第21話「ユートたちは、ジハラ市を出ます。」
馬車の窓から見覚えのある制服が見えたのは、馬車が少し進んだときのことだった。
自警団である。
――もしかしたら、さっきの騒ぎを聞きつけたのだろうか……。
と思ったユートは、思わず首をすくめて、顔を隠そうとした。男女三人の自警団員は、特に、馬車に注意を向けることもなく通り過ぎて行った。ホッと息を漏らしたユートは、まるで犯罪者のようにこそこそしなければいけない自分を情けなく思った。一体自分が何をしたと言うのか。これまでまっとうに生きてきて、危険なことには全く関係していないというのに。理不尽である。
「追いかけられちゃうかなあ」
後ろからサヤの声がした。
ユートが振り返ると、客車のソファのスプリングをお尻でぎしぎし言わせながら微笑む楽しげな少女の姿がある。
「さっきのケンカを聞きつけたこの町の自警団のひとに、『止まりなさい、そこの馬車!』なんて言われて、追いかけられたりして。そうなったら、わたし、客車の外に出て迎撃しよっと」
ユートは青ざめる思いである。
そんなことをしたら、それこそ本当にお尋ね者になってしまう。しかし……。もしも追いかけてこられたら、そういう対応をするしかないのだろうか。この町で足止めされている時間は無いのだ。
それにしても、とユートは思う。町の治安を守る自警団と争う自分は、日常という安らぎに満ちた世界を飛び出して、いったいどこに向かっているのだろう。考えるまでもなく、とりあえずは、隣町であった。
ユートの寒々とした心境とは反対に、馬車の中はポカポカしている。
「あったかいねえ」
サヤがけだるげな声を出す。
どうやら自警団と一戦交えるような事態は避けられたらしいということを確信できたのは、無事、市門を抜けたときのことだった。市門さえ抜ければ、その外は、基本的に自警団のテリトリー外である。
「スピードを上げますね」
御者台から、客車に声がかかる。リムウである。ユートは、御をしてくれている彼に、よろしくおねがいします、と丁寧に言った。
すぐに馬車の速度が上がった。
――あの、レニアっていう人はどうしたんだろう。
ユートは、馬車の外を流れる景色を見るとはなしに見ながら、考えた。サヤがいったん撃退してくれたわけだが、当然それで諦めるとは考えられず、追いかけてくることだろう。畏くも、王女の命を受けておいて、一回失敗したくらいでおめおめ引き下がるとは思われない。ということは……?
ユートは客車の後方につけられているドア、そこにはめ込まれた窓から外をのぞいた。そうすると、馬車の後ろにあるものが視界に入る。ユートは、肩の力を抜いた。見えるものは、街道に敷かれた石の白い輝きだけで、追跡者の姿は無いようだった。
はわはわ、というあくびの声が、ユートの緊張感をいっそう緩めた。
サヤが、両手を組んで、うーん、と伸びをしている。
「今日は朝から動いてたから疲れたなあ。ちょっと寝てていい?」
その言葉に思わずうなずきかけたユートだったが、サヤに訊かなければいけないことがあるのを思い出して、慌てて首を横にした。
「えーっ、ダメなの? 何で?」
「サヤさん――」
「サヤ! じゃなきゃ、ジュリエッタだよ」
「サヤ」
「はい、ユート」
「きみに訊きたいことがあるんだけど――」
「なに、スリーサイズ? それとも、今日の下着の色?」
サヤの冗談を、ユートは華麗にスルーしようとして、失敗した。
「ち、違います!」
どもってしまったユートに、にこやかな笑みで、じゃあ何、と訊き返すサヤ。
ユートは、サヤの素姓についてもう少し突っ込んだことを話してくれるように、頼んだ。サヤが、昨年隣国のヴァレンスで起こった民衆解放運動のリーダーであるクヌプスの、そのそば近くに仕えていたということは分かった。それは分かったが、その彼女が、どうしてここキョウオウ国ジハラ市に来て、レニアの凶刃から自分を守ってくれて、今またユートの逃亡を手助けしてくれるのか、それが分からない。
ユートが訊くと、サヤは、
「長くなるけどいい?」
と真面目な声で言った。大したことがないことを答えるときでさえ、いろいろと関係ないことを話して、話を長くする彼女が、わざわざ「長くなる」と断るということは、これは相当な時間を覚悟しなければならない。しかし、時間ならある。隣市に到着するまで、数時間は馬車の中で過ごさなければいけないのだ。
ユートはうなずいた。
「わたし、クヌプス様の血縁関係にある人を保護して回ってるの。それで、あなたのところに来た。あなたのところに来る前に、あなたのご親戚のハロッド・カートさんのとこに行ったわけだけど、そっちはもう手遅れだった。わたしが行ったときには、ハロッドさん達は殺されてた。ゴメンネ……って謝るべきかな、この場合」
それだけ言うと、サヤは口をつぐんだ。
ユートは、彼女の口が開くのを待った。
待っていたが、開かない。
どうやら、サヤの話はもう終わりのようだった。