第4話 沈黙の晩餐
小鐘が家の門をくぐると、梅芽が頭を下げてそれを迎えた。
榊原家では、専属の侍女は、護衛からの先触れを受けて、必ず門の先で待つことになっている。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ええ、ただいま」
慣れた景色に、小鐘は表情一つ変えずに、黙って梅芽に学生鞄を預ける。以前までは別の侍女だったが、人が変わったところで、そこに生じる役割が変わることはない。
小鐘の後ろを同じ速度で付いて歩き、玄関扉に近付くと、今度は先回りして扉を開けて待つ。
梅芽の動きもなかなか板に付いてきたものだと思う。まだわたわたと忙しない雰囲気はあるが、最低限はこなせていると言って良いだろう。
そもそも小鐘が侍女に求めることなどそう多くはない。朝、部屋の主である姉への挨拶より先に自分の所在を確認したことはマイナスだが、自分付きの侍女であることを考えれば大きな問題ではない。
洗面所で手を洗い、扉を出たところで、自室から出てくる姉を見つけた小鐘は、慌てて姉のもとに駆け寄った。
「お姉様っ」
真っ青な顔でふらふらと視線を泳がせる鈴音は、小鐘がこれまで見たどんな姉より不安定で弱々しく見えた。
思わず引き止めてしまったが、どうせ向かう場所は同じだ。小鐘は少し考えて、姉の手を握り、こう提案した。
「お食事、一緒に行きましょう。すぐに着替えてきますから、お待ちいただけますか?」
鈴音が頷くのを待たず、小鐘は篠乃へ目配せして鈴音を部屋に戻らせた。篠乃も小鐘の提案に異論はなさそうだった。小鐘の立場以前に、自分の主人の様子がこれでは当たり前か。
自分の行いが少しでも姉の救いになるだろうか。
小鐘には、ただ祈ることしかできない。
自室で最低限の身なりを整え、小鐘は姉の部屋へ急いだ。
一方、篠乃によって椅子に座らせられた鈴音は、焦点の定まらないままぼんやりと床を見つめていた。何かを考えることすら、今は脳が拒絶している。だから、自分が何故、自室で椅子に座っているのかもよくわかっていなかった。
隣の部屋がにわかに騒がしい。妹が帰ってきたのだろうか。ああ、いや、妹は確か私に、何かを言っていたはずだ。
鈴音は散らばった思考をなんとか拾い集め、妹のことを考える。小鐘はいつもまっすぐに愛を伝えてくれる。ずっとそばで笑っていてくれる。だから、小鐘のことを考えているときだけは、穏やかな心であれた。
自分の心の緊張が、少しだけ解けるのを実感する。変わったところの多い妹だけれど、彼女が自分を傷つけることはないだろう。
「お待たせしました、お姉様」
やがてやってきた小鐘は、鈴音の足元に跪き、行儀よく揃えられていた手をそっと包み込んだ。
「大丈夫ですよ、私がいますから」
鈴音が恐れるような忠臣を、小鐘は知らない。小鐘にとっての忠臣は、神子という肩書を恐れる臆病者でしかないからだ。
だから、小鐘には想像することしかできない。想像して、寄り添い、わずかでも救いになりたい。その一心で、小鐘は鈴音の手を握りしめた。
二人が食卓へ向かうと、既に他の全員が席に着いていた。普段は空席の場所に人がいることに違和感がある、というのが小鐘の率直な感想だ。能天気な母はいつも通り、対して兄はさすがに緊張しているようだった。
朝食と同じように母の合図で食事の用意が始まり、小鐘にあわせて食事が始まる。
元々食事中の会話は殆どないが、いつも通りの沈黙にも、妙な緊張感があるように思えた。
全員が揃っていてもこんなものか。小鐘の感じたものは、明確な落胆だった。
黙々と自分の食事を進める忠臣、その人を呼び出しておいて話題を振るでもなく黙ったままの母、忠臣に萎縮していつもより食事の遅い兄、忠臣に怯えてまともに食事ができない姉。
家族の在り方は、その家族によりけり。けれどもこんな家族なら、家族である意味はあるのだろうか。
コトン、と忠臣の茶碗が机に置かれる。
「ごちそうさま」
それだけ言うと、忠臣はすぐに立ち上がった。
「相変わらず早食いだねぇ。もう少しゆっくり食べれば良いのに」
「……」
母の言葉に答えることなく、忠臣はそのまま居間を出ていった。まるで、この場所──小鐘から逃げるように。
会話の一つもなく、黙々と食事だけを終える。こんなことのために、母はあの人を呼んだのだろうか。小鐘には理解できなかった。母の行動も、忠臣の行動も。
去り際に声をかけるくらいなら、食事中に話しかけても良かったじゃないか。それだけで、食卓の空気は変わっていただろうに。
小鐘にとって大切なのは姉が幸せであることだ。そしてこの食事は、それを脅かすものだった。
何かが変わるだろうかと期待して、家族揃っての食事を受け入れたが、結果は最悪の部類。こんなことならどうにか阻止すれば良かったと思う。小鐘にはきっと、それができた。
神子という存在は、青海という土地に於いては絶対の権力を持つ。神を除いては、最も高い立場にあると言っても良い。その小鐘が望めば、忠臣を食卓に呼ばせないことくらい簡単にできたはずだ。
特に、母や兄は信仰心に篤い。小鐘の言うことであれば、間違いなく従ったはずだ。
姉の症状の深刻さを見誤っていた。これほどまでに恐れ、怯えるとは思っていなかった。
自分の失敗を悔いて、小鐘はぎゅっと歯噛みした。
忠臣が去っていったあとの兄は、次第にいつもの調子を取り戻して黙々と食事を続けた。対して姉は、それでもやはり真っ青な顔でまともに食事が出来ていない様子だ。
ここで小鐘にできることはそう多くない。姉に声をかけ、いたわることは不可能ではないが、食事の場では不自然だろう。
姉のペースに合わせてゆっくりと食事を摂る。最後までそばにいる。それが今の小鐘にできる唯一のことだった。




