしかめた。

 なぜだろう、気に入らない。ルチアが精霊に好かれる質であるのと対照的に、彼女が精霊(スピリトス)に好かれない質だからだろうか。

 それとも、妻帯者である店主に媚びるような声を出しているからだろうか。

「俺ですか?」

 驚いたように自分を指差す店主に向かって、彼女は「ええ」と相変わらず媚びるような声をかける。

「わたくしに似合う花を選んで欲しいの。出来るでしょう?」

「ええ、まあ……」

 何とも歯切れの悪い店主に違和感を覚え、ルチアは瞬きをした。

「お話中失礼いたします、店長。少し確認して頂きたい事が……」

 彼女の視界から店主を遮るようにして近づけば、背に鋭い視線が突き刺さる。どうやらこの客は、ルチアが気に入らないようだ。

 しかし、この程度で動じるようなルチアではない。

「どうしたんですか店長、普段ならにこにこ笑って快く引き受けるのに」

 出来る限り声を潜めて問いかけ、ルチアは彼を見上げた。

「ルー」

 ルチアの言葉に、店主も筋肉だらけの身を小さくしてこそこそと耳打ちしてくる。

「あのおばさん、絶対に厄介な質だ。たまーにああいう奴がいるんだよ、すげえ面倒な奴が」

「おばさん?」

 彼の言葉を反芻すれば、顔をよく見るようにと促される。

 その言葉に従い素直に振り返ったルチアの目に飛び込んできたのは――思わず目を覆ってしまいたくなる厚化粧を施された顔だった。

 素顔が分からない程分厚い化粧を施された顔は白く浮き上がり、まるでこれから舞台に挑む役者のようだ。強調させた目元は妙につり上がってギラギラとしているし、たっぷりと紅を乗せられた唇は血のように赤く、テラテラと輝いていた。

 晒された首筋が骨張ってみずみずしさを失っているあたりが、より一層痛々しさを強調している。

「ああ……」

 思わず納得してしまい、ルチアは同情の眼差しで店主を見上げた。

 彼女のような人物には、何度もお目にかかった事がある。周囲にちやほやされたいが為に若作りをする、貴族の夫人達だ。ルチアにとっても苦手な部類である。

 ちなみに苦手とする理由は、以前「そこの薄汚い魔女、わたくしに似合う花は何だと思うかしら?」と質問されたので正直に「枯れかけた毒の花でしょうね」と答えた結果、壮絶な掴み合いに発展した為だ。「女の機嫌を損ねると恐ろしい事になる」と学んだきっかけでもある。

 貴族の夫人達を彷彿とさせるきつい香水と痛々しい出で立ちに、ルチアはさっさと逃げる事を決めた。

「店長、わたし、裏手で花の手入れしていますね」

「え、ちょ、ルー」

 助けを求めるように手を伸ばしてきた店主の手を素早く避け、女性へと笑顔を向ける。

「お客様、ご用がございましたらお呼び下さい」

「あら小娘、気が利くのね」

 馬鹿にしたようなその物言いにも何とか笑顔を崩さずに一礼し――貴族の令嬢顔負けの完璧な一礼だ――、ルチアは店の裏手へと避難した。

 店の様子を窺っているらしいアイリスとリリーを発見し、思わず肩をすくめる。

「厄介なお客様がいらっしゃったの?」

 不安そうに焦げ茶の瞳を揺らす2人に向かって、ルチアは苦笑した。

「大丈夫よ」

 ああいう人はね、と言葉を続ける。

「男の人にちやほやされたいだけなのよ。女が出て行くと絶対に怒るけど、男の人だけだったら機嫌を損ねないの。

 わたし達は表に出ないで見守っていれば――」

 その時だった。

『ルチア!』

 不意に精霊(スピリトス)達が叫ぶ。

 驚いて言葉を途切れさせたルチアは、ふとこの場にリリーがいない事に気づいた。

「アイリス、リリーは?」

「……あら?」

 おっとりと首を傾げるアイリスも、ルチアに言われてから気づいたらしい。

 ゆっくりとした仕草で周囲を見渡してから、困ったように頬に手を当てた。

「いないわ。あの子ったら、少し目を離している間にどこに行ってしまったのかしら……?」

 リリーはまだ幼い上に、好奇心が旺盛な年頃だ。目を離した隙にどこかへ行ってしまう事は、今までにも何度かあった。とはいえ、大抵は店の周囲を歩き回って迷子になっていたり、店内へ突撃するかだったが。

