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4 魔女と王子と表裏

 人生を左右する出来事というものは、唐突に訪れるものだ。

 その出来事に備える事は難しいし、備えたところで全てが無駄になる事もある。

 人にも魔女にも抗う事の出来ない「何か」が、この世界には存在しているのだ。

 ――しかし、心がそれを受け入れるか否かは別問題である。

「な……」

 アロルドの言葉に、ルチアは絶句した。

 この変態は、今何と言ったのだ。

「だから、俺が、ルアルディ家の当主に、ルチアとの婚約を――」

 その刹那、飛来した火球がアロルドの頬をかすめる。

 濡れそぼったままの銀髪を一瞬で乾燥させた火球は、防御魔法を幾重にもかけられた壁にぶつかって爆発した。

「ああまた家具が燃える……水の精霊(アクア)、侍女達が嘆く前に消してあげて」

 ニコラがぼそぼそと呟いて水の精霊(アクア)を呼んでいたが、そんな事に構っている余裕などない。

 ようやく動き始めた頭脳でアロルドの言葉を理解し、ルチアは顔を引きつらせた。想像しただけで、体中に鳥肌が立つ。

 冗談ではない。何の為に就活をしていると思っているのだ。

 全てはこの変態から逃れる為だというのに、これではまったくの無意味ではないか。

 ぱくぱくと唇を動かすが、あまりの衝撃に言葉が出てこない。

「感極まって言葉が出ないのか。そんなお前も愛らしいな」

 さあこの胸に飛び込んで来いとばかりに両腕を広げたアロルドを見て、ルチアは表情を消した。

 もしこれが運命のいたずらだというのなら、やるしかない。

 ルチアの精神を蝕むこの元凶を、正義の名のもとに倒すのだ。

 俊敏な仕草で体を起こし、彼の腕の中へと飛び込む。

「ああルチア、ついにお前を抱きしめられる日が……」

 自分こそ感極まったように頬を染めるアロルドに向かって、ルチアは拳を突きだした。

「何しやがってくれたのよこの変態!」

 鈍い音が響く。遠慮容赦の一切感じられない、そして16歳の少女からは想像出来ない重い一撃だった。

「おお、相変わらず良い拳……」

 感心したようなニコラの声を聞きながら、素早く後退する。

 より攻撃力の高い武器を求め、ルチアは腰に吊したままの鞭に手を添えた。腰に固定する為の留め金を外し、いつでも振るえるように握りしめる。愛しのペットにほとんど振るった事の無い鞭は、今まさにその本領を発揮しようとしていた。

 迷う事なく鞭を手にしたルチアを見て、ニコラが無言で部屋の隅に避難する。主であるアロルドを助ける気が無いのがよく分かる行動だ。

 臨戦態勢になったルチアの視界で、ソファからずり落ちたアロルドが体を起こす。

「どうしたルチア、照れているのか?」

 殴られた箇所を愛おしそうに撫でてからルチアへととろけるような笑みを向けた彼は、さすがに真面目な表情を浮かべた。

「……鞭か」

 ぼそっと呟いてから、彼は何故か頬を染める。

 何だろうか、嫌な予感がした。

「そうか、ルチアはそういう趣味だったのか。俺には特殊な性癖は無いが、ルチアが望むなら……」

「うるさい黙れ黙りなさい!」

 放っておけばとんでもない事を言い出しそうな――今でも十分とんでもない事を言っている気がするが――アロルドに向かって叫び、ルチアは鞭を床に叩きつける。気分は猛獣使いだ。あながち間違っていない気がするのが悲しい。

