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第8話 故意犯

 体育祭の準備は順調に進められ、六月を迎えると、学校内はにわかに活気付いてくる。

 クラス対抗レースや、部活動対抗レースの参加者たちが真剣に練習に取り組むのを、小鐘は校舎の中から窓越しに眺めていた。


 部活動の制限と同じように、榊原家は順位の着くものに参加できない。小鐘が生まれるずっと昔から決められていたルールに、今更文句を言う小鐘ではない。鈴音も鏡矢も通ってきた道で、この先も通っていく道だ。

 その代わり、体育祭が上手く回るように運営するのが榊原として、生徒会として、大事な役割となる。


 小鐘の人間関係は良くも悪くも、といったところ。表面上は柔らかく、優しく、尊敬する姉のように振る舞っても、思春期の心はままならないものだ。ときには僻まれ、妬まれ、睨まれる。

 けれどそれは仕方のないことだ。人の心はそう単純ではない。小鐘とて、人間の心を操ることはできない。

 小鐘を疎む人たちも、青海での規則には逆らおうとしないため、小鐘に直接の問題が発生することはない。


 小鐘はまず見目が良い。綺麗とも可愛らしいとも言えるような、神秘的な美しさは、老若男女を魅了する。

 そして体力測定の結果からも、体育祭に参加すれば活躍するのは目に見えている。

 榊原である以上、あからさまに言い寄るような人はいないが、小鐘に想いを寄せている人は多い。

 これもまた思春期にありがちな、一時の気の迷い。しかしそれをよく思わない人がいるのも、一つの事実だ。

 最近では、一部の気の強い女子たちが徒党を組んで、小鐘を敵視しているようだ。


 けれどそれらはすべて些末な問題で、表向きが上手くいき、円滑に回っているならそれでいい。

 その程度のことでいちいち目くじらを立てるようでは榊原はやっていけない。榊原としても、神子としても、そんな寛大さが大事だ。

 小鐘は姉から、体育祭準備を通して、生徒会長としての仕事を教わるだけの予定だったのに、上に立つ者としての在り方も教わった。


 体育祭の準備は佳境に入り、鈴音に付いているだけの小鐘でさえ目が回りそうなほどだった。

 積み上がった段ボール、袋に詰められたポンポン、応援旗に、リレーのバトン。姉と共に在庫のチェックをしながら、来年も同じことをするのかと小鐘は少し気が滅入っていた。


「疲れちゃった?」


 急に顔を覗き込まれ、驚いて後ずさる。

 鈍いところも多い姉だが、時折こうして鋭敏に小鐘の様子を察知する。その違いが何から生まれているのか、小鐘にはわからないが。

 誤魔化すのも変かと思い「ちょっとだけ……」と答える。

「そうね、私も流石に疲れちゃった。今日はこのチェックが終わったら帰りましょうか」

 鈴音はそう言って、小鐘に微笑みかけた。


 作業を再開した姉の背中に、小鐘は少し意地悪な問いかけをしてみる。

「天下の生徒会長が私にばかりかまけて良いんですか?」

「体育祭で生徒会がやることなんてそう多くないし、他の人に任せておけばいいのよ」

 小鐘の言い方など全く気にした様子もなく、鈴音はそう言って笑った。


 まあ、文化祭と違って予算管理とか場所管理とかしなくて良い分、楽なのか?

