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2 就活戦線異常有り、変態前線ここに有り

 ブーツの踵が、カツンと硬質な音を立てる。

 苛立ちを隠す事もせずに石畳を蹴りつけながら、ルチアは花街を歩いていた。

「まったく、いつもの事ながら何だって言うのよ!」

 湧いてきた怒りは収まらない。毎度の事とはいえ、不快なものは不快なのだ。

 法の整備が行き届いた国として有名なコラリウム王国は、その一方で「魔術師」に対する風当たりが強い国としても有名だった。

 魔女、魔法使い、魔術師。

 様々な呼称を持つ彼らは、魔力――魔術を扱う力を生まれながらにして持ち、精霊(スピリトス)達を見る事の出来る、人に紛れて暮らす一族だ。

 遙か昔から、彼らは人に混じって暮らしていた。

 人々は彼らを崇めると同時に畏怖し、彼らは人々を助け導くと同時に支えられる。

 魔術を使う以外は全く人と変わらない彼らは、そうやって上手く支え合って生きてきたのだ。

 ルチアが魔術学院で専攻していた薬草魔術学などはその良い例で、薬草の効能と育成方法を学び、魔術によって薬の精製を行う学問だ。かつては引く手数多で、職に困る事など考えられないような魔術だった。

 そう、かつては、だ。

 現在のコラリウム王国において、魔術、とりわけ魔女は忌避の対象となっている。

 原因は、今から約150年ほど前の「魔女の悪夢」だった。

 当時の王が、一人の魔女に惑わされて国を傾けたのだ。

 その魔女は、よりによって宮廷魔術師――魔術師の中でもほんの一握りの者しか付く事が出来ない要職についていた。

 魔術師の頂点、国の為に魔力を振るう存在であるはずの魔女が国を傾けた事により、コラリウム王国民の魔術に対する印象は一気に悪くなってしまったのだ。

 150年ほど経った現在でも、魔術師であるとばれればあからさまに避けられる。買い物に行けばぼったくりに遭うし、飲食店で入店を拒否される事など日常茶飯事だ。さらには暴力に晒される事も少なくない――ルチアは逆に叩きのめしてやったが。

 とにかく魔術師、特に魔女はとことんまで忌み嫌われていた。

 魔術が疎まれるならそれを修めなければ良いのだが、そう上手くはいかない。

 どんなに力の弱い魔術師であろうとも、戦場に出れば一人で小隊程の戦力になる。本人が魔術を使わなくとも、大気中を漂う精霊(スピリトス)が魔術師を守ろうと勝手に動き回るからだ。極端な例えだが、生まれたばかりの赤子を戦場に放り込んでも、訓練された兵士以上の戦力になるのである。

 そんな存在を、国が放置するはずもなかった。

 魔力を持つ者は衣食住を保証され、魔術学院で魔術を修めなければならない。全くありがたくない事に、コラリウム王国では法によってそう定められている。

 卒業した後、優秀な者は国に仕え、有事の際にはその力を振るう。

 その魔術師達の中でも特に優秀な者のみが「宮廷魔術師」として王城に勤め、日々国王と共に政治に携わっていた。王家を守り、騎士のように剣となり盾となるのだ。

 そこに必要なのは魔術師としての技量であり、貴賤は問われない。

 魔力を持つ者にとって、この法は彼らを魔術師たらしめるものであると同時に救済措置でもあった。能力さえあれば、どこまでも這い上がれるのだ。

 一方でそれ以外の者はどうかというと、職の斡旋が行われていない。

 有事の際には軍に所属する事だけを誓わされ、あとは各々で身を立てるように言われる。最低限の衣食住が保証されているが、当然ながらそれだけで生活していくのは厳しい。薬草魔術が薬草を必要とするように、大抵の魔術は媒介を必要とする。何かと物入りなのだ。

 しかしここはコラリウム王国、何度も言うが魔術師に対する風当たりはとても強い。

 求人情報を求めて職業相談所に行けば、罵声と共に追い出される。

 奇跡的に求人情報をもらえたとしても、先程のルチアのように追い返されるのがオチだった。

 国外に出れば待遇も変わるのだろうが、魔術師は「戦力」だ。

 最低でも一個小隊――下手したら大軍にも匹敵する力を持つ魔術師達を、国がそうやすやすと手放すはずがない。

 魔術師が国外に出るには国王直筆の許可証が必要であり、それには気の遠くなるような時間と莫大な金銭を必要としていた。とてもではないが、一般の魔術師達が払えるような金額ではない。

 だからと言って亡命でもしようものならば、宮廷魔術師達に地の果てまで追いつめられる。国内最高峰の魔術師達を相手取る勇気と無謀さを兼ね備える者など、この国にはいなかった。誰だって命が惜しい。

 結果として、ほとんどの魔術師が日々就職活動に明け暮れる日々を過ごしている。

 「傾国の魔女」は、人だけでなく魔術師にとっても忌々しい存在だった。ルチア達魔術師の就職活動が難航しているのは、ひとえに彼女のせいなのだ。歴史書によれば国外追放されたとあるが、ルチアはいまだにその理由が理解出来ない。

