第17話「交渉成立、馬車屋を出ます。」
ユートはありがたく、サヤの申し出を受けることにした。
貸し馬車屋の男も、金さえ払ってもらえれば、文句は無いらしく、すぐに契約書を出すとユートに署名させて、
「今すぐ馬車を出しますので、外でお待ちください。最高の馬車をご用意しますよ、レディ」
ともみ手をしながら、歯を見せて、サヤに愛想を振りまいた。とてもさっきまでの男と同じ男だとは思われない。どうやら金貨の光には、人を変える魔法が込められているらしい。
ユートは、男によって料金が差し引かれたあとの金貨の小山を革の小袋に詰め直しているサヤに、礼を言った。
「ありがとう、サヤさん」
サヤは、うむうむ、と大仰にうなずくと、
「感謝してくれるなら、そのしるしとしてわたしのこと、呼び捨てにしてね。呼び捨てが抵抗があるなら、『サヤっち』とか、『サヤべえ』とか、『サーヤ』とか、『ジュリエッタ』とか愛称で呼んで」
お腹一杯に金貨を食べた巾着袋を腰につけながら言った。
ユートがどう反応していいか分からず、まごまごしていると、
「『ジュリエッタ』がいいかな。わたしの憧れの名前なんだ。可愛くない?」
サヤが続けた。
ユートは、呼び捨てで呼ぶことで妥協した。本名で呼ぶことにも慣れていないのに、全くの別名で呼んでいたら、なにがなんだか分からないことになる。
貸し馬車屋を出て、外に出ると、天気は相変わらず良い。日はまだ高い位置にある。これからすぐに馬車を使って休まず走れば、夜までには隣市に到達できる。少なくとも、計算上はそうなる。ユートは机上の計算は得意である。
――二人は無事なんだろうか……。
ユートの心は、隣市の両親の元へと飛んだ。
「それにしても、ショックだなあ。わたしの色仕掛けが、全然効かないなんて。わたし、そんなに色気無い、ユート? 解放軍にいたころはさ、みんなに、『可愛い、可愛い』って言われてたのにさあ。これでも、クヌプス解放軍のマスコット的存在だったんだから。……あ、でも、『可愛い』っていうのと、お色気があるのは違うのか。どう思う? ユート?」
サヤが言った。
隣から覗き込むようにしてくるサヤを、ユートは目の当たりにしながら、いったい何を答えれば良いのか分からない。そうして、はっきり言えば、気持ちが急いており、誰とであれ、トークを楽しめるような状況でもない。
サヤは答えを期待するように、ユートを見てくる。
サヤの瞳は、翠色をしており、しかし、光線の具合で微妙に色合いに変化が生じるようだった。
サヤはなおもじっと見てくる。
苦しまぎれに、瞳の色が綺麗だと思います、とふと今思ったことを口にしようか、でもそんな恥ずかしいこと言えるわけない、とユートが葛藤していると、
「ユートさん」
リムウの声が聞こえた。
助け船を出してくれたのかとホッとしたユートだったが、どうやらそういうわけでもないらしい、ということに、リムウの視線の先にあるものを見てすぐに気がついた。ユート達に向かって五人ほどの男たちがずんずん歩いてくる。そろって、みな若い。二十歳前である。
ユートの危機センサーが反応した。何かが危険である。別に、武器を持っているとか、奇声を発したりしているとかいうような怪しげなことをしているわけではない。ちょっとツッパった感じの髪型と服装にしているけれども、それ以外は、その辺りにいる、今もユート達のそばを通り過ぎていく普通の若者たちと変わりがない。しかし、何か緊迫した雰囲気があるように、ユートには思われた。この辺の感覚には、ユートは、根拠は無いが自信がある。この感覚のおかげをもって、さまざまな小さなトラブルを回避してきたのだ。
普段であれば、その感覚に従ってすぐにこの場を逃げ出すところであるが、契約した馬車を待つ身、そんなことはできない。警戒しながら五人の男たちが来るのを見ていると、リムウがすっとユートの少し前に出た。
「お友達?」
サヤが横から訊く。
ユートは首を横にしかけたが、五人の中に見知った顔を認めて、やめた。ユートがよく買いに行く食品雑貨店の次男坊である。親しいというわけではないが、話をするくらいの仲ではあった。
五人の青年たちは、ユートたち三人の前まで来ると、ちょっと距離を置いて止まった。もはや確実にユート達のうちの誰かに、そうしてサヤとリムウが彼らのことを知らぬ風であるので、消去法的にユートに用事があるのは明らかだった。
「てめえが、ユート・カートだな」
青年達のうちの真ん中にいるボス然とした男が、ユートに言った。
ユートはぎこちなくうなずいた。
「ちょっと、面貸せや」
男は、あご先をよそに向けた。
唐突なことに訳が分からず内心ドキドキしていたユートだったが、男の要求には断固として首を横にした。彼らが誰かは分からないけれど、誰であれ、付き合っている時間など、一秒たりとも無い。
「フン、痛い目にあいたいようだな」
男は、手下のひとりに、「おい」と声をかけた。