1 魔女募集、ただし魔女除く
コラリウム王国は、海沿いの国だ。
温暖な気候と肥沃な大地に恵まれ、内陸部では農業、沿岸部では海産業が発達している。
また海路を使った貿易にも力を入れており、貿易の要としての役割も有していた。
観光地としての一面もあり、美しい海や豊かな自然に恵まれた山間部には観光客が絶えない。
中でも白い石で作られた王都の町並みは格別に美しく、宝石とまで讃えられる程だった。
それは、娼館の集う通り――王都唯一の花街であるこの通りでも変わらない。
日が沈むと多くの灯りで彩られる夜の街は、日の光を浴びて白く輝いていた。
まだ日が高い事もあり、行き交う人々は多くはない。極彩色の服を纏った女達が行き交う景色は何とも目に鮮やかで、石畳の白がより際だって見えた。
建物の扉には、様々な意匠の彫刻が施されている。花や月、幻獣が彫り込まれ、綺麗に着色された彫刻は、この花街における看板代わりだった。
まるで芸術品のようなそれは随分と複雑で、細部までじっくりと見なければ店を特定する事が出来ない。
ルチア・ルアルディは扉の前に佇み、真面目な顔で彫刻を眺めていた。
精緻な意匠を眺めるサファイアの瞳には、真剣な光が宿っている。丁寧に編み込み結い上げられた髪は炎のような色合いで、花街を行き交う同性達の中でも一際目を引いていた。16歳という年齢にそぐわない存在感がそこにはある。
「これも、違う……」
小鳥のさえずりを思わせる声音で呟いて、難しい顔のまま身を翻す。ブーツの踵を石畳に叩きつけるたびに、カツカツと硬質な音が響いた。
柔らかな生地のワンピースが風を孕み、パタパタとなびく。
花街で店を探すには、扉の彫刻を確かめるしかない。差し出された書類には地図が無く、店を探すには彫刻の模様だけが頼りだった。
周囲を行き交う人に訊ねるという手もあるが、仮にもここは花街だ。声をかけるのはさすがにためらわれたし、そもそも日が高いこの時間帯は人影もまばらだった。加えて、行き交う人々は観光客といった風体の者ばかりだ。訊ねても分かる気がしない。
「……話には聞いていたけど、本当に観光客ばっかりなのね」
ぽつんと呟いて、ルチアはある種異様な光景に肩をすくめた。頭の隅で埃を被っていた知識を引っ張り出し、埃を払って広げる。観光客が花街へとやってくるのには、勿論理由があった。
コラリウム王国は、法の整備が行き届いた国でもある。
たとえ花街と言えど営業には許可を必要としており、強制的に労働を課す事は許されない。求人広告を出し、法によって定められた最低限の給与と待遇を与える事が義務づけられていた。
地方の都市ならばいくらでも抜け道はあるだろうが、何しろここは王都だ。監視の目はどの街よりも厳しい。花街にも憲兵が配置され、日々目を光らせている。治安が良いのだ。
その上、余計な看板が無い為か街並みも整然としている。美しい景観を楽しむには、これ以上ない程良い場所だ。
結果として、昼の花街は観光名所の一つにも数えられていた。
観光客に紛れつつ、ルチアは扉を見て回る。
4件目の扉を眺める頃には、その眉間にくっきりとしわが刻まれていた。
もともと人混みは好きではないのだから、仕方がない。
それに、と僅かに表情を曇らせる。
何よりも、毎朝欠かさずに行っている植物の手入れをさぼってきた事が気がかりだった。
夏に向けて徐々に温かくなるこの季節だ。ルチアが丹精込めて世話をしている植物達は、今頃存分に光を浴びている事だろう。気温もさほど高くは無いし、一日放置した程度ならば枯れないはずだ。
しかしルチアが心配しているのは、植物を枯らす事ではない。
育てている植物の中の一部――いわゆる毒草に分類されるものの成長具合だった。
欠かさずに手入れをした甲斐があり、毒草達は最適な環境下で育っている。ルチアが数年に渡る改良を重ねた事もあり、毒性は自生しているものとは比べようがないほど強い。
「周囲に被害が出ていなければ良いんだけど……」
何しろ数が多いし、育てている毒草の種類は多岐に及んでいる。薬になるものもあれば、触れただけで相手を気絶させてしまうものもある。