「あなたの頭は一体どうなってるのよ!?」

 彼の思考回路が理解出来ない。理解出来るとしてもしたくない。

 どこをどう解釈したら「ルチアが特殊な性癖を持っている」という回答にたどり着くのだ。そしてなぜ頬を染めているのだ。まさか被虐趣味でもあるのか。

 ふとその可能性に思い当たり、ルチアは戦慄した。思えばこの数年、彼は何度ぶっ飛ばそうと毒を仕込もうとも、とろけきった笑みでルチアに迫っていた気がする。

 ぞわりとしたものが体を駆けめぐった。

 生温かい眼差しで彼を見据え、ルチアはさりげなく足を引く。

 どうしよう、否定出来ない。

 心の中で呟いた時だった。

 ふと体中にむず痒さを感じる。

 はっとして腕に視線を落としたルチアは、素早い動きでアロルドから距離を取った。

 剥き出しの腕には、赤い発疹が浮き上がっている。

「ルチア?」

 小さく舌打ちをして、ルチアは鞭をまとめた。

 異変を感じ取ったのか、ニコラが駆け寄って来る。

「どうしたの?」

「……発疹が」

 低い声で呟いて、ルチアは顔を覆った。

 息を飲む気配が伝わる。

「ちょっと誰か! ルチアがまた発疹出てる!」

 扉が開く音と共に、ニコラが廊下へ飛び出した。

 指の隙間からその姿を確認し、ルチアはずるずるとその場に座り込む。ぐらりと視界が揺れ、間違えて気化した毒を胸一杯に吸い込んだ時のような吐き気が込み上げてきた。

「ルチア!?」

 ようやく異変に気が付いたのか、驚いたようなアロルドの声が降ってくる。

「見ないで来ないで触らないでどこかに行って!」

 悲鳴のように叫んで、ルチアは体を硬くした。

 ガタガタと体が震え出す。熱が出てきたのだ。

 ルチアが宮廷魔術師を辞す事になった、一番の理由。

 それが、この唐突に現れる発疹だった。

 数回に及ぶ検査の結果、その原因として判明したのは――アロルドが過剰に接触していた事による精神的ストレスである。

「いや、だが……」

 躊躇するようにその場に佇む彼へと視線を向ける。

「いいから、出て行って」

 はっきりとした声で、ルチアは拒絶を示した。

 熱のせいで涙がにじむ瞳で彼を睨む。発疹はきっと顔にまで及んでいる。今のルチアは、相当醜い顔をしているだろう。

 しかし、それもこれも元を辿ればこの幼なじみのせいなのだ。

 ふつふつと、堪えようのない怒りが湧き上がってくる。ルチアの将来をぶち壊しておきながら婚約を申し込むこの男の神経が理解出来なかった。

 一体ルチアが何をしたというのだ。

 たしかに初対面の時に毒草を食べさせてしまった事や喧嘩の度に毒を仕込んだ事は今でも申し訳なく思ってはいるが、それはもう昔の事ではないか。

 魔女か。ルチアが魔女だからなのか。

 いやしかし、彼が他の魔術師の将来をぶち壊したという話は聞いた事が無い。約一名だけは日々胃を痛めているが、ルチアのようにストレスが体に表れる程ではない。こんな目に遭わされているのは、ルチアだけだ。

「……分かった」

 ルチアの声に本気の怒りと拒絶を感じ取ったのか、アロルドが渋々と言ったように口を開く。

「だが」

 そう呟いて距離を縮めようとした彼に向かって、ルチアは遠慮無く鞭を振るった。

 足元を打ち据えた鞭と氷のような眼差しに、さすがの彼も足を止める。

「王子だろうが何だろうが、それ以上一歩でも近づいたらただじゃおかないわよ」

「……ルチア、そのうち不敬罪で訴えられるんじゃないか?」

「そうしたら婚約も破談になるし、わたしとしては万々歳なのだけれど」

 少なくとも、アロルドとは一生顔を合わせる事はなくなるだろう。発疹は起きなくなるはずだ。

 いっそ不敬罪で訴えられないかしらと内心で呟いて、ルチアは深々と嘆息した。毒を仕込んでも訴えられなかったのだ、この程度では訴えられない事はよく分かっている。

 もしルチアが本気で彼を害そうとしたのなら別だろうが、曲がりなりにも彼は幼なじみだ。視界から消えて欲しいとは思っても本気で害そうと考えた事は無いし、それはアロルドも理解している。悔しい事に、これでも彼は頭が切れるのだ。気づいていないはずがない。

「鎖で繋がれて部屋の中でただひたすらに俺のおとないを待つお前はたしかにそそるが、お前を牢に繋ぐ予定は無い。残念だったな」

 残念なのはお前の思考回路だと言ってやりたかったが、ルチアは賢明にも無言を貫いた。言葉が見つからなかったとも、返事をするのが面倒になってしまったとも言う。

「残念と言えば」

 言い忘れていたと呟いて、アロルドが身を引く。

 今のルチアに近づくのは良くないと判断したのか、彼は開け放たれた扉まで歩を進めてから足を止めた。

「18だ」

 その言葉に、何の事だと首を傾げる。アメジストとサファイアに例えられる色合いの瞳がかち合った。

「ルアルディ家が俺とルチアの婚姻に関して出した条件は、ルチアが18になるまでに自立出来なかったら、だ」

 思ってもみなかった内容に、きょとんとする。

 この国の成人は18歳だが、婚姻は16歳から認められている。上流階級――いわゆる貴族や王族、そして魔術師達は、大抵が成人前に婚姻を結ぶ。年齢的に、ルチアはもう婚姻が可能だ。だからこそ焦ったのだ。

「……猶予期間があるという事?」

「そういう事だ」

 確認するような問いに、アロルドが苦々しげな表情を浮かべる。

「婚約は結ばれた。ただし、ルチアが成人するまで――18歳になるまでに職を得て自立すれば、破談に出来る。自立出来ない、もしくは受け入れた場合は俺と婚姻を結ぶ事になる。

 ……要するに俺も利用されたわけだが、まあ婚約出来たのだから良しとするか」

 最後の一文は聞き流して、安堵の吐息を溢す。

 つまりは、こういう事だ。

 アロルドとの婚約は成立してしまった。現在のルチアは、アロルドの婚約者である。

 しかし、婚姻はルチアが成人するまで行われない。また、婚姻が結ばれる前にルチアが職を得て自立した場合は、婚約自体を無かった事に出来る。

 彼の身分を考えれば、すぐにでも婚姻を迫る事は可能だ。猶予期間が与えられたのは彼の気まぐれか、もしくはルチアの両親や国王が手を回したのだろう。いくら何でも、彼が原因でぶっ倒れたルチアには酷だと哀れんでくれたに違いない。

