第42話「サヤはヴァレンスへ帰ります。」
「聞いて欲しいことがあるの」
サヤはまっすぐにユートを見ている。
ユートとしては、うなずくしかない。
「わたしが殺したい人のこと」
サヤは声をひそめるようにした。
殺したい人間が一人。一人いるのだと、昨夜、彼女を探しに行ったときにサヤ本人の口から聞いた。その場は、それ以上発展しなかったわけだけれど、その話の続きを今したいということだろうか。
「わたしが殺したい人はね、クヌプス様の仇なの」
旧主のあだを討ちたいとサヤは言っている。
「ヴァレンス王女、アンシ・テラ・ファリア」
少女の目が少し細まった。
その瞳の奥に一瞬暗い炎が立つのが、ユートには見えた気がした。
隣国の王女を殺したいと、サヤは言う。
ユートは何とも答えようがなく押し黙ったまま、サヤが続きを話してくれるのを待つしかない。
近くから子どもがぐずる声が聞こえてきた。買ってほしいものを親に買ってもらえず、癇癪を起こしたようである。
サヤは間近からじっと見てくる。
ユートはその視線を受け止める。
サヤは顔を離すようにしてから、口をゆっくりと開いた。「……ひいた?」
「……え?」
「ひいたでしょ?」
「え?」
「だーかーらー、わたしへの好感度下がっちゃったでしょって?」
「いや、あの……」
「ああ、言わなくていいから。まあ、そうだよね。ひいちゃうよね、フツー。やっぱ言わなきゃ良かったかなあ」
その口調がこれまでのサヤのものであったので、ユートは緊張を解かれた気になって、ホッとした。しかし、サヤの口から出たことは全然ホッとしていいことではない。法と秩序を重んじる一市民としては、彼女の殺人宣言を聞き捨てにしてはならず、諌めるべきなのだろうけれど、ユートにはかける言葉が無かった。
「人殺しなんか良くないよ」
なんていう言葉しか思い浮かばなかったからである。そんなことを言ったって、それくらいは分かった上で決断したことなのだろうから、意味は無い。
サヤが続けた。
「誰かに聞いて欲しかったんだ。もしかしたら……ていうか、かなりの確率で、わたしは返り討ちに遭って死んじゃうと思う。そうなったときのために、わたしがある意志を持っていたってことを、その意志を持って死んだんだってことを誰かに知っておいて欲しかったの。もちろん、簡単に死ぬ気は無いけど」
意志を知っておいてもらいたい相手というのがなぜ自分なのか、分からないユートだけれど、それを訊き返すほど無神経ではない。代わりに、
「失敗して死んじゃうかもしれないのにやるの?」
と尋ねた。
「うーん、そうなんだよね。ひとから見たらバカなことかもしれないけど、わたしにとっては大事なことだから。それに、どうせ人間いつかは死んじゃうんだし。だったら、自分の心に正直に生きないとね。まあ、これクヌプス様の受け売りなんだけどさ」
答えるサヤの声に暗い色は無い。
「サヤは、その……クヌプスさんとはどういう関係なの?」
「興味ある?」
流れ上訊いてしまっただけのことであるが、興味がないとも言えず、ユートがうなずくと、サヤは嬉しそうな顔をした。
「クヌプス様は、わたしの命の恩人なんだ。わたし、戦災孤児でさあ、五歳くらいのときに、戦で村が焼かれてね。どうにもしようがなくてふらふらしてたところを、通りがかったクヌプス様が助けてくださったの。それから、ずっと面倒を見てくださって、色々と教えてくれて、魔法もクヌプス様から習ったのよ」
サヤは、よほどクヌプス氏の話をするのが楽しいらしい、声が高くなった。
「父を亡くしたわたしにとっては、第二の父と呼べる人だった。優しくて、強くて、正しい人だった。人の痛みを自分の痛みとして感じることができる人だった。あんなに偉大な人は他にはいないわ」
サヤは、しみじみと言った。
「それを彼女が殺した。だから、そのお返しをするの。シンプルでしょ?」
何ともコメントのしようがないユートである。
クヌプス氏は仇討ちなんて望んでいないのではないか、なんて分別くさいことを言うことはできるかもしれないが、そういういかにもなセリフは危険な気がした。
サヤは、よっと立ち上がった。
「そのためだったら死ぬのは構わないけど、さっきも言った通り、わたしの力じゃちょっと足りないかもしれない。せめて命を取れないまでも、あのキレイな顔を傷つけるくらいはしたいけどね」
そう言ったサヤは、ユートの真正面に立つと顎先をちょっとあげるようにして、目をつぶった。
ユートが何を要求されているのか分からず、ベンチに座ったままぼーっとしていたところ、サヤは口を閉じたまま、「むー、むー」とうなった。そのあと、指の先をちょんちょんと唇に当てた。
それでも分からないユートが思い切って訊いてみたところ、パチリと目を開いたサヤは、
「わざわざ言ったりしたら雰囲気壊れるじゃん」
と言って座ったままのユートに軽く抱きつくようにした。
ユートは頬に柔らかな感触を感じた。
「じゃ、お母様とお父様によろしく」
そう言って立ち去るサヤの背が小さくなるまで、ユートはぽおっと見つめていた。