第39話 選択肢は一つじゃない
「鏡矢くんはああ言ってたけど、まだ選択肢はあるんだよね」
榊原家を見送った後、食事の用意を終えた汐は食卓で、小さく呟いた。
現上守家当主である波子は、用意された食事に手を伸ばしつつ、チラリと汐を見やった。
「例えば、僕なんてまだ結婚もしていないけど、子どもができれば、一世代上がる分、血は濃く受け継がれる」
海良と汐の血の濃さは同じだ。海良の子である鏡矢が子を産むとなると、海良や汐の直接の子より、一世代分血が薄くなるのだ。
それを解決するには汐が結婚し、子を持つのが一番簡単な方法に思えた。
「アンタが結婚してないのは、アンタに甲斐性がないからだろうさ。早く結婚しろと何度言えばわかるんだい」
「わ、わかってるよ母さん……」
上守家現当主と、大潮神社神主といえども、家に帰れば一つの家族だ。二人はいつものように談笑しながら食事をしていた。
ここに海良がいた頃は更に賑やかだった。汐は二人になった食卓を、少し寂しく見つめた。
今思い返すと良い思い出として蘇ってくるが、しかしはっきりと思い出してくると、傍若無人な姉に振り回されて苛ついた記憶も付いてくる。全くままならない思い出だ、と汐はため息を吐いた。
せめて父が生きていてくれたなら、この場の空気も少し違っただろうか。いや、男二人相手でも、母さんには敵わないだろうな。
「僕の結婚話は、一応進んでるよ。母さんも会ったことがあるだろう、鴻の娘だ」
「ああ、あいつの娘か。ああ、ああ、よく覚えているとも。おっとりした顔をしておきながら、かなりはっきりモノを言う娘だったんで、驚いたのをよく覚えているよ」
鴻家は、代々榊原家の当主に仕える人間を輩出する家系だ。最も出来の良い者が榊原家当主に仕え、他の子らは自由に過ごしていたはずだ。
長男は漁場で働き、次男が現榊原家当主の付き人──の見習い、三男はまだ高校生だったか?
現榊原家当主には、鴻の家長である英一郎が付き、その後ろをくっついて歩いて仕事を学ぶのが見習いの次男だ。
娘は確か二人いたが、汐の婚約者と言うと次女の方だろう。次女の名前は確か──
「姫花だったか。ダハハ、奴め可愛らしい名前を付けるもんだよ」
こう笑って飛ばせるのも、波子と英一郎が同級生だからだ。学生時代はよく喧嘩もしたものさ、と酒の席でよく話す。
「いい名前だ、姫のように、花のように大切に扱っているんだろうねぇ」
「そう聞きます。僕の結婚話が長引いてるのもそのせいらしいとも……」
「アッハッハ! そりゃなんとも、早めに諦めてもらいたいところだねぇ」
鴻英一郎とは、顔が厳つく渋い男だが、自分の子にはとても甘い。マナーや教育には厳しく、自分の子の粗相を許さない男であるが、可愛がりが激しいと聞く。
汐はあの、忠臣にも劣らぬ厳つい顔を思い出して、ため息を吐いた。今週末も鴻家へ訪れる予定だが、結婚話が上手く進む気がしなかった。
蝶よ花よと育てられ、気品高く育った娘たちは皆一癖二癖ある。
汐の婚約候補者である姫花は、先程波子が言ったように、一見おっとりしているようで、その実かなり気高きお嬢様だ。その上若干サディスティックな気質がある。
汐が英一郎に頼み込んでいるのを見て、楽しんでいるのだろう。
そもそも学生時代に告白してきたのは姫花の方なのに、何故僕が苦労しなくちゃいけないんだ。汐は釈然としない気持ちで、お茶をすする。
「あとは……姉さんに頑張ってもらう、という手も、なくはない。高齢出産にはなるだろうけど、女で血を繋ぐなら姉さんが産むのが良いだろう。忠臣さんがなんと言うかはわからないけど……」
「そうねぇ、海良ちゃんは軽く引き受けてくれそうだが、忠臣くんはあれで海良ちゃんを大事にしているからねぇ」
海良は汐の三つ上で、既に子どもを三人設けている。そこに更に女の子を産んでくれというのは気が引ける。
忠臣さんの方は嫌がりそうだな、と汐は苦笑いで漬物を口に運んだ。
「それにしても、大潮様が『何か考える』と言っていたのが気になるところだね」
「ああ、それは確かに」
なんだかろくなことにならなそうで汐はちょっと憂鬱だった。
神の姿が見えること、対話できることが神子の特権ではないと知った今、神はどのように汐にその『何か』を伝えるのだろうか。
あるいは、大渦様の件で特権的に鈴音さんだけを許したのならば、直接鈴音さんたちの元へ赴く可能性もある。
何にせよ、汐にはどうもできないことだ。
「残念ながら、僕には大潮様のお考えなど想像も付かないよ」
「そりゃ私もだ」
二人して笑いあって、手が止まる。
「……海良ならやりかねんな」
ポツリと波子が呟く。
それと同時に汐も「姉さんならやりかねないな」と呟いた。
二人揃って同じ意見が出たことにまた二人で笑いあって、そんな感じで上守家の食事は進むのであった。
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一方その頃、榊原家の夫婦の寝室では、忠臣と海良が姉妹の婚約に当たって必要そうな作業の諸々をピックアップし、考えていた。
そうなると必然的に、血筋の話が出てくる。
一瞬訪れる、間。
忠臣は少し考えて「大潮様の考えというものを、聞いてからでも良いだろう」と片付けようとした。
しかしそれは海良によって遮られた。
「アタシがもう一人女の子を産めば解決するんじゃない?」
忠臣が苦い顔をする。
驚きはしない。なぜなら、海良がどんな人間か知って結婚したのだ。そんな結論を出す人間だということは、知っていた。
「待とう、海良。お前は既に三人も子を産んでくれたし」
もっとも、これまでの出産もすべて海良の主導だったのだが。
「年齢的にも、体力的にも、無理とは言わないが、大変だろう」
忠臣としても。
「大潮様が『何か考える』と言ってくださっているのだ、それを待とうじゃないか」
忠臣は早口でそうまくし立てたが、海良はもう一切耳に入っていない様子で「イケる!」と拳を天に突き上げていた。
わかっている。わかっていたのだ。
忠臣は海良がそういう人間だとわかっていて、結婚したのだ。
この先は前途多難だ。何もかも前例がなく、考えることは多い。
自分の選んだ女に振り回される未来が見えて、忠臣はがっくりと肩を落とした。




