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第38話 自由に生きよ!

 階段を登り、鳥居をくぐると、いつものように汐が笑顔で全員──海良を除く──を、笑顔で出迎えた。


「こんにちは。待っていましたよ」


 昨夜、事前に連絡を入れておいたこともあり、汐はとても落ち着いていた。

 汐は汐で、姉妹の感情はある程度把握していたので、こうなることもあるだろうと予想はしていたからでもある。

 事前の電話である程度のことを把握していたため、汐はまず忠臣と海良、鏡矢の三人を社務所で待たせ、姉妹を本殿へと案内した。


「鈴音さんの仮説が本当であれば、そのままお二人からお話をしてください。そうではなかった場合、つまり神は神子の前にのみ現れるとわかったときには、小鐘さんからお話をしてください」

「はい」

 本殿で御神体を目の前にすると、さすがの二人も緊張しているのか、返事の声が震えていた。汐も、海良の結婚の願いを書いた文を捧げたとき以来の緊張だ。


 二人を残して本殿を出た汐は、残る三人の待つ社務所に戻った。


「あれ、シオだけ戻ってきたんだ」

「鈴音さんの仮説が本当かどうか、自分が神に選ばれるかは別ですからね。私がいては不都合もあるかもしれません」

「今は普通の話し方したら?」

 海良の指摘に、汐は苦虫を噛み潰したような顔で海良を睨みつけた。

「鏡矢くんがいます」

「別に気にしないよ」

「気にしないのはお前だけだ」

「あ、ちょっと砕けた」

 汐の眉間のシワが更に深くなる。


 だから海良は困るのだ。姉弟として一緒に育った時間が長い分、気が抜けてしまいやすくなる。その上、反応が軽いから、ついつられてしまう。

「……おれがいて、大潮様が現れなかったら困るだろ。大渦様の件では確かに鈴音さんは神を見て、対話したんだろうと思う。だからといって今回も会えるかどうかはわからないが、試す価値はある」

 汐は諦めて、身内用の口調へと切り替える。海良を相手にするにはこちらのほうが楽だ。

「それに、鈴音さんが駄目なら、神子だけで話すようにも言った。話が終わったら二人も返ってくるだろうよ」

「ふ〜ん……」

 海良は海良で何か考えているようだった。


 現状では神守の血を鏡矢に繋げてもらおうとしているが、残されている選択肢は実は他にもある。

 それは、汐が血を繋ぐか、海良が血を繋ぐかだ。

 海良が娘を産めば、万々歳だ。きっと海良もそのことは頭に浮かんでいるだろう。おそらく。


 海良が家を出ることを認めるような優しい神だ。あの姉妹を引き裂こうなどとはしないだろう。

 汐の受ける神託からも、その優しさはにじみ出ている。


 さて、神との対話は如何なる結果を生むか。

 汐は本殿の方を見つめた。


**


 一方その頃、神との交渉は拍子抜けするほどうまくいき、逆に姉妹が困惑する、という事態になっていた。


 そもそも神は小鐘が鈴音のことを想っていることは知っていたし、鈴音の感情の変化にも気付いていた。

 大潮命は、自分の神子がいかに頑固な人間かよく知っている。反対したところで、どうせ簡単には引き下がらないだろうと笑った。

 自分の選んだ神子が選んだ道を否定しては、自分の選択が誤りだったということにもなりかねない。

 血筋が途切れるのは困るが、男とは言え血を繋ぐ者がいるのなら、例外として認めてやっても良い。そう思えるほど、小鐘の意志は固かった。


『跡取りの件は、こちらでも少し考えてみよう。もしかしたらなんとかなるやもしれん』


 なんとかと言っても、鈴音も小鐘も女だ。子作りなどできようはずもなく、よもや処女受胎を果たすわけでもあるまいに。小鐘は首を傾げる。

 大潮命はその姿を見て少し笑うと、二人を慈愛に満ちた穏やかな瞳で見つめた。


『人の人生は短い。そばにいたいと思う人間のそばにいられるのは、良いことだ』


 大潮命はしみじみと呟く。


『海良も自由に生きた。お前たちも、自由に生きなさい』


 そう言うと大潮命は満足したように微笑み、姿を消した。


 文句の一つもなく快諾されてしまい、なんとも言えない不思議な感覚だった。まるで現実味がない、都合の良い夢のようだ。

 小鐘は、意地でも認めてもらうぞと、心の中で突き上げた拳を下ろすタイミングを失ってしまっていた。この気合の行き場はどこにあるのだろう。


 確かに、幼い頃から大潮命は寛大な神だとは聞いてきた。母の行動を許したことからも、相当寛大なのだろうとは思っていた。

 だからといって、ここまで都合よくことが運べば不安にもなる。


 何かを試されているのか?