 ルチアは、約2年の猶予期間が与えられたのだ。

 もちろんその間に就職氷河期に立ち向かい、勝利を収めなければいけない。しかしそれは些細な問題だ。ルチアにはこの幼なじみからの逃げ道が残されているのだ。

「……乗ってやろうじゃないの」

 ぼそりと呟いて、唇に笑みを浮かべる。

 ぐらぐらと揺れる体で何とか立ち上がり、ルチアはアロルドに向かって人差し指を突きつけた。

「良いわよ、乗ってやろうじゃないの!」

 唇を吊り上げる。

 周囲から「悪どい」と称される笑みを浮かべて、ルチアは彼に宣戦布告した。

「見てなさいアロルド。わたしは絶対、絶対、ぜええええったいに、この婚約を破談させてみせるわ!」


***


 白い石畳に彩られた街を、一台の馬車が進んでいく。

「……とりあえずは、これでしばらく様子見だな」

 その馬車の中で、彼は小さく呟いた。

 乾燥――というよりもやや焦げてバサバサになった銀髪を背に流し、先程まで滞在していた幼なじみの屋敷を窓から眺める。今頃ベッドに押し込められているだろう彼女の不機嫌そうな顔を思い浮かべ、思わずくつくつと笑みを溢した。熱と怒りで真っ赤になった頬をつついてからかってやりたい衝動に駆られる。絶対に可愛いはずだ。

「……あのさアロルド、今の笑い方すごく変態っぽいからね」

 自分の正面で呆れたように呟くもう一人の幼なじみを見下ろし、ふんと鼻で笑う。

「ルチアの為なら、俺は変態でも何にでもなってみせるぞ」

「そのせいで蛇蝎の如く嫌われてるみたいだけどね。僕の胃とルチアの精神に多大なる負担を強いて、君は一体何が楽しいって言うのさ」

 ぶつぶつと文句を言って頬を膨らませるニコラに肩をすくめ、アロルドは腕を組んだ。

「で、どうだ」

 その言葉に、ニコラがすうと表情を消す。

 一瞬にして幼なじみから優秀な従者へと切り替わった彼は、遠ざかっていく屋敷を見やった。

「まだ見つかっていないみたいだね。当主殿も使用人達も上手く隠しているみたいだから、ルチア本人も知らないけれど」

 淡々と紡がれる言葉に、安堵の息を溢す。背もたれに身を預け、アロルドは口を開いた。

「つまり、もうしばらくルチアの『あれ』は俺のせいという事になるのか」

 頭が痛いな、と呟く。

「これではルチアに近づけない」

「……ルチアと距離を取っているつもりだったんだ!?」

 驚いたように声を上げたニコラを睨め付ける。

「言っておくが、俺はルチアが倒れて以来、自分からは指一本たりとも触れていないぞ」

 ただちょっと物足りない上に愛が暴走してしまって、ほぼ毎日のように手紙や見舞いの品を贈ったり様子を見に来たりしてはいるが。ルチアの髪と瞳に色合いが似た子猫を見つけてしまい、ルチアの愛称である「ルル」という名をつけて溺愛しているが。

 基本的に、アロルドはルチアを大切にしている(つもり)なのだ。これでも。

「とりあえずアロルドと婚約した事によって、刺客は減るだろうね。ルチアを害せば王家を敵に回す事になるし、君の敵に対する容赦のなさは有名だから」

 その言葉に無言で頷く。ルチアとの婚約は、そもそもそれが狙いだった。

 もちろん、あわよくば彼女の心を手に入れられないかという下心もある。それはルチアの両親も、アロルドの両親も、ニコラも、そしてアロルド自身も重々承知している。

 しかし、そんな事は二の次だ。

「逆に刺客が増える可能性もあるけど、予想していた事だし、護衛は付けやすくなるよね。今のルチアは一介の魔術師ではなくて、未来の王妃なんだし。

 ああそうそう、今回の原因なんだけど、ルチアは今朝早くから出かけていたみたい。ここ最近は毎日のように職業相談所に通っていたみたいだから、疲れも溜まっていたんだろうね」

 その言葉に眉を潜める。

「職など探さないで、俺の隣にいれば良いのに。そうすれば、余計な手間が省ける」

 ルチアを守りやすくなるし、余計な虫も付かないだろうし、何よりアロルドが安心出来る。

 ぼそぼそと呟けば、ニコラが呆れたようにため息をついた。

「ルチアはアロルドのせいで体調を崩すと思っているのに?」

 その言葉に口をつぐむ。

 そうだった。ルチアのあれは、アロルドが原因という事にしてあるのだ。

「……まったく、本当に誰なんだろうね」

 ぽつんと呟かれた言葉に頷き、アロルドは顔をしかめた。

 全ては、彼女が魔術学院を卒業した頃から始まっている。


「本当に、どこのどいつなんだろうな――ルチアの命を狙っているのは」


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