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第41話 飛ばない鳥

 季節は春。

 鈴音の卒業式の翌日の大潮神社は町民たちで賑わっていた。


「な、なんか大事になってない?」


 鈴音は舞台裏でコソコソと隠れながら、神社の様子を見て囁いた。

 並んでそれを眺めていた小鐘は「お祭りみたいだな〜」と呑気なことを考え、鈴音へは「そうですねぇ」とふわふわした返事をした。


 実際に神社は祭りの時と同様に、神楽舞の舞台が組まれ、町民全員が集まり、賑やかになっていた。


 今からあの中で婚約発表をするのかと思うと、鈴音の胃はキリキリと痛んだ。


「ま〜あ、神子の婚約発表となれば、そりゃ町民にとってはお祭り騒ぎですよね」

「うわっ、びっくりした」

 小鐘の後ろから汐さんがひょいと現れ、鈴音は腰を抜かした。

「お、音もなく現れるのやめてください……」

「……神社では静かに過ごすのが良いですよ」

「そ、そういう問題ですかね……?」

 鈴音の懐疑的な視線に屈することもなく、汐さんは涼しい顔でその視線を微笑みで流した。


「正式な式ともなれば、きっともっと賑やかになりますよ。楽しみですね」

 汐さんはこれで本当に楽しそうに微笑むから、タチが悪いんだ。鈴音は心の中で悪態をつく。

「冗談ですよ。神前式は儀式らしく、厳かなものになりますから」

 そりゃそうかと鈴音がホッと息を吐いたところで、汐はさらに続ける。

「ま、式が終わった後はお祭り騒ぎになるでしょうけどね! アッハッハ!」

 それはもう楽しげに笑う汐を見て、やはりこの人は母の弟なのだと実感する。お祭り騒ぎが好きなのは海良も同様だ。


 なお、汐は、神の気まぐれを恐れてヤケクソになって笑っているだけである。

 周囲の環境に振り回された男は、ここに来て笑うしかなくなったのだ。


「大丈夫ですよ、お姉様。私がいますから」


 小鐘は落ち着いた様子で、微笑みながら姉に手を差し伸べた。

 鈴音はその手をとり、深呼吸をする。


 震えはまだ治まらないけれど、きっと小鐘とならなんとでもなる。今後も、きっと。

 そんな漠然とした自信が自分の中に湧き出ることに驚きながら、鈴音は小鐘に微笑みかけた。

 小鐘は当然のように微笑み返し、そして二人の婚約発表会が始まる。


「さあ、参りましょう、お姉様!」


 小鐘の顔は、これまで見たどんなときよりも輝いて見えて、鈴音は思わず目を細める。


「この先が、私たちの輝かしい未来の第一歩です!」


 汐に見送られながら、二人は舞殿に歩を進め、壇上に立つ。

 小鐘が神子として舞い始めるまでは、鈴音も立っていた場所だ。

 そこが今、私たちの未来に繋がる道になる。


 湧き上がる歓声と町民らの笑顔に、二人は満面の笑みを返した。


**


 婚約発表がお祭りなのはまさにその通りで、この場はただ二人が婚約を発表するだけの場ではない。


 鈴音と小鐘はまず、町民全員に向かって婚約を発表する。

 これは単純に発表するだけなので、特に緊張するほどのこともない。


 続いて、通常は一人で行う『大潮の舞』を二人で行う。大潮の舞とはよくできたもので、最大三人まで合わせて美しく見えるよう構成されている。

 この大潮の舞は夏祭りと正月、簡易的なものを含めるなら学校での行事などで行われるが、二人で舞うことはそう多くない。そもそも舞える人間が多くないからだ。

 珍しい二人舞だと町民らは楽しみにしていた。


 その後は何故か餅投げをする。これに関しては汐さんも「さぁ、慣習ですね。なんでしょう、これ」と言っていたほどなので、大した意味はないのかもしれない。


 婚約発表まで鈴音は、小鐘と合わせて舞う練習を何度も重ねた。昔取った杵柄といっても、離れていた期間は長い。それを取り戻すには、小鐘の何倍も練習する必要がある。

 故に一人でも何度も練習した。

 小鐘ほど才能もなく器用でもない。それでも、隣で並び立てるほどに美しく舞わなければならない。並び立って、誰よりも小鐘が輝けるように。

 鈴音はただ、祈るような気持ちで、しかし激しい情動の中で、挫けそうでも折れることは許されないから、何度でも立ち上がる。


 大丈夫、私は舞える。


 神に認められる舞を、小鐘には及ばずとも、美しく、優雅に舞って魅せる。


**


「お疲れ様でした」


 舞台裏に戻り、肩で息をする鈴音に、汐からミネラルウォーターが差し出される。それは既に小鐘の元にも届けられているようで、鈴音はそれを確認してからペットボトルの蓋を開けて喉の奥に流し込んだ。

 ペットボトルを開ける自分の手が震えてることに笑えてしまう。


 鈴音は「ああ疲れた」と言いながらバタンと床に倒れた。


 鈴音の人生で、あれほど緊張したことはこの人生で他にないだろう。一人で舞うよりよほど緊張した。

 なぜなら、誰より美しく舞う小鐘が隣りにいるのだから!


「……汐さん」


 鈴音は舞台裏の天井を見つめ、義父の名を呼んだ。


「なんだい?」


 覗き込んできた人の善さげな顔は、これまで何度も見てきた、彼の外向きの笑顔だ。

 正式に上守に入り、上守で暮らすことになれば、彼の他の顔を見ることもあるのだろうか。


「私は、ちゃんと舞えていましたか?」


 汐は一瞬顔を上げて、再度鈴音に微笑みかけた。


「それはもう、優雅に」


 芝居がかった言葉に、鈴音はつい笑いがこぼれる。

 ああ、彼は優しい人だ。本当に、優しくて、残酷な人だ。


 鈴音は両腕で顔を覆い、歯噛みし、涙をこぼした。

 ミスは確かになかった。優雅だと言われれば優雅だったろう。

 けれど、隣に並んだことでわかってしまった。


 どうあっても小鐘には届かないこと。

 あの一分の隙もない美しく優雅な舞と、自分の舞では比べるのもおこがましい。


 ……届かない。届かないんだ。


 鈴音は天才ではないし、どれほど努力しても届かないんだ。


 鈴音の瞳から大量の涙が溢れる。


 ブランクは確かにあった。

 でもそんなものじゃない。

 例えば人が、人ならざるものに及ばぬように、溢れるあの天賦の才に、所詮は秀才止まりの鈴音が及ぶことなどない。


 それがいま、芯の髄まで、理解させられてしまった。

 悔しくて悔しくて仕方がなかった。

 一番大切なものが、一番遠い存在であることが。


 けれど、鈴音の気持ちには、どこかすっきりしたものもあった。

 いつか届きやしないかと手を伸ばし、傷つき続けるより、よほど健全だと思えた。

 飛べない鳥は飛べないのではない。地を駆け、海を泳ぎ、飛ばないことを選んだのだ。


「良い舞でしたよ」


 汐は、今度は二人に向かってそう言った。

 その言葉は、今度はすんなり鈴音の体に入ってきた。


「ありがとうございます」


 意図せず重なった声に笑って、鈴音は長年降り積もってきた何か重たいものを、やっと手放せた気がした。


 きっともう、鈴音があの高みへ手を伸ばすことはない。けれどそれは、決して消極的な選択じゃない。

 届かないものに焦がれ続けて、傷つき続けて、ようやく気付いた。

 鈴音には鈴音の目指すべき道がある。ただ、それだけのことだったのだ。


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