 花街を出て細い路地を抜け、街と街道の境が曖昧な場所までたどり着く。

 コラリウム王国の王都には防壁がない。地形的に攻め込まれにくい上に、宮廷魔術師達が結界を張っている為だ。

 丁寧に編み込まれた髪を、ルチアは乱暴に解いた。たっぷりとした腰までの髪は、ゆるく波打ちながらルチアの背を覆う。

 頭部の開放感にほっと息をついてから、ルチアは口を開いた。

「カリーノ!」

 その声に、こんもりと茂った草の塊がガサガサと揺れる。

 一拍を置いて飛び出してきた愛しいペットを、ルチアは両腕を広げて受け止めた。

「こんなところで待たせてごめんね、カリーノ! 寂しくなかった?」

 日の光を浴びてつやつやと輝く体に腕を回し、自分よりも大きな顔に唇を押しつける。

 そのまますりすりと頬を擦り寄せれば、カリーノが満足そうに喉を鳴らした。

 カリーノはルチアのペットだ。大抵は行動を共にし、どこに行くにも付いてくる。

 しかし職業相談所を訪れた際に全力で拒絶された為、今回は人気の無い場所で待たせていた。憲兵達がカリーノを花街に入れてくれなかった事も、理由の一つだ。

 大きな黒い瞳を瞬かせて自分を見下ろすカリーノに、先程までの怒りをすっかりと払拭される。

 薬草を採取している時に出会ったこの愛らしい生物を、ルチアはこれ以上無い程に溺愛していた。家族や級友、使用人達がルチアの頭を心配しようがどん引きしようが、ルチアにとってカリーノは最愛のペットなのだ。

「ああもう本当に今日も可愛いわねカリーノ! 雄だなんて本当に信じられない! 乗り心地が『最高に最悪』な所も含めて大好きよ!」

 ちなみに、馬程もある体躯を持つカリーノは騎乗用でもある。ルチアがブーツと鞭を身につけているのは、普段から彼に乗って移動するからだった。

 いつものように彼を絶賛し、だらしなく頬を緩める。

「用事は終わったから、早く帰りましょう! 屋敷に着いたら、とっておきの毒草を食べさせてあげるわね!」

 うきうきと弾む声で、ルチアはそう宣言した。

 ルチアの言葉を理解したのか、カリーノがその体を震わせる。

 一度騎乗すれば水陸両用の素晴らしいパートナーにもなるカリーノはルチアを見下ろし――

「ゲコッ」

 喜びの声を上げた。

 目に痛い程鮮やかな赤と黄色の色彩を持つ表皮に体を擦り寄せ、ルチアは満面の笑みを浮かべる。

 ああもう、どうしてこのペットはこんなにも可愛らしいのだろうか。

「嬉しい? そうよね、だってカリーノは毒が大好きな巨大ドクガエルだもの!」

 もう一度唇を押しつけてから体を離し、自分の身長よりも高い位置にある鞍へとよじ登る。

 ――ルチアが職業相談所を追い出された理由は、彼女が魔女であるだけではなさそうだった。


***


 ルチアの屋敷は、上流階級の邸宅が立ち並ぶ地区の中でも一際目を引く。

 それも当然だ。約150年間以上もの間存在する屋敷には白い石がふんだんにあしらわれているし、細部にまで施された彫刻はどれも美しい。建築様式は現在では失われてしまったものであり、柱一本とっても値段のつけられないほど貴重なものだった。