 きっと今回もそうだ。常連客以外の姿に興味を持って、店内へ行ってしまったのだろう。

 そう思って店内の様子を窺ったが、リリーの姿は見当たらなかった。

「……お店の外に出たのかしら」

 小さく呟けば、アイリスが不安そうに表情を曇らせる。日が高い内ならともかく、もうすぐ辺りは暗くなる。まだ3歳のリリーには危険だ。

「アイリス、ちょっとお店を抜けるわ。この辺りを回ってみるわね」

「わたしも家の中を探すわ」

 アイリスが頷く。

 ルチアが身を翻そうとした時だった。

 ふわりと、室内であるにも関わらず風が巻き起こる。

『ルチア、上!』

 精霊(スピリトス)達が巻き起こした風はルチアの髪とエプロンをなびかせ、階段を指し示した。

 一拍遅れて、背筋にぞくりとしたものが走る。

「アイリス、上よ!」

「ルー!?」

 いきなり階段へと突進したルチアの姿に、アイリスが驚いたように叫んだ。

 その声を無視して駆け上がる。急いでと急かす精霊(スピリトス)達の声に、焦燥感が膨れ上がった。

「リリー!」

 階段を上りきると同時に叫び、顔を上げる。

 その瞬間に、ルチアは凍り付いた。

「ルー、一体どうし……」

 ルチアを追いかけてきたアイリスが、言葉を失う。

 2人の視界の先には、信じ難い光景が広がっていた。

 床一面を、チョークで引かれた線が覆っている。

 複雑な陣形を描くそれは、一般的に「魔法陣」と呼ばれるものだ。

 そして幼い少女はその中心へと、次々に植物を寄せ集めていた。

 植木を倒し、棘を素手で掴み、花をむしり取る。

 小さな手は傷ついて血が滲んでいるというのに、彼女は全く頓着していないようだった。

「リリー……?」

 アイリスが呟く。

 その声に、呆然としていたルチアは我に返った。

 記憶を辿らなくとも、ルチアの頭脳はこの状況を正確に理解する。

「アイリス逃げて今すぐに!」

 鋭く叫び、ルチアはリリーの元へと駆け寄った。

 小さな手から毒草を叩き落とし、リリーを抱え上げる。

 彼女が寄せ集めていたのは毒草だ。それも、毒性が強い上に空気中に毒を散布するものや、単体ならば問題が無くとも組み合わせによっては猛毒となるものばかりである。

 身を翻そうとした瞬間に、ちくりとした痛みが首筋に走る。

「邪魔よ小娘」

 その言葉に、ルチア腕に抱えた少女を見下ろした。

 異様に輝く瞳のリリーが、小さな手に針を持って笑っている。針はテラテラとした輝きを帯びており、その先は僅かに赤く染まっていた。

 毒を仕込んだ針だ。

 ぐらりと視界が揺れ、思わずその場に膝を付く。胸がむかむかとして、気分が悪くなった。

 しかし、それだけだ。

 くすくすと悪意の込められた笑い声をこぼして、リリーが腕から逃れようとする。

「……残念だったわね」

 傷だらけになった少女をしっかりと抱え込み、ルチアは異様な輝きを放つ瞳を覗き込んだ。

「――わたしの専攻は薬草魔術なの。大抵の毒になら、耐性があるのよ」

 リリーの手から毒針をはじき飛ばす。

 ふつふつと、堪えきれない怒りが込み上げた。

 誰だ。

 誰が、何の目的で、こんな事をしているのだ。

「誰」

 リリーの瞳を覗き込み、怒りに震える声で問いつめる。

「あなたは誰。リリーを操って何がしたいの」

 その瞬間に、魔法陣が輝いた。

 はっとしたルチアに向かって、リリーは――リリーを操っている「誰か」が笑みを浮かべる。

 視界がぶれ、リリーと重なるようにして存在する女の姿が映った。


 きらきらと、黄金色の髪が揺れる。

 長い睫毛に縁取られた瞳は、アメジストのような色合いだった。

 抜けるように白い肌と対照的に鮮やかな赤い唇は、ひどく蠱惑的だ。

 「傾国の魔女」と同じ色合いの魔女が、そこにいた。

 美しい唇を歪めて、魔女はルチアに侮蔑の笑みを送る。

 細い指でルチアを指し示して、彼女は憎悪に塗りつぶされた瞳で告げた。


「ルアルディ家の魔女、『お前を殺したい』」


 次の瞬間に、魔法陣が発動する。

 魔法陣は中央にいたルチアとリリー、そして毒草巻き込んで爆発した。


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