第9話 夏の始まり
女生徒のぶつかり事件以降は特に大きな問題もなく、ついに体育祭当日を迎えた。
敢えて言えば、鈴音が小鐘に対して少し過保護になったこと以外に大きな変化もない。
登下校に必ず付き添い、いつも気にかけてくれる。これは小鐘にとって嬉しいことだったので、小鐘がこれを指摘することはなかった。
体育祭の日は快晴。
小さな青海の町では、応援に駆けつける保護者たちも見慣れた面子だ。毎年町民の殆どが集まるので、交流会のようにもなっている。
榊原は順位の着く競技に出れないとはいえ、全ての競技に参加しないわけではない。
全体競技などへの参加は認められているため、小鐘は今日のために”青海音頭”を頑張って練習してきた。
まあ、逆に言えば、榊原が参加できるのはこの演技一つになるのだが……
とはいえ、競技に出ない代わりにやるべきこともある。競技の準備、徒競走ではスターターとゴールテープの用意など、普段は出来ないようなことが出来て、少し楽しくもあった。
クラスとの団結感は流石に薄いが、ここは諦めるしかない。
殆どの競技を終え、体育祭も終盤。
在校生全員での”青海音頭”が始まった。
どうも神事である舞が始まりのようだが、今は忘れ去られてしまい、お祭りの掉尾を飾る、少し派手な踊りになっている。
応援席からの参加も認められており、もはや体育祭ではなく、ただの賑やかなお祭りだ。
「小鐘」
姉に呼び止められて、振り返る。
「体育祭は楽しかった?」
鈴音が小鐘の手を取り、踊りだす。
優しい瞳に見つめられた小鐘は、体育祭直前の事件のことも忘れて、笑顔でこう答えた。
「はい!」
やがて音頭が終わり、応援席に人々が戻る。静かになったグラウンドには、少し寂しい空気が残っていた。
午後五時の閉会式を終えると、生徒全員で片付けを行い、午後七時には解散となった。
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体育祭が終わり、六月も中旬になると、本格的に梅雨の季節になってきた。
体育祭の燃え尽き症候群に加え、連日の雨に、生徒たちはダラダラと平凡な日々を過ごしていた。
小鐘もようやくゆっくりできると思ったが、六月の末には夏越祓があることを思い出した。
夏越祓は青海にただ一つある神社、大潮神社にて毎年行われる神事の一つで、地主である榊原家と神主の家系である上守が主導していた。
しかし、小鐘も鈴音もまだ学生だ。二人は学業に集中し、今年の夏越祓の準備は他の榊原家の人間と、上守家の人間によって行われた。
夏越祓はそう大規模な神事というわけでもなく、準備期間はかなり短い。
一週間ほどで準備を終え、当日の行事はつつがなく終わった。
小鐘も言われたことをやるだけで、大したことをしたという実感はなかった。
───これで、半年分の罪や穢れは、すべて綺麗に祓われたはずだ。
神社の境内を吹き抜ける風が、少しだけ湿り気を帯びている。
ポツリポツリと降り始めた雨は、急速に勢いを増し、またたく間に土砂降りになった。この雨は、町にはびこる”何か”を洗い流してくれるだろうか。それとも、底に溜まった泥をかき混ぜるだけなのだろうか。
「小鐘、帰りましょう。風邪を引いてしまうわ」
軒下で佇む小鐘の顔を覗き込むように、鈴音が傘を持って現れた。
「はい、お姉様」
鈴音の差し出す傘に寄り添いながら、小鐘は静かな海を見下ろした。
半年が終わる。
そして、神子の小鐘にとって最も過酷で、特別な季節が、すぐそこまで迫っていた。




