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第30話 告白

 騒動の翌日、姉妹が朝食のために居間へ向かうと、珍しいことに忠臣がいた。

 慌てた小鐘は鈴音の方へ振り向いたが、何故か気にした様子もない。そしてようやく小鐘は、そもそも居間の雰囲気が変だということに気付いた。


 兄はいつも通りの無表情だが、いつもの忠臣を前にしたときのような緊張は見られない。

 母は、まあ……別に、いつも通りだ。

 問題は忠臣だ。この男が、何故か妙に緊張している。それはもう、目に見えて緊張している。普段の威圧感など微塵も感じさせないほどに緊張していて、それが兄と姉の様子に影響しているようだった。


 忠臣は姉妹が部屋に入ってきたのを見て一度頷くと、若干震えた声で「座れ」と二人に指示をした。

 朝食を摂るのに立ったままというわけにもいかず、特に抗うことなく二人は定位置に座る。


 食卓にはまだ食事が用意されていない。何か大事な話でもあるのだろうかと小鐘が首を傾げると、忠臣はまた震える声で、今度は絞り出すように小鐘たちに声をかけた。


「昨夜は、大事にならず、良かった」


 忠臣の言葉に、小鐘は思わず「は?」と声に出してしまった。小鐘の目には、今まで自分を無視し続けてきた、臆病な男の姿が映っていた。

 だがそれに構わず、いや、構うこともできずに、忠臣は言葉を続けた。


「青海内なら問題がないと考えていたが、護衛を増やそう。大渦様のことも教育し、注意するよう言い聞かせる」


 小鐘としては「何を勝手に決めているんだ」と言いたかったが、同じように護衛を増やすことは考えていたから、これについては黙って聞いていた。

 大渦様の件も、護衛たちの知識があれば、小鐘を一人で海に行かせなかったかもしれない。

 忠臣がまだ何か言うのかと待っても言葉は続かない。


「……食事を、始めましょう。準備をしてください」


 しびれを切らした小鐘が使用人らに指示を出すと、彼女らはすぐに動き出した。榊原家当主の指示はまだなかったが、それよりも神子からの指示の方が優先度は高い。

 食卓に丁寧に並べられていく、いつも通りの朝食。忠臣がいようがいまいが、使用人のやるべきことはほとんど変わりない。たった一人分、食事が増えるだけだ。


 そして、いつものように小鐘の合図で始まる食事。

 母と兄はすぐに食事を始め、姉は少し困った様子で小鐘を見ながら、そろそろと箸に手を伸ばした。


 小鐘にとって家族だと思える存在は、姉と、兄と母だけだ。


 母との交流は少ないながらも、彼女の性格からして、彼女なりに母親というものをやっていたと思う。

 母の行動のせいで小鐘たち姉妹の問題が発生したわけだが、今更これに文句を言っても仕方がない。

 いずれ上守に入るべく学んだことの多くは母から教えられたものだったし、必要な人だったと思う。

 憎んでいるかと問われれば、憎んでいると答える。けれど、許せないかと問われれば、きっと私は彼女を許せる。

 小鐘を産んだのは母だが、神子になったのは母のせいではない。母は神子を特別視するが、それは母の血筋のせいで、母のせいではない。だからきっといつか、小鐘は母を許せる。


 兄とはそれなりに交流してきたつもりだ。

 母の教育の甲斐あって、小鐘を特別視することをやめることはできなかったが、彼なりに普通の兄として接しようと努力してくれていた。

 あの日、海まで迎えに来てくれた兄は、二人の兄らしい顔をしていた。二人の無事を確認して安堵し、頼もしく笑ってみせた。

 だから小鐘は、兄を許せる。


 けれど、忠臣は?

 神子という存在を恐れてコソコソと逃げ回っていただけの臆病な男を、父だと思えるか?


「ゆ、夕飯も、一緒に取る。全員、早めに帰ってきてくれ」


 今更、父親の真似事でもする気か?