特に空気中に毒を散布するものは、下手をしたら屋敷中に甚大な被害が出てしまう。出来る事ならば、今すぐに帰って摘み取りたかった。
「でも、やっぱり早朝に摘み取るのが一番相性がいいのよね……柔らかくて仕込みやすいし、味もえぐみがないみたいだし。ある程度ストックはあるんだから、明日の朝まで待つべきかしら。
ああでも、やっぱり今日の間に様子を見ないと危ないわよね。この前も痺れ毒が屋敷中に充満したし」
晴れやかな空気に似合わない発言をしつつ、7件目の扉へとたどり着く。
汗の滲んだ額をハンカチで拭い、ルチアは小さく吐息をついた。花街に来たのはこれが初めてだが、予想していたよりも入り組んでいて分かり辛い。詳細な地図でも用意してくるべきだったか。
小さく悪態をついて、彫刻の意匠を確かめる。
次の瞬間に、ルチアは顔を輝かせた。
「あった!」
小さく声を上げ、拳を握りしめる。
ずいぶんと手間がかかってしまったが、ようやく見つけたのだ。
「店にたどり着く事も出来ないだろう」と意地の悪い笑みを浮かべていた幼なじみの顔に心の中で拳を叩き込み、ふんと鼻で笑う。ざまあみろだ。
控えめに扉を叩き、ルチアは声を上げた。
「えっと……すみませーん」
ギイギイと軋んだ音を立てつつ、分厚い木の扉を押し開ける。
その途端に、観光客の視線がルチアの背に突き刺さった。
それも当然だ。若い娘が娼館を訪ねているのだから、目立たない方がおかしい。
好奇の視線を一身に浴びながら、中の様子を伺う。
真っ先に目に飛び込んできたのは、派手派手しい内装だった。
絢爛豪華に見える調度の数々が存在を主張し、装飾された柱はきらきらと輝いている。
どこの貴族かと見紛う程の内装はしかし、ルチアの目には悪趣味に見えた。
「……メッキね」
一瞬でその正体を見抜き、やれやれと肩をすくめる。なぜこんなに悪趣味な内装にしてしまったのだろうか、とても気になるところだ。
その装飾過多な空間の奥で、ゆらりと人影がゆらめいた。
「……誰?」
女にしては低い声が耳に滑り込む。
その声に、ルチアは小さく息をついた。急にばくばくと音を立て始めた胸を押さえ、深呼吸を繰り返す。
ルチアにとって、これは人生設計に関わってくる一大事なのだ。ルチアの将来は、今この瞬間にかかっているのだ。
何とか心を落ち着かせてから、ルチアは努めて穏やかな声で言葉を紡いだ。
「ルチアと言います。求人情報を見て来ました」
「求人?」
部屋の奥から、訝しげな声が帰ってくる。
「……ああ」
黙って様子を窺っていると、声の主はようやく思い当たったようだった。
「ちょっとそこで待っていて」
「はい」
緊張のせいかやや上擦った声で答え、服装の乱れを整える。
内側から扉が開かれた時には、ルチアの準備は万端だった。
「はじめまして、わたくし、ルチアと申します」
笑みを浮かべてからワンピースの裾をつまみ、優雅に礼をしてみせる。
声音から指先に至るまで完璧に計算しつくされたルチアの立ち姿に、扉を開けた女が息を飲んだ。
「どうかいたしまして?」
おっとりと首を傾げて笑みを深め、彼女に問いかける。
「……いや」
戸惑ったように答える女を、ルチアはそれとなく観察した。
年齢は、30代の半ばだろうか。目元に小皺が目立つが、すっきりと整った顔立ちをしている。明るい茶色の瞳と短く切り揃えられた髪がその顔立ちを引き立てていて、中性的な魅力を醸し出していた。
ゆったりとしたワンピースとガウンに包まれた体は細く、長い袖から見える指先は節くれ立っている。
労働を知る者の体だ。
元は罪人か、農家の娘だったのだろうか。
笑顔の裏でそんな事を考え、ルチアは観察を続けた。
身分を問わず、女性が髪を伸ばすのは昔からの風習だ。髪を短く切られる事は屈辱であり、女性に対する刑の一つにもなっている。
罪人の烙印を押されて働く事が出来ず、帰る場所も見つけられず、花街に流れ着いたとでもいうところだろうか。