 小鐘はそう勘ぐったが、神の考えなど人の及ぶところではない。小鐘はすぐに考えることをやめた。

 小鐘がどれだけ深く考えたところで、それは神には及ばないのだから。


 二人が社務所に戻ると、どう切り出そうか悩む海良たちをよそに、汐はいつものように穏やかに二人を迎えた。

「おかえりなさい。あまり長引かないとは思っていましたが、思ったより早くて驚いてしまいました。結果はどうでしたか?」

 汐の物言いから、小鐘は、彼が『神は二人の関係を許すだろう』と考えていたことを察する。

「問題ありませんでした。二人で話をして、お許しいただけました」

 鈴音がそう答えると、汐は「それは良かった」と笑った。結果のわかったテストの答え合わせをしているような安堵感が見て取れた。

 よくよく考えてみれば、海良が上守を出たのを見届けた男だ。その上、現在は神主を務めている。現状、汐ほど大潮命について詳しい人間も、そう多くはないだろう。


「じゃあやっぱり俺が頑張るしかないのかぁ……」

 鏡矢は苦笑いで机に倒れ伏した。

「基本的にはそうなると思います。けれど──」

 小鐘は先程の大潮命との会話を思い返す。

「何か考える、とは言ってました」

「考えるって言ったって、なんだ、処女受胎でもするっていうのか?」

 兄と発想が被ったことに小鐘はおかしくなり少し笑う。これまであまり関わることのない人生だったが、似たところもあるのだな、と思った。

「さて、それはまさしく神のみぞ知る、ですよ」

「……それもそうだ」

 そう言うと鏡矢は椅子から立ち上がった。


「さっきまで神様と対話をしていたお前たちとは違うんでな、拝殿に寄って帰るよ」

 それなら、と海良と忠臣が鏡矢の背を追いかける。

 鈴音と小鐘は少し迷ったが、神社に来ておいて拝まずに帰るのも何か違和感がある。帰りの挨拶だけでもと、更にその後を追った。


 一人残された汐は、ようやく気が抜けたようにパイプ椅子に腰をかけ、大きく息を吐きだした。

 二人の関係を認め、神自身が対応策を考えてくれると言うならそれ以上のことはない。汐はこれまで通り、神主を続けるだけだ。

 鈴音の言った『神は、神子のみに見えるものでも、神子のみが対話できるものでもない。神はただ、見えるもの、対話する相手を選んでいるだけなのではないでしょうか?』という仮説は、少なからず汐に衝撃を与えたが、汐はこれにも薄々気付いていた。

 その疑念は、大渦様の一件で強くなっていた。だから、鈴音の言葉には「やはり」と答えた。

 書物などにも残っていないのは、鈴音たちの言うように神子の立場を確固たるものにするためだと考えれば、全く不思議なことではない。今回の件に関わった全員が、この真実を口外することはないだろう


 想い合う姉妹は、神により許された。

 めでたいことだ。

 姉は想い人と添い遂げることを、神により許された。

 めでたいことだ。


 大潮命はいささか町民に優しすぎる。

 だがそれが、町民らからの信仰に繋がっているのなら、大っぴらに文句を言うこともできない。

 これほど町民に優しい大潮命も、町民以外には厳しく、死を伴う神罰も厭わない。外部から見れば恐ろしい神なのだ。

 そして町民らも、一度神罰の対象となってしまった相手にはひどく冷たくなる。


 かつて起こった恐ろしい事故。バカな観光客たちが乗っていた車が落石によって潰され、燃え上がっていた。

 それを目にして『神罰だ』『仕方がない』と無感情に繰り返す町民らの冷たい目は、思い出すだけで身震いする。


 汐はため息を吐く。

 正直なことを言えば、ずっと貧乏くじを引かされている気分だ。

 なんだって自分の周囲の人間はこんなに自由な人間ばかりなんだ!


 今回の件も、姉の件も、家族が天罰の対象にならないかと、神の怒りに触れやしないかと、ヒヤヒヤした。

 こんな恐怖は二度とごめんだ。二度も受けたが。


「シオ、そろそろ帰るわね」


 参拝を終えたらしい海良が汐に声を掛ける。その後ろに、義兄と、仲良く笑い合う三人の子供。


「ああ、それなら、鳥居まで送ろう」


 汐は腰を上げて、榊原家全員に笑顔を送る。


「またね〜、シオ」

「お邪魔しました、汐さん」


 それでも悪くないと思えるのは、彼女たちが笑っているからだろうか。


「それではまた。お気を付けてお帰りください」


 願わくは、この先の彼女らの人生が幸せで満ち溢れたものになりますように。

 汐は本殿に向かい、深くお辞儀をした。


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