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3 魔女サマの受難

 アロルド・デ=コラリウムは、御年19になるコラリウム国王の長子だ。

 王妃に似た繊細な顔立ちと国王の聡明さを受け継ぎ、文武共に優れ、臣下からの信頼も厚い。まさに理想の王子だ。

 だがしかし、彼には致命的とも言える欠点があった。

「久しぶりだなルチア、お前の姿が見えない城は終わりの無い冬のようだ。お前の微笑みでしかあの城の氷は溶けない、お前の美しい足でしかあの氷は踏み抜けない。ルチア、俺の女神、なぜお前は俺の隣に来てくれないんだ――」

 ルチアに対してのみ残念っぷりを遺憾なく発揮する、稀代のルチア馬鹿(変態)なのだ。

「ああルチア、お前は本当に美しい」

 歌劇のように仰々しくルチアへの愛を歌い上げ、暇さえあればルチアの姿を探して飛び回る。嫌がる顔すらも愛でたいと言われた時には、あまりの気持ちの悪さに彼の身分を忘れてぶっ飛ばしてしまう程だった。

「お前の美しさと愛らしさの前では、全てが許される。あの趣味の悪すぎる巨大生物でさえ、女神の使いのように見える」

 しかし、それ以外が優秀な上に国王夫妻が健在である為、誰も文句を言わない。いや、それ以外が完璧すぎる為か誰も口を出せない。

 臣下達はそっと目を逸らし、見て見ぬふりだ。

 あまりにも彼がうるさかったので「王子の心を操ってあなたに恋をさせてあげるわよ!」と貴族達に提案した事もあるのだが、令嬢達には凄まじい勢いで断られている。

 相手は王子、玉の輿である事には違いない――のだが、その玉の輿を狙う令嬢達がどん引きする程に、彼の愛情表現は熱烈、はっきりといえばうざったく感じられるのだった。

「ああ、お前のさえずる声をベッドの中でも聞けたら――」

「それ以上言ったら追い出すわよ」

 ひきつった笑みを浮かべて、なおも続く彼の言葉を遮る。

 非常に残念な事に、この変態王子はルチアの幼なじみだった。

 ルチアの両親――ルアルディ家の現当主は宮廷魔術師であり、ルチアは幼い頃から王城に出入りしている。その際に彼に気に入られ、以来ずっとつきまとわれているのだ。

 妹姫の方が年が近いというのにも関わらず、ルチアはこの王子の遊び相手に任命された。魔術学院の門戸をくぐる12歳までは、毎日のように顔をつきあわせていたのだ。

 その頃は、彼はまだ普通の少年だった。

 少なくともルチアの記憶の中では、日々砂糖菓子のような甘い――そして変態的な言葉を吐くような人間ではなかった。

 しかし、だ。

 14歳で中等魔術学院を卒業した後に再会した彼は、何故かルチアに対してのみ盲目的に愛を囁く残念な人物になっていた。

 それまでルチアの中で築かれていた「良き幼なじみ」は、その時から「厄介で変態な腐れ縁」へと変わったのだ。

 たった二年の間に彼に何があったのかは分からないが、とりあえず、ルチアの精神に対して多大なる破壊力を持つ人物に育ってしまった事だけは確かだ。

 就職活動――就活で疲れたというのに、とどめのようにアロルドが現れた事によって、ルチアの気力はもう無いに等しかった。許される事ならベッドに倒れ込んで眠り、全てを忘れてしまいたい気分だ。

 乱暴な仕草でカウチに歩み寄り、ドサリと音を立てて腰を落とす。本当はソファに座りたい所だが、さっきまであの変態が寝そべっていたのだ、座る気になどなれなかった。

「おやルチア、カウチに寝そべって俺を誘うとは積極的」

水の精霊(アクア)、お願い」

 何故か嬉々として近寄ってきたアロルドに精霊(スピリトス)をけしかけ、深々とため息をつく。なぜこんな疲れる事をしているのだろう。この変態にはさっさとお帰りいただき、愛しのペットと共に毒草に囲まれる憩いの一時を過ごしたい。

