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シェリルが家に着くと玄関で心配そうな顔をした母と姉が待っていた。
2人は婚約解消の手続きを終えて帰って来た日のように泣き腫れた顔のシェリルに何も聞かずに「お帰り」と優しく抱きしめ部屋までついてきてくれた。メイドたちもせっせと世話を焼いてくれて気がつくと眠っていた。
次に起きるとベッドの上だった。傍で本を読んでいたアナベルが気づいてのぞきこんでくる。
「おはよう、シェリ。気分はどう?」
「おはよう。うん、ぐっすり眠れたわ。姉さま、ずっと一緒にいてくれたの?」
「ええ、まあね。シェリが心配なのもあるけれど、アルからブラーゼ兄妹の無礼のことを聞いたお父様とお母様が怒り狂ってそれはもうえげつない報復を考えているのよ。話が長くなりそうだから旦那様とアルに任せて逃げてきちゃった」
「そうなんだ……」
おそらく父は今日のことを聞いたのだろう。父は普段はクールだが一旦怒らせると大嵐になる、ブラーゼ家はさらなる窮地に追い込まれるだろう。でも、以前と違ってもう何も感じない。
それよりもアーノルドが来ていると聞いて落ちつかない。眠いフリをして布団に逃げようとすると目ざとくアナベルが指摘する。
「あら、アルに会いたくないの? ひょっとしてケンカでもした?」
「そんなことないわ。こんなみっともない顔で会いたくないの」
「それならいいけれど。アルったら何だかものすごく落ちこんでいたわよ。まるで失恋したみたいにしょげかえっているし、なぜかおでこもぶつけたみたいで赤くなっていて。あのまま帰したら倒れるかも」
「……やっぱり、会う」
そこまで言われたら心配になる。にこにこ笑いながらアナベルがメイドを呼んで支度をする。
幸い、顔の腫れはひいているし少し会うだけなら大丈夫だ。アナベルとメイドが呼びに行きソファで待っているとアーノルドが1人でやって来た。
アナベルの言ったことは誇張ではなかったようで、なぜかおでこは赤くなっているしくたびれている。もしかしてケンカでもしたのだろうか。
「アル、先に帰ってしまってごめんなさい。あの後、大丈夫だった? そのおでこどうしたの?」
「ああ、きちんと話しあって別れたから大丈夫だよ。これも馬車でうっかりぶつけただけだから大丈夫だ。シェリこそ寝ていたところを起こして悪かったな、気分はどうだ?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
気まずい沈黙が落ちる。アーノルドにせっかくのお出かけを台無しにしてしまったことを謝らなければいけないと思うも、あの醜態を思い出した彼の反応が怖くて言い出せない。
もじもじとスカートの裾をひっぱっているとアーノルドが立ち上がって隣に座った。おそるおそる見上げるとシェリルの心を映したかのようにへにょりと眉を垂れ下げた憐れをさそう顔がシェリルを見つめていた。
「今日はシェリに嫌な思いをさせてごめんな。アナに聞いておけば良かったのに、シェリが好きそうだからって思いこみで決めたんだ」
「そんなことないっ! アルと一緒に過ごせてうれしかった!! 私こそせっかくのお出かけなのに人前でみっともなくケンカしてアルを置いて逃げてしまってごめんなさい」
「それこそ気にしないでくれ。俺もあのキザ野郎には婚約者としてがつんと言ってやりたかったんだ。辛い思いをしているのに気を遣わせてごめんな」
話をするうちにアーノルドの顔は濡れた紙のようにますますへにょへにょになっていく。そのしおれた顔にアナベルの「失恋したような顔」という言葉を思い出して慌てる。
「ち、違うの! ブラーゼ伯爵令息に未練があるわけじゃないの!! ただ、その、良く行っていたあのお店のイチゴのパフェが嫌いになってしまって悲しかったの」
「イチゴのパフェ?」
「うん。特に、この春の時季限定のスペシャルパフェが好きだったのに。見ているとブラーゼ伯爵令息との思い出がこみ上げてきて、どうしても嫌な気分になっちゃうの」
あんなに大好きだったヴィンセントのことを思い出すと、怒りのような悔しさのようなドロドロとした負の感情がこみ上げてくる。
