第37話 見慣れた知らない顔
週末、榊原家は家族総出で大潮神社へと向かっていた。
言い出しっぺの鈴音は何やら力んだ様子で、ズンズンと坂道を登ってゆく。その後ろを、小鐘と鏡矢が、更にその後ろを忠臣と海良が付いて歩いていた。
「正直、お兄様は反対されると思っていました」
「俺が?」
小鐘の言葉は、鏡矢にとっては心外、というか予想外だった。
確かに今回の件で一番、被害を被るのは鏡矢だと言ってもいい。とはいえ、鏡矢は元々二人の感情を知っていたし、その上で好きにさせていたのだ。応援こそしなかったが、別段文句を言った記憶はない。
「俺は一度も、お前の気持ちに口を出したことはないだろう」
そう鏡矢が答えると、小鐘は眉をひそめた。
「でも『お前は神子だ』と仰られたじゃないですか」
小鐘はその言葉を、鈴音のことは諦めて神子としての人生を選択しろという意味に受け取っていた。姉のことは諦めて、適当な婿を見繕って、世継ぎでも作れ、と言われたように感じたのだ。
「何の話だ……?」
鏡矢は自分がそんなことを言ったことなどさっぱり忘れてしまっており、首を傾げた。
「か、神無月の、お姉様の、退院の日ですよ!」
そこまで言われて鏡矢はようやくそんなことを言ったなと思い出した。けれど別にあれは、小鐘の選択を否定しようとしていたものではない。
「あれは『お前は神子だから迷わず好きにすればいい、そんなに好きなら強硬手段で以て手に入れればいいのに』という意味だ」
鏡矢はさらりとそう言ってのけた。「お前は神子だ」という短い言葉では、意味をどうとでも取れる。口数の少なさが災いして、鏡矢の真意とは反対に伝わってしまっていたことに、鏡矢は初めて気が付いた。
「なるほど……」と鏡矢が内省しながら呟いた瞬間、先頭を歩いていた鈴音が慌てて振り返った。
「え、待ってくださいお兄様、いましれっと私の権利を無視しました?」
先頭を一人で歩きつつも、鈴音は後ろの二人の会話をある程度聞いていた。盗み聞きというよりは、距離の近さゆえに自然と耳に届いてしまった、と言うべきだろう。
鏡矢の言葉にすぐに反応せず、遅れて反応したのは単純に、その言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかってしまったからだ。
「相手は神子だからな」
悪びれもせず、さも当然のように返事をされ、鈴音は言葉を失う。
確かに青海における神子の存在は特別で、神子の選択は基本的に最優先される。故に神子が鈴音を選ぶというのなら、鈴音は神子のものであるべきだと、大抵の町民は考えるだろう。それだけ神子には権力があるのだ。
どうにも釈然としない気持ちで黙った鈴音を見て、鏡矢は少し表情を和らげた。
「まあ何にせよ、落ち着くところに落ち着いたようでなにより」
良いとは言えない家庭環境で育ち、鈴音も、自分自身も正しくまっすぐ育ったとは言えないと思っていた。
けれど歪みは、もしかしたら少しずつでも、正されているのかもしれない。鏡矢はなんとなく、そう思った。
きっとそれは、鈴音の力だ。
かつての鏡矢は、鈴音に対して決してまともとは言えない態度を取っていた。邪険にし、煩わしいとすら思い、冷たく突き放した。
それでも今も鈴音が、自分を兄と呼んでくれるのは、奇跡に等しい。
もし気性の荒い性格なら「お前など兄でもなんでもない!」と言われても仕方がないことをしてきたと思う。小鐘が父に叫んだ言葉のように、拒絶されてもおかしくない関係だった。
あの日ようやくまっすぐに向き合って、だからこそ今日があるのだ。
許されたことに甘えず、二人を大切にしよう。大切に、守っていこう。
小鐘ほどではないが、自分も随分なシスコンになってしまうかもしれないな。鏡矢は未来の自分を想像して、笑ってしまった。
どうかこの優しい妹と、彼女が愛した人が、うまくいきますように。
鏡矢は神社を見上げてそう祈った。
ただ一つ、問題があるとすれば──
「……どっちも妹なんだよな」
鏡矢は一人、ため息を吐いた。
**
兄妹たちを最後尾で見上げながら、海良が呟いた。
「なんだか三人とも、急に成長しちゃったみたいで寂しいねぇ」
小鐘が高校に入ってから、榊原家は大きく変わった。榊原家を大きく変えるのは、いつも小鐘だった。生まれ落ちた、その瞬間のように。
「鏡矢の様子はどうだい? 次期当主として、やっていけそうかい?」
「まあまあだな。まだまだ子供だ」
そう言って忠臣は少し笑ったが、すぐにいつもの仏頂面に戻った。
忠臣の顔は幼少期からで、彼の機嫌の良し悪しとは全く関係なく、いつもその顔でむやみやたらと人に怖がられてきた。そのたびに間に入り、上手くとりなしてくれていたのが海良だった。
幼少期からの腐れ縁とはいえ、仲が悪ければ破談となる可能性もあった二人の婚約が比較的スムーズに進んだのは、互いに想いがあったからだ。
そうでもなければ、上守の次期当主予定などという、引き受ければ厄介事になるのが目に見えている縁談など、榊原としては断るべきだった。
忠臣は顔を上げて、姉妹を見た。
彼女らも、自分たちと同じようになるのだろうかと、思いを馳せて。
まずは神に許可を得て、次に町民たちを納得させなければならない。
少し形は違うが、忠臣たちが通ってきた道に似ていると思った。彼女たちには越えられるだろうか、あの険しい道のりを。
しばらく子どもたちを見つめていた忠臣は、不意に小さく、呟いた。
「あの子たちはあんな顔もするのだな」
忠臣の見てきた彼らは、もっと暗い顔で、いつも自分に怯えていた。
小鐘だけは妙に強気で、時にはこちらを睨みつけてくることもあったが、他の二人はどうだろうか。思い出すこともできない。
いつも俯いて、こちらの様子を伺うように、忠臣を怒らせることのないようにと行動していた。
厳しくしすぎたのだろう。榊原家の次期当主として、上守家の次期当主として、相応しい人間になってほしくて、激しく叱責するばかりだった。気付いた頃にはもう遅く、鏡矢と鈴音は、忠臣をただ恐れるだけになってしまった。
「昔のように、お前がなんとかしてくれるんじゃないかと、思っていたんだ。自分勝手だがな」
「う〜ん、アタシは放任主義だったからねぇ。あまり口出ししないようにしてたんだけど、今にして思えば、もう少しやりようはあったのかもしれないね」
二人で、結婚を決めたときのように。
「父親失格だったな、俺は」
忠臣が俯いてそう言うと、海良はいつものように笑って「それじゃあアタシも、母親失格だったかもね」と返した。
もう取り戻せない過去を悔やんでも、仕方のないことなのかもしれない。
けれど、だからこそ、忠臣は決意した。
「あの子たちが二人で生きる道を選ぶのなら、その後押しをしてやろう。今までやってこなかった分だけ、父親として、彼女たちを守っていこうと思う」
「そうだね。アタシも、アンタといるために無理を通して来たんだ。あの子たちの前に塞がる道理なんて蹴散らしてしまえばいいさ」
海良の拳がヒュッと風を切る。
それでは殴り壊してるじゃないかと、忠臣は笑った。
神社まではあと少し。
汐は何と言うだろうか。
神は認めてくれるだろうか。
不安ごとは多い。
けれど、ここまで来た。