「カリーノ、早く戻ってきてこの変態を駆逐して……」

 手を組み合わせて瞳を伏せ、赤と黄色に彩られたその姿を思い浮かべる。

 整った面差しに憂いを宿すその様は息を飲むほど美しい――のだが、頭の中は毒草と巨大ドクガエル、周囲には水浸しの次期国王だ。

 本人も「残念」の部類に首まで浸かっている事に気づかない辺りがルチアだった。魔女だ魔女だと言われ続けたせいか、怒りはしても周囲の評価など気にしなくなったのだ。

 その結果として日々暴走しているのだが、使用人達ももはや見慣れてしまったのか何も言わない。侍女達が時折目元を押さえる程度で、大抵の事は受け入れられてしまっている。

 そう、受け入れられてしまっているのだ。

「毎度の事ながら、僕は胃が痛い……」

 もう一人の幼なじみの胃に、多大なる負担をかける事と引き替えに。

「あらニコラ、やっぱりいたのね」

 扉のすぐ横から聞こえてきた声に、ルチアはようやく彼の方へと顔を向けた。

 アロルドがいる時点で彼も来ている事に気づいていたのだが、今まで一切視界に入らなかったのだ。

 無理矢理ルチアの視界に入り込もうとするアロルドが邪魔で見えなかった、とも言う。

「やっぱりって、気づいていたなら挨拶くらいしてくれても良いじゃんか、ルチア。僕、ずっと二人と一緒にいたのにさ」

「ごめんねニコラ」

 珊瑚色の唇を尖らせる彼に向かって、肩をすくめて謝る。

「挨拶する前にこの変態をどうにかしなければと思って」

「……あのねルチア、たとえ変態で救いようのないルチア馬鹿でも、アロルドは王子なんだからね、どんなに残念に育っていても次期国王なんだからね」

 さらりとルチアよりもひどい事を言って、彼はアロルドにハンカチを差し出した。

「はい、アロルド。ルチアは疲れているんだから、さらに疲れさせるような事しちゃだめだよ」

 ハンカチで顔を拭うアロルドを見上げ、細い腰に手を当て言い放つ。

 ふわふわとした亜麻色の髪がその動きに合わせて揺れ、白い肌を彩った。

 大きな茶色の瞳に厳しい色を浮かべてアロルドを叱る彼は、男だとは思えないほどに可愛らしい。魔術学院内で毎年行われる女装コンテストでは毎年(参加していないというのに)ぶっちぎりで優勝を飾っていたし、異性よりも同性から言い寄られる事の方が多い。

 しかし、彼は紛れもなく男だった。

 ニコラ・リオーネ。

 彼はルチアの幼なじみであり、アロルドの乳兄弟だ。

 可憐な少女にしか見えない19歳の彼は、この春にルチアと共にコラリウム王立高等魔術学院を卒業していた。その後はアロルドの従者として王城に勤めるようになり、日々暴走する彼の後片付けに奔走させられる日々を過ごしている。

 魔術師でありながら職――それも高給職を得ている彼は羨望の的のはずなのだが、何故か羨ましがられるよりも哀れまれる事の方が多い。

 その原因はこの変態王子にある事を、ルチアはもちろん、ニコラ本人もしっかりと理解していた。

「悪いなニコラ。ルチアが――」

「ルチアがとても魅力的なのは分かったから、顔を拭いてねアロルド。僕、陛下と王妃様にアロルドの事頼まれてるんだから。風邪なんてひいたら公務に差し支えるでしょ」

 生まれてこの方ずっと共に過ごしてきた為か、彼は慣れた調子でアロルドの言葉を遮る。

 てきぱきと湯浴みと着替えを用意させるその手腕は、彼にしか発揮出来ないものだった。ルチアの事以外に関しては完璧すぎるこの王子に指図出来る者など、ごく少数なのだ。

「はい、さっさと湯浴みしてきて。言う事を聞かなかったら、陛下に頼んでルチアに会いに行けないくらい公務増やしてもらうからね」

 子犬のように愛くるしい笑みでアロルドを脅し、ニコラは彼を部屋から閉め出す。

 ようやく訪れた平穏に、ルチアは深々とため息をついた。

「助かったわニコラ。あなたはわたしの英雄よ」

 感謝の言葉を口にすれば、曖昧な笑みが返ってくる。

「そう思うなら、僕の胃を痛めないで欲しいんだけどなぁ」

 定期的に胃薬を処方されている彼の言葉を聞き流し、ルチアはカウチに寝そべった。ワンピースの裾が豪快に乱れるが気にしない。アロルドはともかく、ニコラに見られた程度で動揺するような精神は持ち合わせていなかった。