どこか自分と似通った境遇にほんの少しだけの哀れみを覚えたが、すぐにそれを打ち消す。
境遇で言えば、ルチアの方がよほど厳しいのだ。
この春に高等学院を卒業してからの日々が脳裏を駆け巡る。
職を得る為に民間の職業相談所を訪れれば求人などないと言い切られ、家名を言った途端に建物から叩き出された。それでもめげずに通い詰め、ようやく花街での求人を教えられたのだ。
幼い頃から自分の世話をしてくれた者達には盛大に心配されたが、背に腹は変えられない。
そう、ルチアは追いつめられていた。
ルチアの生家は、代々一つの職に従事している。
とある事情からルチアはその職に就く事を諦め、自立を目指していた。夢は三食昼寝ティータイム付きの生活を送り、日々毒草の育成に励む事だ。
その為にも、まずは職を見つけなければならない。
ルチアが紹介された――かなり投げやりな態度だったが――求人はここだけだ。何としても失敗する訳にはいかなかった。
「……えっと」
女が視線をさまよわせる。
「あんたが、あたしの店で働きたいって事?」
おそるおそるといった体で、彼女はルチアに確認した。
「ええ、そうですわ」
にっこりと笑みを浮かべて肯定する。そもそも、その為だけにこの花街を訪れたのだ。そうでなければ、一生立ち入る事は無かっただろう。
「わたくしのような『魔女』を募集していると、職業相談所の方から聞きまして」
「あんたが?」
その言葉に、女が何とも形容しがたい表情を浮かべた。
品定めするように向けられた視線を、笑みを浮かべたまま受け止める。
ルチアの立ち姿は、完璧だった。
どの角度から見ても非の打ち所のない姿勢と計算しつくされた優雅な仕草は、ルチアが上流階級の出身である事を物語っている。身につけているのは街で流行のワンピースだが、ルチアの動きに合わせてしっとりとまとわりつく布地は、一目で高級品だと知れた。
ルチアが金銭に困っていない事は明らかだ。
それ故に、女は困惑していた。
法の整備が行き届いているとはいえ、ここは娼館だ。集まった娼婦は、金銭に困って身を売るようになった者が多い。ルチアのように金銭に困っていない者が、進んで働きたがる場所では無かった。
ではルチアがごくごく稀にいる色狂いの類に見えるかといえば、そうではない。
ルチアの色彩や顔立ちは華やかだが、肌の露出を控えた佇まいは貞淑な令嬢そのものだ。使い込まれたブーツと腰に吊された乗馬用の鞭が目に付いたが、ここまで馬で来たのだと考えればおかしな事はない。
「えっと、ここは娼館なんだけど」
「ええ、知っていますわ」
再度確認するようなその言葉に、ルチアはしっかりと頷いてみせる。もちろん知っていた。承知した上で、花街まで来たのだ――求められていたから。
説明された内容を思い返し、柔らかな声で女に問う。実は、渡された書類は読み込んでいなかった。職業相談所からこの店まで直行したのだ。
ルチアにとって、就職活動は時間とタイミングの勝負だ。早く行かなければ他の者に職を取られてしまう。
「『魔女』をお探しだったのでしょう?」
その言葉に、女が訝しげな表情を浮かべた。
「え? ……ああ、まあ」
歯切れの悪い女の返事に内心で首をひねったが、とりあえず気にしない事にする。魔女を募集している事には違いないのだから、問題ないだろう。
「それならば、わたくし、あなたの希望にぴったりだと思いますの」
自分が一番魅力的に見えるであろう角度で首を傾げ、ルチアはどうかしらと笑ってみせた。途端に空気が華やぐ。
どこからどう見ても高度な教育を受けたであろうその姿に、女が唸った。
「あんた、どう見ても良い所のお嬢様だしねぇ……」
困惑した様子の女を見て、密かに拳を握りしめる。
「あら、仕事に生まれは関係ありませんもの。わたくし、頑張ります。きっとお役に立てますわ!」
女の手を握りしめ、ルチアは気合いを入れてアピールした。
「わたくし、こう見えてもこの春にコラリウム王立高等魔術学院を卒業しましたの」
「え」
