第15話「サヤは魔王に仕えていました。」
馬車の形をした看板が、午後の微風にびくともしないでいる。
その下でユートは、金縛りにあったように動けなくなった。サヤのまっすぐに引かれた眉のあたりからゆらりと立ち昇った鬼気が、ユートを圧倒した。異様な迫力である。全身これ陽性のように思われたサヤの中に、ユートは巨大な闇を見たような気がした。
サヤの変身は随分と長い間続いたように思えたけれど、実際は、ほんの数秒のことだった。
サヤはすぐに元の明るい笑顔になると、
「一つ言っておきたいことがあるわ、ユート。ヴァレンスの人間はね、言葉をとても重んじるの。言葉には力が宿っていて、口に出した言葉はその通りのものになる。だから、ヴァレンスの人間は、不用意なことを言わないように口数が少ないのよ。まあ、わたしは例外だけどね。とにかく、わたしが言いたいのは、クヌプス様のしたことを、二度と『反乱』なんて言わないでってこと。クヌプス様は、ヴァレンス王に『反乱』なんかしていない。『反乱』っていうのは、ヴァレンス王側から見た言葉よ。クヌプス様は、ヴァレンス王によって虐げられていたヴァレンス市民を『解放』しようとなさったの。クヌプス様の率いた軍は、反乱軍なんかじゃなくて解放軍なの。いい、解放よ、か・い・ほ・う。オーケー? 一度目は聞き流すことにするけど、今注意したからね、次に同じことを言ったら、いくら親友のあなたでも、わたし、ガンガン行っちゃうから」
リズミカルな口調で言った。
とりあえず危険は去ったようである。
ユートは緊張を解いた。途端に、非常な疲労を覚えた。女の子の怒りと対峙するのは、並大抵のことではない。しかも、サヤは普通の女の子ではないのだから、なおさらである。見たところ、自分とそう変わらない年なのに、一国の反乱……もとい、解放運動に身を投じ、さっきのレニアとのような命のやり取りにも動じないような豪胆な子である。そんな子に、ガンガン来られたらどんなことになってしまうんだろう。ユートは、二度と彼女の前で「反乱」という言葉を使わないよう、肝に銘じた。
それにしてもいつから彼女の親友になったんだろうか、とユートは思ったが、怖くて言い出せなかった。
「ところでさあ、ユート。さっきから気になってたんだけど、その人だあれ?」
サヤが礼儀正しく向けた手のひらの先に、リムウがいる。
ユートは、リムウを紹介した。
サヤはペコリと頭を下げると、
「よろしくお願いします。わたしは、ユートの親友であり、カノジョ候補のサヤでーす」
元気いっぱいに言った。
ええっ、とユートは驚きの目で彼女を見た。
親友からさらにレベル上がったよ!
いつからカノジョ候補などになったのか。ヴァレンスの人間は言葉を大切にすると言った、その舌の根も乾かぬうちに全くのデタラメをのたまうのだから、これだから女の子は嫌なんだ、とユートは思ったが、もちろんそれは言葉にならない。
リムウは、そんなユートの様子を見て微苦笑を漏らしてから、
「ヴァレンス解放軍のリーダーのそば近くにいらしたということは、そのお年で相当の腕ですね。大したものです」
サヤに言った。
賛辞を受けたサヤは、にこりとして、
「あなたの方こそ。さっき、ユートに近づくわたしを警戒してたでしょう? 気配を消して注意深くしていたわたしに気づいて、戦闘態勢を取った。冒険者ランクBは伊達じゃなさそーだね」
返した。
視線を合わせるサヤとリムウ。
二人の間に緊迫した雰囲気が流れ、しかし、それはすぐに消えた。
リムウは、いえいえ、とあいまいな笑みを浮かべると、
「買いかぶらないでください。大したことはできませんから」
と柔和な口調で言って、それ以上はその話題を避けるかのように、ユートに向かって、
「貸し馬車の手続きをするんですよね、ユートさん」
と声をかけた。
二人に置いていかれた格好になったユートは、ぼけっとしていた顔を引き締めて、うなずくと、貸し馬車屋の扉を開いた。リムウがすぐ後ろから、さらにその後ろにサヤが続く。サヤについては、ヴァレンス解放軍を率いていたクヌプスに仕えていたということは分かったが、なぜこの町に来たのか、自分に会いに来たのか、そこがまだ分からない。しかし、それを訊いていると、ヴァレンス人の美徳である沈黙スキルを持たないおしゃべり好きなサヤのことだ、どのくらい時間を消費するか分からない。そんな時間は無いのだ。
聞くにしても馬車に乗ってからにすればいい。まあ、首尾よく借りられればだけど。そう思ったユートは、受付カウンターにいたお兄さんに声をかけた。
「ああん? 全額後払いで馬車を貸せ? ふざけろ。ていうか、消えろ」
お兄さんというよりは、多分に兄ちゃんと呼んだ方がいいようなガラの悪い青年は、ユートの話を聞いたあと、鼻もひっかけないような態度を取った。
ユートがなおも説得の言葉を続けようとしたところ、後ろから出てきたサヤが青年に向かうのが見えた。