 小鐘は不機嫌を隠すこともなく「わかりました」とだけ答えた。


 朝食を終えると、二人はいつも通り使用人らに見送られて屋敷を出る。

 父の話のせいでいつもより出発が遅くなってしまったが、いつも余裕のある通学をしているため、遅刻することはないだろう。


 通学途中、鈴音は小鐘に尋ねた。

「やっぱり、お父様は嫌い?」

 小鐘は少しだけ考えて「あまり、好きではありません」と答えた。

 はっきり嫌いだと言えるほど、あの男のことを知っているわけでもないから。


「今日は一緒に帰りましょうね」


 微笑む姉の顔を見て、小鐘の中で先程まで渦巻いていた黒い感情がほどけてゆく。優しいこの人が、ずっとそばにいてくれたから、小鐘はあの家でも幸せだった。

 姉がそばにいてくれるのなら、もう少しだけ頑張れそうな気がした。


**


 帰宅して諸々を済ませ、居間へ向かうと、忠臣が上座で待っていた。母と兄はまだ来ていないようで、部屋の空気は妙な緊張感に満たされていた。

 忠臣の様子を表すなら、極度の緊張。

 小鐘の様子を表すなら、無感動。

 鈴音からすれば、今の空気は一触即発の雰囲気にも感じ取れた。


 その空気を壊すように現れたのは母である海良で、彼女のその能天気さはこういう時にとても役に立つ。鈴音はそっと胸を撫で下ろした。

 少し遅れて兄が入ってくると、使用人たちが食事の準備を始めた。


 そして小鐘の合図と共に始まる食事。

 食事中は全員が無言で、何のために集めたのだと、小鐘の機嫌は悪くなる一方だった。

 しかし食事を終えた父は、いつものようにすぐに去っていくのではなく、全員の食事が終わるのを待っているようだった。

 海良と小鐘は気にしていないようだったが、父に待たれているというのは、鏡矢と鈴音にとってはかなり焦ってしまう状況だった。

 しかし鈴音が気を遣ったところで、小鐘は自分の食事のペースを変えようとしない。同じ速度ならば良いかと、鈴音も少し落ち着いて食事を続けた。


 ようやく全員が食事を終え、使用人らが全て片付け終えると、部屋は再び妙な緊張感で満たされる。

 使用人が用意していった食後のお茶をすすりながら、小鐘は事態を静観していた。


 そして、ここで怯んでは駄目だと声を出したのは、忠臣ではなく、鈴音だった。


「お父様!」


 突然の姉の言葉に、小鐘は驚き肩を跳ねる。まさかここで姉が何か言い始めるとは夢にも思っていなかった。


「小鐘が生まれて十数年。生まれる前と比べると、お父様に会う機会は格段に減りました。それは、お父様が小鐘という存在から逃げていたからに他なりません」

 それはその通りだが、何故今、姉が、それを指摘しているのか小鐘にはさっぱりわからなかった。けれど姉が、小鐘のことを考えてくれていることだけは伝わってくる。

「青海にとって神子という存在は特別なもので、これまでのお父様の教育方針と噛み合わず、接し方がわからなかったことは想像に難くありません」

 まあ確かに、青海の神子に、あの幻で見たような態度をとるのは無理だろう。小鐘は心の中で何度か頷いた。

 小鐘はお茶をもう一すすりして────


「お父様、こんなことを突然言うと困惑されるかもしれませんが…… 私はこの先の人生を、小鐘と歩むことに決めました」


 盛大にむせた。


「え、え、何、ちょっと、待ってください……!?」

 小鐘がわたわたとなんとかお茶をこぼさずに机に置き、姉の突然の告白に困惑していると、鈴音はさらに言葉を続けた。

「お父様やお母様がご存知だったかどうかは存じ上げませんが、小鐘はずっと、私を好いていてくれました」

 小鐘はもう言葉も出なかった。ここで兄を出さなかったのは、当然ご存知のことと思いますが、という意味だろうが、こんな突然に何を言い始めるんだ。

「そして私は、それを、受け入れることにしました。いいえ、これはずるい言い方ですね……」

 そこで鈴音は、大きく息を吸った。次の言葉を慌てて防ごうとした小鐘の手は間に合わず、鈴音は父の目をしっかりと見据え、はっきりとこう言った。


「私は、この子を愛しています。この先の未来を、この子のために生きていくと決めました」


 もはや小鐘にできることはない。

 小鐘は膝を折って愕然とした。


 そもそも始まりは小鐘にある。

 小鐘が姉を想い続け、ようやく実った恋なのだ。

 だからこの先の責任をとるのは全て自分であるべきだし、家族への報告も自分がすべきだと考えていた。

 段取りを考え、タイミングを考え、小鐘から家族に打ち明けようと思っていたのに、これでは何もかもが違う。


 だが鈴音がこうなることも、多少は予測できていた。なぜなら彼女は、小鐘の姉なのだ。

 鈴音は常に小鐘の姉であり、小鐘を守ろうとする傾向にある。

 こういうときに自分が責任を持って報告するだろうなという予測は、確かにしていた。

 だがしかし、早すぎる!

 行動力がありすぎる!


 ぽかんと口を開けた母の顔がおかしくても、珍しく父の表情が歪んでいるのがおかしくても、小鐘は一切笑えやしない。

 小鐘の気持ちを知っており、鈴音のことも理解していた兄はあまり驚いていない様子だが、小鐘は居間を支配する形容しがたい居心地の悪さを、早くなんとかしてほしかった。

 もっとはっきり言えば、今すぐこの場から逃げたかった。


 小鐘は両手で顔を覆って、大きなため息と共に俯いた。


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