「専攻は薬草魔術学。風邪薬から媚薬、毒薬まで幅広く精製出来ますわ。副専攻としては精霊魔術――まあ、こちらはいわゆる『魔法らしい魔法』なのですけれど、わたくし、こちらも得意で」
「えっと」
「魔女をお探しという事は、専属の医者や用心棒として、という事でしょうか? どちらでもお役に立てますわ。ちょっと建物を壊したり、間違えて致死量の毒薬を盛ったりしてしまうかもしれませんけれど」
「ちょっと!」
乱暴に手を振り払われる。いきなり声を荒げた女にきょとんとして、ルチアは瞳を瞬かせた。
「どういたしました?」
首を傾げて問いかければ、女は握られた手をワンピースの袖にこすりつけながらルチアを睨んでいる。
「……あんた今、何て言った?」
「え?」
その言葉に、ルチアは自分の言葉を一言一句違えずに思い返した。記憶力は良い方だ。
「たしか『わたくし、こう見えてもこの春にコラリウム王立高等魔術学院を卒業――』」
「それだ!」
悲鳴のように叫ばれ、ぴたりと口を閉ざす。
一体この女は、何を言いたいのだろう。人に紛れて暮らす、不思議な力を持つ一族――魔女や魔術師が魔術学院を卒業するのは、ごくごく当然の事だ。
「それが、何か」
穏やかに問いかけたルチアとは対照的に、女はひどく気が立っているようだった。
「あんた、つまり、魔女なんだろう!?」
わなわなと震える手を持ち上げてルチアを指差し、女はそう叫ぶ。
ルチアが小さく頷くと、女は何も言わずに扉を閉めた。
ぶわりと巻き起こった風がルチアの鼻先を撫でる。
目と鼻の先で閉ざされた扉を見て、ルチアは笑顔のまま硬直した。
「……えっと」
先程までの会話をもう一度思い返す。何か失礼があっただろうか。
「あの、すみません、求人の件は……」
「帰れ!」
扉越しに声をかければ、刺々しい声が返ってきた。
「魔女なんか雇うはずがないだろう!」
「でも、魔女を募集されていましたよね?」
「は!? わざわざ魔女を募集するわけがないじゃないか!」
「え」
その言葉に、職業相談所で渡された書類を取り出す。
書類を見直して、ルチアは顔を引きつらせた。
渡された書類には、たしかに『魔女』という言葉が記されている。
『ふしだらな魔女のように男を溺れさせる、魔性の女募集!』と。
「あの女……!」
投げつけるように書類を渡してきた職員の顔を思い出し、額に青筋を立てる。
風も無いのに、ルチアのワンピースがパタパタとなびいた。
「火の精霊、燃やして」
持っていた書類をぐしゃりと握りつぶし、低い声で呟く。
その途端に、小さな炎がルチアの手を包み込んだ。
書類だけを燃やし尽くした炎は勝手に消え、ルチアの手からさらさらと灰が零れる。
「風の精霊」
ルチアの呼びかけに応えるように風が吹き抜け、灰を舞い上がらせた。
ぱたぱたと掌に残った灰を叩き落とし、首を巡らせる。
ルチアの周囲にだけ、ぽっかりと空間が空いていた。人々は遠巻きにルチアを囲み、ひそひそと囁いている。
お節介な風の精霊達のお陰で、その囁きはルチアの耳にもしっかりと届いていた。
「魔女ですって」
囁かれる内容に、ぴくりと眉が跳ね上がる。
「あのふしだらな?」
「そう、人を惑わす冷血の魔女」
とんだ言いがかりだ。人を惑わすよりも惑わされる事の方が多い気がするし、自慢ではないが相手を籠絡出来た事など一度も無い。
しかし、周囲はそんな事などお構いなしだ。
「何でこんな所にいるのかしら」
「男狂いだからじゃない?」
その囁きが聞こえた瞬間に、ルチアの中で何かが切れた。
被っていた上品な令嬢の皮を脱ぎ捨て、ブーツの踵を石畳に叩きつける。魔力が流れ込んだのか、白い石畳が粉々に砕けた。
小さな悲鳴が上がるが、いつもの事だ、気にする事ではない。嬉しくはないが、生まれてこの方16年も見てきた反応だ。
「……んだってのよ」
震える拳を握りしめ、ぽつりと呟く。
一度口に出せば、ふつふつと怒りが湧いてきた。
ふるふると震える拳を握りしめ、抜けるように青い空を睨み付ける。
「ふざけるんじゃないわよ、魔女だからって何なのよ――!」
心の底からの叫びは潮風に掠われ、どこまでも爽やかな空気に溶けていった。