 とはいえ、生徒会長が備品チェックというのは何か間違っている気が……

「よいしょ」と備品の箱を棚に戻した鈴音が、小鐘の方へ振り向く。


「それに、この学校であなたより大切なものなんてあるの?」


 小鐘の喉が、空気の抜ける高い音を立てる。

 これは小鐘にではなく神子に対する言葉で、神子に対しては正しい評価だ。だから動揺する必要などあるはずもないのに、心臓が激しく動くのを止められない。

「さ、暗くならない内に早く帰りましょう」

 小鐘が動揺している内に、備品チェックは鈴音が終わらせてしまったらしい。


 時刻は午後七時。部活動で残っている人や、他の作業者もそろそろ帰る頃だ。

 小鐘はぎこちなく頷き、姉に続いて倉庫を出た。


「それじゃあ、報告に行ってくるわね。少し待ってて」と小鐘を置いて職員室へ去っていく姉を見送りながら、小鐘は先程の言葉を、なんとか飲み込もうとしていた。

 自分は神子で、それは、この学校に於いて、最も大切なものだ。これは全くの事実であり、この町にいる以上、否定できない。

 ああほら、落ち着いてきた。

 なんてことはない。姉は、神子を大切にしただけだ。


 落ち着いてくると特にすることもなく、暇を持て余していた小鐘は、備品に溢れた廊下にぼんやり立ち尽くしていた。

 廊下には何が入っているのかわからない段ボールが乱雑に積み上げられている。明日はこの中身を確認するのだろうか。せめて丁寧に詰んでおいてほしいものだ。


 手持ち無沙汰になった小鐘は、視線を窓に移す。

 窓の向こうに見える校庭は既に無人になっていた。先程まで聞こえていた野球部員たちの声も、いつの間にか聞こえなくなり、代わりにカラスがカァカァと鳴いている。

 報告だけならすぐ終わるだろう。小鐘はそのままぼんやりと窓を見つめていた。


 ふと、目線を横にやると、小鐘を敵視している女生徒三人が見えた。

 彼女らもこんな時間まで準備して、大変だな。と思いながら眺めていると、ズンズンと小鐘の方へ近づいてくる。

 都会では”ぶつかりおじさん”というのが流行っているらしいが、それの亜種だろうか。小鐘は呑気に今朝のニュースで見たことを思い出していた。

 まあ、青海という土地で、あからさまに神子に危害を加えるほど、彼女たちも馬鹿ではないだろう。すれ違いざまに軽く肩が触れるのが関の山。

 その程度の嫌がらせなら、仕方がないと目を瞑ろう。これも大事な寛大さだ。


 そしてようやく、筆頭と思しき女性との肩が、小鐘に触れる。

 流石に衝撃を殺し切ることはできず、小鐘は二、三歩後ろによろめいた。


 そこに段ボールが不安に積み上がっていることを忘れて。


 ふらついた足では上手く段ボールを避けられそうにもなく、小鐘はさすがに少し焦った。

 触れた感じ、あまり重いものは入っていなさそうなのが救いだ。

 尻餅をつき、頭を守ろうとしたところで、小鐘は廊下の少し奥に”彼女”を見付けた。


 崩れてくる段ボールを眺めながら小鐘は、


 ──ああ、彼女たちにとって最も不幸なことは、小鐘に出会ってしまったことではなく、現場を姉に見られてしまったことだろうな。


 そんなことを、考えていた。


 段ボールがガラガラと崩れ去る。普段の様子から想像もつかない速さで駆けつけた鈴音は、その全てを身に受けて小鐘を守った。

 床にぶち撒けられた段ボールの中身は予想通り、入退場門の花飾り、ハチマキやゼッケンといった軽いものばかりだった。

「大丈夫、小鐘?」

「はい、お姉様こそ、お怪我はありませんか?」

「大丈夫よ。体は丈夫な方なの」

 姉が笑顔で答えたことに安堵し、それから、少しの憎悪を覚えた。


 小鐘は、自分自身に危害が加えられることをあまり気にしていない。というのも、神子という肩書は、神の加護を受けているという意味であり、怪我や病気とは無縁だからだ。

 鈴音もきっとそんなことはわかっていて、それでも、妹を守ろうと動いてしまったのだろう。

 これで鈴音に怪我を負わせていたらと、小鐘は自分自身と、女生徒三人に苛立ちを覚えた。

 もっと上手く人間関係を構築できていれば、これほどあからさまに敵意を剥き出しにするような存在を作らなければ、こんなことにはならなかったはずだ。


 中身は軽くとも、段ボールの数がそれなりにあり、その音が廊下内に反響していた。だからか、まだ学校に残っていた教師や生徒たちが何事かと集まり始める。


 現場には崩れた段ボールに埋もれた榊原が二人と、真っ青な顔をして立ち尽くす女生徒が三人。

 起こった事象全てをそれで察することは不可能だろうが、大まかに何が起きたか想像することは簡単だろう。


 段ボールの片付けは他の生徒が請け負い、女生徒三人は教師に連れて行かれた。鈴音と小鐘はまず保健室に、という形で一旦その場は収まった。


 彼女らに下される裁定は、せいぜい停学だろう。この狭い青海の町に、高校は二つもない。

 引っ越しをするというのなら話は別だが、姉も私もそこまでの処分は望んでいない。体育祭にも参加できるように取り計らってもらおう。

 結果として実害を被ったのは姉になってしまったが、元々は小鐘への攻撃だ。小鐘は自分自身の未熟さを恥じて、自らの目標である姉のようになるために、一層努力する決意をした。


 ただ、もし仮に彼女たちの行為が、小鐘自身に実際に危害を及ぼしていた場合はどうなるのだろう。それは、小鐘にもわからないことだ。

 青海は神域だ。常にその行動は常に神に見守られている。

 あのとき、もし鈴音が小鐘を守らなければ────


 もしもの話に、意味はない。

 小鐘はすぐに思考を手放した。

 あの程度なら、命に関わることはないだろうから。


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