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第29話「ユートは、お母さんに叱られます。」

 痛みよりも驚きの方が大きかった。

 色々と訳の分からないことが起こった一日のしめくくりに、母からの唐突な平手打ちである。

 ユートは父母から叩かれたことはほとんどない。特に父はユートに対しては、良く言えば寛容、悪く言えば甘く、叱声を浴びせることさえ稀だった。母にしても、父よりは厳しいにしても、しつけのために息子に手を上げることは数えるほどしかなかった。

「話せば分かる」

 というのが母の教育哲学だったのである。その母が手を上げたということは、話していては間に合わないということであり、痛みとともに教えなければならないということでもある。

 そんな重大な失態を犯した覚えのないユートとしては、困惑するばかりである。ひょっとして、父母の名を勝手に使ってリムウを雇ったことを怒っているのかと思わないでもなかったが、母は、いくばくかの金銭と息子の命を(はかり)にかけるような人ではないので、よっぽど分からなかった。

 しん、と静まり返った室内で、身じろぎする人もいない。

「立ちなさい」

 母の声に、ユートは素直に立ち上がった。ユートの背は、まだ母に届かない。少し見上げることになる。

「なぜ母に叩かれたか分かりますか?」

 母はしっかりと息子を見据えて言った。

 ユートは首を横にした。

 途端に頬に痛みを感じた。パン、という小気味良い音が耳に響く。もう一回、殴られたのである。

「恥を知りなさい」

 大きくはないが鋭い声。

 ユートは身をすくませた。

 これまで二回連続で叩かれたことは無い。皆無。ゼロである。生涯初。これはいよいよもってただ事ではない。

 ほっぺたがじんじんとするのを感じながら、ユートはじっと母の言葉を待った。

 父は、妻のすることを信頼しているのだろう、「まあまあ、落ち着きなさい」と妻を止めることもしない。もとより、母は別に激昂(げっこう)しているわけでもないのだから、落ち着けも何もない。

 リムウは、母子の間のことであるのを尊重するように、一歩引くようにしていた。

「そのサヤさんとおっしゃる方のことです」

 続けた母の声が固さを帯びる。

 サヤが何だというのだろうか、とユートはさっぱり分からない。もう一回引っぱたかれるのだろうかと恐れたユートだったが、ビンタは飛んで来なかった。

 母は続けた。

「助けてくださった方を置き去りにして、ひとり逃げ出してくるとは。情けない。母は、あなたをそのような卑怯者に育てた覚えはありませんよ」

 ユートは虚をつかれた思いだった。

 母は何を言っているのだろうか。

 ユートは自分の読解力をマックスにして、母の言葉を解釈しようとしたが、うまくいかなかった。

 母が言っていることの表面上の意味自体は分からないわけではない。助けてくれた人を置いて来たことが、人としてしょうもない行為であると、それを行ったのが他ならぬ息子であるということが嘆かわしいと、そういうことを言っているのだろう。

 ユートが分からないのは、そういうことではなくて、確かに母の言ったことは一般的には正しいのかもしれないけれど、今回のことには当てはまらないのではなかろうか、ということである。追っ手の少女は隣国の特殊部隊、守ってくれた女の子は解放軍の戦士である。とてもとても、その間でうろちょろできるような自分ではない。そんな自分が何をしても、何をしなくても、責められるような()われはないだろう、とユートは母の手前、ムッとしたような顔はみせなかったけれど、内心では不満に思った。

 母が子を批難する言葉が続く。

「ゲンジ師にこれまで何を習ってきたのです。男子たるもの、一朝(いっちょう)事が起これば、死を覚悟してこれに当たるべしと、そう教わってきたのではありませんか?」

 そんなことは習っていない。ゲンジ師からユートが習ったことは、以前にも述べたことであるが、「できるだけ危険を避けなさい」ということであって、その場のノリで勇み足をすることがないようにということである。勇み足を滑らせて怪我をするのはつまらない。それは愚か者のすることだ。そう教わってきた。

「あなたが何もできない幼子(おさなご)であれば、母もこのようなことは言いません。しかし、あなたには戦う力があるはずです。であれば、どうしてその力を使おうとしないのか。それを怠慢と言います」

 容赦ない母の言葉が更に続く。

 もう突っ込みどころもない気持ちのユートである。自分に何がしかの力があるなどという話は初めて聞いた。

――いや、無いからね、そんな力。

 結局突っ込んでしまったユートだったが、だんだん悲しくなってきた。死ぬ思いで両親のもとまでやってきたというのに、よくやったと褒めてくれるどころか、何をやっているんだと責められる。本日一番の理不尽かもしれない、とユートは思った。

「サヤさんを探していらっしゃい。探して連れてくるまでは、この母の前に出ることはかないません」

 母はそう言って話をしめくくった。

 一番の理不尽かもしれない、という思いは、一番の理不尽である、という確信に変わった。

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