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第33話 父親

 海良と姉妹の会話が終わったことを確認して、忠臣はようやくその重い口を開いた。


「正直に言えば、俺にはお前たちの選択が理解できない。だが、神子の言葉であるなら、それに口を出すべきではないと考えている」


 父のこの言葉は、姉妹の予想できるところであった。なぜなら父は、神子を信仰しすぎるがあまり、神子から逃げ惑ってきたのだ。

 鈴音が思うに、父は小鐘をあまりに神聖視しすぎていた。自分の子ではなく、神子として強く意識してしまっていた。

 故に、今回も、神子である小鐘が望むことを否定することができない。


「榊原家の問題は、いずれ上守に入るお前たちに責任を負わせるつもりはない。だが、上守家の問題は別だ」


 このまま二人が一緒になれば、女の血で繋ぐことが難しくなる。延いては、上守家の血筋が途絶える可能性すら孕む危険な選択だ。


 忠臣も、昨夜からずっと考えていた。自分のしてきたことは確かに育児放棄であり、逃避だった。

 そんな男が今更二人に何を言えるだろうか。何を言ったところで、彼女たちの心には届かないような気がしてしまう。

 海良とも話し合い、今一度、初心に立ち返り、榊原家現当主としてするべきことは決まった。


「榊原家当主として──町の秩序を守る者として、問う。お前たちは、その選択に責任を持てるのか」

 持てるはずがない。そんなことをわかっていながらも問わなければならないのが、忠臣の責務だ。

「持てません。私は、私たちの選択の結果を、他人に委ね、他人に任せようとしています。だから、当主の問いには、持てないと答えざるを得ません」

 鈴音は現状を正しく理解している。そして、その答えを聞いてしまっては、榊原家当主として、二人の関係に反対する条件はもう、整ってしまっている。


 ここでどちらかが無責任にも「責任を持てる」などと言えば、もう少し反対の姿勢を見せることもできたのだがな……

 考えなしに選んだ道ではない。鈴音たちは、きちんと、その道に立ちふさがる困難を理解した上で選んでいるのだ。


「榊原家当主として、二人の関係を許すことはできない」


 忠臣は極めて冷静に、そう言った。

 榊原家当主としてはそう言わざるを得ないからだ。

 何かを言い返そうとした鈴音を制止し、忠臣は更に言葉を続ける。


「包み隠さず言えば、神子が選んだ道を否定することなど、町民の誰にもできない。それは、榊原家当主の私とて同じこと。先程は許すことはできないと言ったが、そんな権限などないのだ。できることと言えば、精々、頼み込むことくらいだろう」


 二人の話を聞いたときから、ずっと考えていた。真っ当な父親ではなかった自分の言葉を、姉妹がどれだけ受け入れるのか。

 忠臣が言葉を発するたびに、不機嫌そうに自分を睨む小鐘のことも、仕方がないと思っていた。

 小鐘が鈴音を選ぶに至った過程には、多くの要因がある。そしてその中の一つには、忠臣が小鐘を避け続けたという事実も存在する。


「私は、榊原家当主だ。そして、俺は、お前たちの父親だ」


 忠臣は、静かに、だが確かに、そう言った。


 父親だった。父親であるべきだった。

 今はもう、そんなことを言う権利はないのかもしれないけれど。忠臣はそれでも、父親なのだ。


「その選択がお前たちを幸せにするのであれば、俺はそれを、認めたいと思う」


 それは紛れもなく、忠臣による降参宣言だった。


 忠臣は、一度俯いて、子どもたちのことを考えた。けれど多くのことは思い出せず、鏡矢と鈴音を怒鳴りつけてばかりいたことだけが頭をよぎる。小鐘のことは、神事や学校行事程度でしか見かけたことがない。


「これは、榊原家当主としての言葉ではなく、お前たちの父親としての言葉だ。故にお前たちは、不出来な俺の言葉を聞いてもいいし、聞かなくてもいい」


 現状はその代償か。あるいは必然か。

 なればこそ、忠臣は選ばなければならない。ただただ、子どもたちが幸せになれる道を。


「鏡矢、お前には、長く迷惑をかけたな。榊原家次期当主としてとはいえ、厳しく指導しすぎていたのだろう。昔のようなやり方ではなく、お前が目指すべき場所を知るための手助けをする」


