わたくしの敵ではございませんわ
風向きが怪しいと察知した浮気女――いや、今は「新しい婚約者」か――が、慌てて何かを考えている。
「もう! これ以上彼を苦しめないでください」
はあ? 苦しむと言うなら、婚約破棄されて評判が落ちた私の方でしょう。
浮気して、まんまと婚約者を交替した男が何に苦しむって?
「あら、何かに苦しんでいたのですか?」
頬に手を当てて首をかしげたら、貞淑な淑女に見えるでしょう。
あ、今現在の話じゃなくて――苦しいから婚約破棄せざるを得なかったと言いたいのか?
「い、いや、それは……苦しんでいたというか。
君がもっと男を立ててくれたら、別に僕は……」
敵は、もごもご口ごもっている。
なるほど、それか。
苦しんでいたのは知っている。でもそれ、劣等感だよね。
私は天才ではない。転生チートで大活躍もできなかった。
ただ二歳年上で、前世の社会人の記憶があるから、大人びていた。
そろそろ先行していた分の差が縮まって、平凡な普通の人になる頃合いだ。
それどころか、前世の価値観が邪魔をして、「変わり者」扱いされ、市場価値は下降中。
得意分野が違っても互いに励まし合い、協力し合えばいいと思う。
初めのうちは努力していたけれど、この少女と出会い『ありのままでいい』と言われて、溺れたようだ。
義務と決められた未来と、心地よさを天秤に乗せ、後者を選ぶのも自由だ。
それをまるで「苦悩の果てに愛を選んだ」かのように、美談として騙るな。
改めて、元婚約者を見る。
顔を赤らめている……いや、ちょっと待って。
だって、中身は変わってないんだよ?
ちょっと男受けがよさそうな、あざといポーズを取っただけで手のひらを返されてもさぁー。
本当に、私のことを見ていなかったんだなって、がっかりだよ。
それくらい、私のことが怖かった? うざかった?
お小言を言ってしまい、気持ちは「母親」だったかも……。
もし相手が反省するようなら、やりなおせる?
いいえ。
一度や二度の失言なら許すけど、この一年の態度の悪さや婚約破棄のときに言われたことは、やっぱり許せない。
婚約破棄の慰謝料をがっぽりもらおうと計算中だから、撤回されたら困る。
うん、怒らせよう。
「あなたも新しいお相手に、使い古したデートコースを繰り返すのはどうかと思いますわ。
こうやって鉢合わせしてしまったら、お互いに気まずいじゃないですか」
今度は声を潜めて、二人にだけ聞こえるように言ってやる。
「な、なんだと?」
あらあら、せっかく小声で言ってあげたのに。
大きな声を出すから、また注目を集めてしまったじゃない。――嘘です、さっきから注目されっぱなしです。
すぐ噂話として広まるでしょう。
ふふ、よかった。
男のプライドを刺激したようで、怒りの表情になっている。
単純、馬ぁ鹿。
「こんな店、やめよう」
「え、でも……」
やったー、成功。とっとと出て行け。
でも、そんな捨て台詞を残したら、店を敵に回しますけど……大丈夫かしら?
ここのオーナーは某侯爵家の三男なのですよね。
きっと、わざわざオーナーに「こんなことがあったのです」と、ご注進に及ぶご令嬢がいると思うわ。
私はこの手の店は、もうだいたい制覇しているのよ。カフェ巡りが趣味だから。
新店の情報は、お茶会で積極的に仕入れている。
飲食業に携わっていなければ、私より先に新しいお店の情報なんて掴めないと思う。
前世のように、新しいお店がぽこぽこできる環境ではない。
二、三年も経てば私とデートしていないお店も出てくるだろうけれど、今は難しいはず。
浮気男だけど、すっぽかさずにお茶をしていたことは褒めて使わす。
ああ、その情報を浮気相手に使い回していたのかも。それだったら、腹が立つわね。
せめて「真実の愛を優先したけど、君には悪いと思っている」ようなポーズを取れば、ここまでやっつけなくてもよかったんだけどな。
残念な男。
隣にいる浮気女を見習いなさいよ。全然反省していないくせに「私が悪いの」って言ってのけるから。
この一件は、素早く社交界に広がるだろう。
私の気が強いというのは、良くも悪くも定説になっている。
婚約破棄をされた直後は、そこまでされる私にも非があるのかもしれないという雰囲気があった。
現在の社交界では、「どちらがより悪かったのか」という陣取り合戦のようなものが繰り広げられている。
不貞なのか、純愛なのか。
私は被害者なのか、自業自得なのか。
あの男は自分で言うように正義の人なのか、ただの浮気者なのか――。
私は、被害者ぶって同情を引くのではなく、迷惑をかけて申し訳ないという態度を選択しよう。
「みなさま、お騒がせして申し訳ございませんでした。
憩いの一時をお邪魔してしまって……」
ここで「お詫びに皆さんの分のお会計も……」とまでは言いません。
やりすぎは反感を生むかもしれませんから。
「あなたのせいじゃない」と慰めの言葉をかけられたので、ハンカチを目に当てて肩を震わせる。
ここまですれば完璧――かな?
あ、本当に涙が出て来た。なんでだ、胸が苦しい。
……悔しいのか?
私だって頑張ったのに。いい関係を築こうと思ったのに。
なんでよ。
泣き虫の子どもの面倒を見てきた。
二、三年もしたら、異性として見られるかもしれないところまで育てて……。
裏切り者。
私の時間を返してよ!




