第6話 蹂躙する者
小鐘の入学から三週間が経った。
この頃になると、クラスメートや上級生たちも、小鐘という存在に慣れつつあった。
「部活には慣れた?」
鈴音の質問に、小鐘はどう答えるべきか逡巡する。
小鐘自身は元々部活にそれほどの思い入れはなく、人間関係も適度で良いと考えている。体験入部でお世話になった先輩と笑顔で会話を交わせているのだから、慣れたと言って良いだろう。
部活のメンバーも、小鐘という異分子が存在することに、ある程度は慣れてきたとは思う。
「ええ、先輩方も優しく、楽しく活動させていただいていますよ」
まだ気になることは少なくないが、小鐘の問題は小鐘の問題だ。姉に心配をかけるまいと、小鐘は笑顔でそう答えた。
「でも──」
小鐘の記憶に蘇る、『神子だから』なんて、呪いのような、妬みや僻みがぐちゃぐちゃに混じり合った、”努力”を否定する言葉。
小鐘自身を敵とみなし、向けられる憎悪。
青海という土地で、小鐘という神子を明確に傷つけようとするものはいない。しかしそれは、妬みや憎みの対象にならないというわけではない。
小鐘と同じステージに立ったとき。思春期の複雑な感情の中、自尊心を破壊し、凡才によるすべての努力を蹂躙する小鐘の存在は、邪魔でしかなかった。
「大会に出られなくて良かったです」
小鐘がどこか諦観したような、それでいて何かを馬鹿にしたような息を漏らした。
「あら、目立つのは苦手?」
キョトンとした姉の顔に、彼女はこの苦労を知らないのかと錯覚してしまう。
鈴音は小鐘と違って天才ではなかったが、だからこそ努力して、努力して、今の榊原の名を保っている。その努力を知ろうともせず、嫉妬や憎しみを抱く人間はいるはずだ。
それでも姉が微笑むのは、どうしてだろうか。
小鐘はこれまで多くの凡才を踏みにじってきた自覚がある。どんなに努力しても追いつけない差が、小鐘にはあるのだ。
だから小鐘は──
「争うのは、あまり好きではありませんから」
そんなふうに、誤魔化すことしかできなかった。
小鐘の返答に、鈴音は少し間を置いて「そう」と返した。そんな短い言葉で、小鐘は、姉も同じような心境に至ったことがあることを察した。
それでも、それを隠し通して、笑顔を保っているのだ。それも、生徒会長という肩書を背負って。
姉のその振る舞いによって、自分自身の未熟さが恥ずかしくなる。小鐘は自分が神子だからと、どこか高慢になっていたことに、気付かされた。
「……それなら、良かったわ」
鈴音の手が優しく小鐘の髪に触れる。
「賢い子ね。私の、自慢の妹よ」
榊原という名を背負う以上、鈴音が生徒会を引退した後は、小鐘が生徒会長になることは確定している。生徒会長になった後は、今よりずっと注目されることになるだろう。
姉の名声は小鐘のもとにもよく届いていた。華々しい功績を挙げるわけではないが、堅実で、誠実で、優しい人。生徒会長として、生徒みんなのことを考え、みんなから慕われる理想の生徒会長として。
今の小鐘は、部活やクラスでまだ少し浮いている。特に部活内での関係は、まだまだ改善の必要がある。
小鐘は改めて姉の素晴らしさを感じ、自分自身の行動を省みた。
神子だからと割り切るだけでなく、もっと姉のように上手く立ち回れるようになろう。全ての人にじゃなくてもいい、多くの人に賛同されるような人間になろう。
それこそが、尊敬する姉のあるべき場所であり、自分の目指すべき場所だと思った。
だが、どれほど姉に歩み寄ろうとしても、小鐘が抱える罪悪感が消えることはない。
美しい姉を手本にしようと願えば願うほど、これまで自分が彼女の努力を無意識に踏みにじってきたという事実が、鋭く胸を刺した。
小鐘のように天賦の才を持つわけではない鈴音は、父からの重責に押しつぶされそうになりながらも、誰よりも努力して榊原の名を保ってきた。
部活を決めたあの日、鈴音がホッとした顔をしたことに、小鐘は気付いていた。いや、はじめからわかっていたのだ。だからこそ、姉とは別の部活を選んだ。
中学までは姉の背中ばかりを追い、そして姉を追い抜いてきた。そのたびに姉はどこか諦観したような表情で、ただ少し悲しそうに眉を下げる。そしてまた、私に微笑みかけてくれる。
あの無神経で能天気な母と同じように、無邪気に姉を傷つけ、姉の優しさに甘えていることに気付きもしなかった。
愚かな私は、長い間ずっとそうして、姉を苦しめ続けていたのだと、中学生になってようやく自覚したのだ。
だから、初めから決めていた。高校からは姉と違う道を選ぼうと。
私は、普通でありたかった。普通の人間で、普通の妹。
全てにおいて姉に勝るような突出した才能を持つ特別な人間ではなく、ただ普通に、得手不得手があり、姉と同じ目線で世界を見ることができるような人間になりたかった。
そうしたら優しい姉は、今よりずっと、息がしやすかっただろうか。




