第14話「その途上でサヤの素姓を聞きます。」
「あのあと、ちょっと戦ってたんだけど、簡単に勝てるかなと思ったら、なかなか強くてね、リニア。利き腕の一本でもへし折っておきたかったんだけど、そうもいかなくて、ちょっと打ち身を作ってやったくらいのもので、逃げられちゃった。戦闘には全然支障が無いみたいだから、また見つかるとうるさいことになるよ。今度は、わざわざ宣言しないで、突然襲い掛かってくるだろうしね」
サヤが天真爛漫な声でもって怖いことを話すのを、ユートは聞いたあと、バッと頭を下げた。
「ごめんなさい!」
サヤは間髪入れずに、「うん、許す!」と答えると、ユートが頭を上げるのを待って、
「でも、何を?」
分からない顔で、小首をかしげてみせた。
ユートは、おそるおそる、助けてもらったにも関わらず、彼女を置いてひとり自分だけ逃げたことに対して謝っているということを説明した。
実を言えば、さっきサヤの顔を見るまでは、そんなことはすっかり忘れていたのだけれど、思い出してしまったからには言わなければならないと考えるのが、ユートの誠実さ、と言えば聞こえは良いが、つまりは気弱さである。とりあえず謝っておくに越したことはない。謝罪はトラブルを避けるための有効な手段である。それに何より、女の子怖い。
サヤは、きゃらきゃらと笑うと、
「そんなの全然気にしてないよ。むしろ、さっきあそこにあのままいたら、リニアはユートに襲いかかっていっただろうから、いてくれなくて良かったよ。守りながらの戦いっていうのは、結構大変だからね。そのストレスでお肌が荒れちゃうかもしれないしねー。それで、これからどうする?」
言った。
彼女が怒っていないようでホッとしたユートが思わず口を軽くして、今後の予定を話し始めようとしたところ、後ろから小さな咳ばらいが上がった。
「お話中、大変、失礼ですが――」
そう断ってから、リムウは丁寧な調子で、このような大通りでくっちゃべっているのは現状を考えるとよろしくないのではないか、と続けた。ユートは狙われている身。確かにその通りだった。
ユートはリムウにうなずきを返すと、今から貸し馬車屋に行くとだけサヤに答えて、歩き出そうとした。サヤの正体を訊きたいところだが、おしゃべりな彼女の他の無駄話まで聞いている時間は無い。歩き出す前に、
「さっきは助けてくれてありがとうございました」
と礼を言ってから、相変わらず人数の多い大通りを歩き出すと、リムウがその隣に並んだ。
「わたしも一緒についていってあげようか?」
もう片方の隣にひょいっと並んだサヤが、ユートの顔を覗き込むようにして言った。
ユートは、彼女と目を合わせた。きらきらとした瞳である。楽しい遊びを始める前の子どものような目。しかし、現状は深刻この上ないのだ。ユート自身は命を狙われて、両親にも危険が及んでいる可能性があるのだから。助けてくれたことはもちろん恩に着ているが、状況に見合うだけの真剣さを見せてくれないことにはこれ以上付き合ってもらう気は無い。
そんなことを思ったユートだったが、口にする勇気も無い。
ユートは、歩みを止めないようにしながら、答える代わりにサヤの素姓を尋ねた。
「きみはいったいどういう人なの?」
「わたしが誰かって? やあだ、さっき言ったでしょ」
サヤはバンバンと朗らかにユートの背を叩いた。
――なんで叩くの?
と思いながらも、ユートは首を横に振った。
「え? そうだったっけ? いやだ、わたし、自己紹介もしてなかったなんて。ねえ、おっちょこちょいって、いつか治ると思う? 今度からメモでも持って歩こうかな。そのメモにね、やるべき重要なことを上から書いておくのよ。そうしたら忘れないでしょ? ……あ、でも、そのメモ自体を忘れる可能性もあるな。うーん、どうしよう」
腕を組んで考え始めたサヤを、もうそのまま放っておいたほうがいいのだろうか、とユートは思った。素姓を訊いたのは一瞬前なのにその答えが返ってこない。全然関係ない彼女の特性に話が移っている。
迷っていると、四頭立ての馬車をかたどった看板が、ユートの視界に入ってきた。
もうすぐ貸し馬車屋につく。
ユートは、これで訊いてダメだったら、もう正体を尋ねるのを諦めて、「ついて来ないでください」と同行を断ろうと心に決めた。素姓が分からない人と行動を共にするのは気が進まない。しかも、女の子だし。それでも、「いや、ついていく」と言われたら、是非もない! ……好きにしてもらうだけである。
「わたしは、あなたのまたいとこに当たるクヌプス様にお仕えしていた者のうちの一人です」
ユートがもう一度素姓を訊くと、今度はサヤは答えてくれた。
クヌプスは、ヴァレンスで反乱を起こした反乱軍の首領であると、自警団の副団長に聞いた。反乱軍の首領に仕えていたということは、サヤも反乱に参加していたということだろうか。ユートが思わず尋ねたところ、隣を歩くサヤのその顔からこれまでの明るい表情がいっぺんにかき消えた。瞳に宿る冷ややかな色。その色の妖しい輝きに、ユートは体をぞっと震わせた。