 そもそも、彼はこの春まで同級生だったのだ。精霊魔術の授業では互いに精霊(スピリトス)を駆使し、毎回服が焼け焦げるまで戦った仲だ。この程度など気にも留めない。

「わたしにアロルドをどうにかしろって言うの?」

 そのままの体勢で、ニコラを見上げる。

「お断りよ、何の為にわたしが就活しているのか分からなくなるじゃない」

「そうなんだよね」

 ルチアの言葉に、ニコラが肩をすくめて苦笑した。

 彼がソファに腰を下ろしたのを見て、体を起こす。

「お疲れ様、ルチア。花街の求人はどうだったの?」

 その言葉に、ルチアは首を振った。眉間に皺を寄せて端的に答える。

「駄目だったわ。というか、そもそも魔女の求人じゃ無かったわ」

 書類の内容を思い出せば、口の中に苦いものが広がる。慣れているとはいえ、魔女というだけで偏見に晒されるのは不愉快だった。

 ぐったりとカウチに身を預けるルチアを見て、ニコラが表情を曇らせる。

 三つ年上のこの幼なじみは、ルチアの大切な相談相手だった。

「やっぱり厳しいんだ」

 ぽつりと呟いて、彼は少し躊躇うような仕草を見せてから口を開く。

「やっぱり、宮廷魔術師の職を辞さない方が良かったんじゃない?」

 その言葉が、ルチアの肩にズシリとのしかかった。

「それを今言われると、ね……」

 非常に痛いものがある。

 この春に抜擢された魔術師達の頂点――宮廷魔術師の職を蹴るに至った過程を思い出し、ルチアはズキズキと痛む頭を押さえた。

 実はルチアは、魔術学院卒業時に職を得ていたのだ。

 飛び級を繰り返して最年少で高等魔術学院を卒業したルチアは、宮廷魔術師の職を賜った。ルアルディ家の跡取り娘として、輝かしい一歩を踏み出したのだ。

 しかし、その輝かしい一歩は三日後には悪夢への入り口だった事が判明した。

 宮廷魔術師は、王に仕える魔術師だ。ほぼ毎日のように王城に通い、魔術によって国と王を守る。

 そう、ほぼ毎日王城に出向かなくてはならないのだ。

 そして王城には、熱烈にルチアを口説くアロルドがいた。次期国王なのだから、当然の事ではある。

 登城する度にかけられる甘い言葉と一日中付きまとう彼に耐えきれなくなったのは、一月後の事だった。体中に発疹が浮き上がり、そのままパッタリと倒れてしまったのだ。

 半月ほど寝込んでいる間も、ひどくうなされていたらしい。

 同期や両親、上司、さらには国王にまで哀れみの眼差しを向けられつつ、ルチアは宮廷魔術師の職を辞す事にした。

 晴れて無職の身になったルチアだが、屋敷で趣味に没頭して親の財産をいたずらに浪費するなどプライドが許さない。働かざる者は食うべからずだ。

 王城ならばいくらでもツテがあるが、アロルドがいる限り使えない。彼のせいで宮廷魔術師を辞す事になったのだから当然だ。

 残された道は「王城に全く関係の無い場所で働く事」だった。

 しかし、ここはコラリウム王国だ。

 魔術師――特に魔女に対して、国民の目はこれ以上にないほど厳しい。

 かくして、ルチアは就職氷河期を味わう事になったのだ。

「……もうしばらく、静養していても良かったんじゃない?」

 気遣うような言葉に首を振る。

「嫌よ」

 寝込んでいた時の事を思い出し、ルチアは鳥肌の立つ腕をさすった。

「や、屋敷で大人しくしていたらほぼ毎日アロルドが見舞いと称して顔を見せに来るじゃないの……!」

 周囲が騒がしいと思って目を覚ましたらアロルドが部屋に押し入ろうとしていた、という事が多々あったのだ。番犬のように彼を威嚇してルチアを守り抜いた愛しいペットに、何度感謝した事か。

 そうでなくとも、見舞いと称して送られる大量の花束(ルチアの好みを反映してか毒草)や長すぎる手紙(と称すべきか判断に困る口説き文句の羅列)に屋敷中が震撼していたのだ。おちおち寝込んでなどいられない。

 ルチアの目標はさっさと職を見つけてアロルドと顔を合わせる暇も無いくらいに働き、充実した生活を送る事なのだ。

「それにね、ニコラ。若い娘が働きもせずに暮らしていたら、すぐに政略結婚を申し込まれるじゃないの」

 それこそ最悪だ。

 市井の民には忌避される魔術師だが、貴族の間ではその傾向が和らぐ。

 優秀な魔術師を輩出すれば、莫大な富が転がり込むからだ。

 事実として魔術師と貴族の家系が政略婚を行う事は多いし、貴族の殆どは魔術師の血を引いている。そして、宮廷魔術師にまで上り詰める者達は、総じて莫大な財産を築き上げていた。

 職を辞したとはいえ、元宮廷魔術師であるルチアは魔術師の中でも飛び抜けて優秀だと言える。少々――いや盛大にぶっ飛んだ言動ではあるが、容姿だって愛らしい。加えてルアルディ家の跡取り娘だ。多少の事に目を瞑れば、これ以上無い程の優良物件なのである。

 ルチアに婚約の話が持ちかけられるのは、時間の問題だった。

 しかし、ルチアの言葉を聞いたニコラは何とも言い難い表情を浮かべる。

「……それなんだけどね、ルチア」

 ひどく言いにくそうに口ごもりながら、彼はルチアを上目遣いに見上げた。

「何かしら」

 その表情にただならぬものを感じ、ルチアは表情を強ばらせる。

 何だろう、そこはかとなく嫌な予感がする。魔術師は勘が良いのだ、この嫌な予感は気のせいではない。

「実は、アロルドが」

「もう遅いぞルチア」

 何かを言いかけた彼の言葉に被さるようにして、アロルドの声が響いた。

 思わずそちらへと顔を向ければ、湯浴みに行ったはずの彼が佇んでいる。

 白銀の髪は濡れそぼり、透明な滴がぽたぽたと垂れていた。

 純白のローブとルームシューズに身を包んだ彼は、何故か得意げに胸を張る。

 自分の部屋でもないというのにソファにふんぞり返った彼は、ルチアを見て勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

「婚約なら、もう俺が申し込んだ」


 部屋から爆発音が聞こえたのは、その数秒後の事である。


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