 そして、とにかく敷地が広い。

 庭園や温室はもちろん、敷地の中にはちょっとした沼――池ではない、沼だ――や林まで存在しているのだ。

 初めて訪れる者はまず間違いなく迷い、下手をすれば遭難しかける。

 それが、数多くの宮廷魔術師を輩出する家柄としてその名を轟かせるルアルディ家の屋敷だった。

 その家の一人娘でもあるルチアは生まれてこのかた16年、ほぼその屋敷で暮らしている。何年かは学院寮で暮らしたが、それ以外はずっと生家で暮らしていた。

 ――はずなのだが。

「ここはわたしの部屋だった……はず……よね……?」

 目の前に広がるものが理解出来ず、ルチアは呆然とする。

 おかしい。勝手知ったる屋敷のはずなのに、なぜ自分は廊下で立ち尽くしているのだろう。

「ああルル、お前は今日も格別に美しいな」

 自室の扉を開いた途端に飛びこんできた光景にしばし硬直していたルチアは、我に返るなり扉を閉めた。

 パタンと静かな音が響き渡る。

「カリーノ、わたしったらドジね、部屋を間違えてしまったみたい」

 鞍をはずしてたっぷりと毒草を与えた愛しいペットに向かって、ルチアはひきつった笑顔で声をかけた。

 まだ夏ではないというのに、背に汗が伝っている。

「うふふ、わたしが出かけている間に模様替えでもしたのかしら」

 それなら、誰か使用人をつかまえて部屋の場所を聞かなきゃ。でもその前に、もう一度だけ毒草の様子を見に行きたいわ。

 ああそうそう、それにわたし、今日は温室で一晩過ごそうと思っていたのよ――。

 誰にともなくまくし立ててみたが、ルチアの言葉を聞くものはいない。

「……残念だけどルチア、模様替えはしていないんだよ」

 いや、いた。

 音もなく扉が開かれ、再びその光景が晒される。

「ああルル、俺の女神」

 ルチアの自室で、一人の男が熱っぽい眼差しを描に向けていた。

 男はすらりと伸びた体躯をルチアお気に入りのソファに投げ出し、ややはだけた胸の上に赤毛の子猫を乗せている。子猫の毛色は、ルチアの髪と似たような色合いだった。

 にゃあにゃあと鳴く子猫にアメジストのような瞳を向け、男は色気の滲む声で睦言を囁く。

 長く伸ばされた銀の髪が、滝のようにソファに広がっていた。繊細さと精悍さを併せ持った面差しは驚くほど美しく、珍しい色彩の髪と瞳も相まってどこか浮き世離れした印象を与える。

「お前はどうしてそうつれないんだ」

 子猫の口元に指を当てる仕草はひどく優雅で、艶めかしささえ感じられた。

「海の底のように深い青の瞳で俺を見つめてくれないのはなぜだ、ルル。俺はいつもお前だけを見つめているのに」

 歯の浮くようなその言葉を聞いて、子猫と同じ色合いの瞳を持つルチアの背に悪寒が走る。

 視線を落とせば、腕に鳥肌が立っていた。

「ルル。愛しい俺のルル」

 男は吐息混じりの声で囁き、とろりととろけた眼差しで猫を愛でている。もしその声や眼差しが自分に向けられたら、どんな令嬢だって恋に落ちてしまうだろう――ルチア以外は。

「もちろんそれがお前の魅力だと理解している。だが、たまにはこの俺に甘えてくれても――」

 残念ながら、ルチアがこの男に抱くのは恋情ではなく悪寒である。

「カリーノ、運動の時間よ」

 手っとり早くこの悪寒を退けるべく、ルチアは平坦な声で呟いた。

 次の瞬間に、男の上でくつろいでいた子猫が毛を逆立てる。

「どうしたルル、何を怯えている? 大丈夫だ、俺の名にかけてお前を守……」

「ゲコッ」

 男の言葉を遮るようにカリーノが鳴き、のそのそと男へと接近した。

 目に痛い色合いの巨大ドクガエルが、男と子猫を睥睨する。

 その瞬間に、子猫が暴れ出した。

 口元に差し出されていた男の指に思い切り噛みつき、その胸に爪を立ててから飛び降りる。

 開け放たれていた窓へとよじ登って部屋から脱出を遂げた子猫を追って、カリーノが突進した。

 強靱な脚力を駆使して驚異の跳躍を披露し、庭園の方角へと逃走する子猫を追跡する。

 愛しいペットを見送って、ルチアはやれやれと肩をすくめた。

 カリーノはどうやらあの子猫が気になるようで、姿を見かける度に追い回しているのだ。

 巨大ドクガエルは毒草しか食べないし、そもそも無毒だ。子猫が食われる事はないだろう。追いかけ回されるのは気の毒だが、それはこの屋敷まで愛描を連れてきた男が悪いのだ。

「ルル!」

 がばりと体を起こして窓辺へと駆け寄った男が顔を歪め、苦しそうに胸元を握りしめる。

「くっ、あの巨大ドクガエルめ、よくも俺の女神を……!

 ああ、愛しいルルが今頃恐怖にうち震えているかと思うと、俺は――」

 うるさい。

 忌々しげな顔で愛しいペットを睨む男の肩をポンと叩き、ルチアは額に青筋を立てた。

「人の愛称を猫につけた事とかわたしの部屋に勝手に入り込んでくつろいでいる事とか、聞きたい事はたくさんあるんだけれど――」

 振り向くなり両腕を伸ばしてきた男から素早く逃れ、人差し指を突きつける。彼は愛描よりも、自分の身を心配すべきだ。

 ルチアの怒りに反応して、周囲を漂っていた精霊(スピリトス)達が集まってくる。

『攻撃?』

『攻撃する?』

 何やら物騒な事を楽しそうに提案し始めた彼らに首を振ってから、ルチアは深く息を吸った。

 色々と聞きたい事はあるが、今はとりあえずこれだけ言わせて欲しい。

「ああルチア、帰ったのか。それは街で流行りのワンピースだな、やはりお前は何を着ても似合――」

「うるさい黙れ侵入者」

 彼の賛辞をすっぱりと断ち切り、ルチアは拳を握りしめた。

「つれないな」

 目の前で色気を振りまきながら肩をすくめる男に顔をしかめ、怒りに震える声を絞り出す。

「何でこんな所にいるのよ、あなたは――!」

俺の女神(ルチア)を愛でる為に決まっているだろう。あと、出来ればそのままお持ち帰りする為に」

 ルチアの叫びに、男――コラリウム王国第一王子、アロルド・デ=コラリウムが輝くような笑顔で即答した。


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