それは彼との思い出に残る物も同じで、物は好きだけど彼の顔がちらついて嫌いという自分でもよくわからないもやもやした気持ちになる。
でも、変な意地を張って大好きなイチゴパフェを食べなかったことはやっぱり悔しくて。能天気な顔で現れたヴィンセントと元から苦手で今では大嫌いなパールディアにやつあたりをしてしまった。
こうして冷静に思い返すと自分の子どもじみた行動が恥ずかしい。でも、大好きなアーノルドには誤解されたくなくてシェリルは素直に話した。
いくら優しいアーノルドでも「そんなことか」と笑うと思ったが、驚いたことに彼はシェリルの複雑な感情を受け止めるように穏やかに微笑んだ。
「そうか。シェリはそれだけ真剣だったんだな」
アーノルドはどこか遠くを見るような目をした。
「恋ではないけど、俺も仕事で似たようなことがあったよ。
研究所に入った時に、これは最高の魔道具になるっていう良いアイデアが浮かんでさ、絶対に完成させてみせるって夢中になって取りくんだんだ。
でも、いろいろあって結局形になるどころか、思いついたアイデアをノートに書き散らしただけで、誰かにきちんと説明できる資料としてまとめることすらできなかった。おまけに無理がたたって寝不足で体調は崩すわ周りからもバカにされるわで散々だった。
それからはノートを見るたびにその時の失敗とか嫌なことが浮かんでみじめになってな、副所長にもらってもらったんだ。あんなに気に入っていたのにな、その時は好きよりも嫌いがずっと強かった」
真剣に聞き入るシェリルにアーノルドは照れくさそうに笑う。
「それから何年かして副所長がそのノートを返してくれて、久しぶりに見返したら不思議とその時の楽しさとかやる気がよみがえってきたんだ。まあ、今見るとちょっと慣れてきた新人のこっ恥ずかしいアイデアなんだけどな。
でも、久しぶりに見たらこれは確かに俺が好きで全力で作った物なんだってわかってうれしかった。副所長が捨てずにとっておいてくれて本当に良かったよ」
アーノルドはキラキラと輝く碧色の瞳をきゅっと細めた。
「シェリ、俺はシェリの感じた気持ちは完全にはわからない。けれども、これだけは言える。過去は今の自分の一部だ。そして、幸せな思い出や真剣に努力した記憶は永遠に宝物になる。
だから、今は嫌いだからと無理に遠ざけたり我慢しなくていい。大丈夫だ、気にかけていればいつかまた向きあえる日がくる」
アーノルドの言葉にカフェに行ってからどんよりしていた晴れていく。
ヴィンセントのことは大嫌いだし、相変わらず言いたくないことは黙って逃げる姿にがっかりした。
でも、あのカフェでしたお喋りの楽しさや甘くて食べるたびに幸せになるイチゴパフェの味は好きだ。そう思うと嫌な思いが薄まっていく。
シェリルは無意識に溢れた涙をハンカチでふきとると微笑んだ。
「……うん、私もやっぱりあのカフェもイチゴパフェも大好き。ありがとう、アル」
「そうか。シェリは昔からイチゴが大好きだもんなあ。覚えてるか?
昔、シェリが誕生日にイチゴがたっぷり載ったケーキが食べたいって言ったから、はりきった叔父上が一流のパティシエに頼んでイチゴをたっぷり載せた豪華な3段ケーキを作ったんだが。シェリはイチゴに夢中でケーキは少ししか食べなくてなあ。皆で叔父上を慰めながらイチゴのないケーキを食べたんだ」
「お、覚えてないっ」
「ははは、そうか。俺ははっきり覚えているよ。大人になってもそこは変わらないな」
子ども扱いされたあげくからかわれてシェリルはむくれた。だから、アーノルドをまっすぐに見上げて言った。
「そうよ。私、アルが考えているよりもずっと大人になったの。アルの知らない素敵なお店も場所もたくさん知っているのよ。だから、これからもたくさん楽しい思い出を作りましょう」
アーノルドはなぜか固まり髪と同じぐらい顔が赤くなる。シェリルがきょとんとすると笑ってうなずく。
「そうだな。愛しているよ、シェリル」
甘くささやかれてシェリルも頬を真っ赤に染めた。
「私も愛している」
初めてのキスはイチゴのような甘い味がした。