 一番長く忠臣と接してきたのは鏡矢だ。一番の犠牲者とも言い換えることができる。

 生まれたときからずっと、次期当主としての教育をしてきたが、その方法はあまりにも強引で、鏡矢のことなど全く考えていないものだったように思う。

 今後は、もっとよく鏡矢のことを見ていこう。既にできてしまった大きなすれ違いや傷も、溝。それらすべての埋め合わせをできずとも、もっと寄り添うことはできるはずだ。


「鈴音、お前にも迷惑をかけてきたな。小鐘を榊原家として、神子として相応しい立ち回りをできるようにしてくれたのは、お前なのだろうな」


 鈴音は、小鐘が生まれる前までは、榊原家としても上守家としても相応しい人間になるようにと接してきた。

 怯えるばかりで、殆ど自分に目も合わせない臆病者だと思っていたが、それは全くの勘違いだった。

 小鐘の気持ちには薄々気付いていたが、それを告げるのがまさか、鈴音であるとは思いもしなかった。もしかしたら、鈴音が一番真っ当に強く育っていたのかもしれない。


 神子が生まれ、逃げるように家族の前から姿を消した忠臣の代わりに、小鐘を育ててくれたのは間違いなく鈴音だ。その場その場での立ち回りの上手さは、鈴音によく似ている。

 海良は放任主義だからな、上守家としての教育ならともかく、情操教育の面ではあてにはならんだろう……


「小鐘、お前には、何を謝るべきかもわからない。あるいは、全てを謝るべきなのだろうな」


 こうして小鐘を真っ向から見るのはいつぶりだろうか。神子という特別な存在に混乱し、問題を先延ばしにし続けた自分を、許してくれと言うつもりはない。

 いつも逃げ回って、そのくせ神事や学校行事では遠目で、隠れてその成長を見ていた。

 小鐘は、俺の存在に気付いていただろうか。神事の最中、舞い踊る彼女と一瞬目が合った気がした。私はすぐに目を逸らした。

 恐怖からか、羞恥からか。それすら判別できないまま逃げ出したあの日から、何も変わっていない。遠くから見ることなんて、誰だってできる。


「小鐘、お前は神子だ。神子は、お前の想定しているよりも強い権限を持っている。お前は、お前を特別たらしめる神子という肩書を嫌っていたが、神子の言葉に、町民らは反発できない」


 もし小鐘が神子ではなく、ただの少女であれば、こんな選択を選ばせはしない。鏡矢や鈴音と同じように、怒鳴りつけて、その選択を断固として否定しただろう。

 ここで問題となったのが、小鐘が神子であるという事実だ。

 神が選んだ、神子なのだ。大潮命への信仰篤き町民らは、神が選んだ神子を神の如く信仰し、その言葉を否定することはしない。できないのだ。


「嫌いなものに頼るのは、さぞ嫌だろう。だが、開き直れ。どうあっても、神子という立場はお前につきまとい続けるだろう。それならば開き直って、利用してやれ。神子の言葉で、全てを認めさせてしまえば良い」


 神子の言葉として宣言すれば、この町ではそれがほぼ必ず受け入れられる。それがたとえ、道徳や倫理に反していても。


「俺は、お前たちの選択を、受け入れる」


 きっと、俺の子育てのやり方は間違っていた。子どもたちは俺の手なしで育っただけだ。


「俺から言えるのは、それだけだ」


 忠臣は俯いてそう告げた。


 忠臣の懺悔にも等しい言葉が終わり、少しの間、居間に沈黙が訪れた。

 誰もが次に誰が何を言うのか、何をするのか伺い合っている中、ガタンッと大きな音を立てて小鐘が立ち上がった。

 その顔は真っ赤に染まり、怒りに満ちていた。


「い、今更、そんなこと言われたって────」


 ただその顔には、怒りだけではなく、やりきれない悲しみや悔しさ、他にも様々な感情が混ざり合っていた。


 小鐘は一瞬、救いを求めるように鈴音を見たが、すぐに目を逸らし、家族の真ん中に鎮座する大きなテーブルを見つめた。


 この食卓を囲み、いつも食事を共にしていたのは誰だ?

 おはよう、おやすみ、と挨拶を交わしたのは誰だ?

 小鐘に、この世の生き方を教えてくれたのは誰だ?

 小鐘に、榊原家としての在り方を教えてくれたのは誰だ?

 小鐘に、上守家としての在り方を教えてくれたのは誰だ?


 小鐘が小鐘自身に問うそのすべてに、忠臣の姿などなかった。


 神事や文化祭を遠目に見ていたのは知っていた。でもそんなものは、他の町民だって同じだ。家族じゃなくてもできることだ。

 いってらっしゃいと見送り、おかえりなさいと迎えてくれることすらしなかったじゃないか。

 それなのに今更、父親のような顔をして、父親のようなことを言う。そんなことは、小鐘には、到底認められなかった。小鐘の人生に、忠臣はあまりに不干渉だった。


「今更……ッ、い、今更、父親のような顔をして、何をっ」


 息が、詰まる。


 私の朝に、あなたの声はなかった。 私の夜に、あなたの視線はなかった。

 生き方を教えたのは姉。榊原を教えたのも姉。上守を教えたのは母。


 小鐘が小鐘自身に問うすべてに、忠臣の姿などなかったのだ。ずっと。

 父親である以前に、家族だったことにすら疑問を覚えるほどに。


「私の人生に、あなたはいなかった!」


 遠い存在だった。

 あんな人だ、こんな人だと、人伝に聞くだけで、当の本人とは、会話をした記憶すらない。


「わ、私は、あなたを父親だと思ったことなんてない……ッ!」


 小鐘が忠臣を睨みつけたことで、二人の視線がようやく合った。

 それは、忠臣が望んでいたような状況ではない。そして、小鐘が望んでいたものでもない。


 小鐘は歯噛みし、ドタドタと乱暴に部屋を飛び出した。それを迷わず追いかける鈴音を見送り、忠臣は俯いて、ただ小さく答えた。


「そうだな」


 寂しさと、悔しさ、そして悲しみ。

 けれども”それ”を否定する言葉も見つからない。


 ああ、そうだとも。

 俺はずっと、あの子の父親になれたことなんてなかったんだ。


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