第3話 平坦な道
朝食を終えた姉妹は、使用人らに見送られ、揃って屋敷を出た。
基本的に榊原家の使用人の業務範囲は屋敷内だけで、外へ出るときは同行しない。
護衛はそれぞれ二人ずつ付いているが、気付かれないようにひっそりと隠れているため、隠密と呼ぶ方が正しいのかもしれない。
しかし、そもそも青海という小さな町で何かをしようとするとすぐに周囲の知るところとなり、町全体の問題になる。言うなれば、町民全員が護衛のようなものなのだ。
凄腕の暗殺者でもなければ危害を加えることなどできやしないだろう。
昨日入学式を終えたばかりの小鐘は、スキップでもするかのような軽い足取りで、しかし決して姉のそばを離れることなく歩いていた。
「小鐘もついに高校生ね」
「はい、やっとお姉様と一緒に通学できます!」
小鐘の機嫌が良いのも当然で、先日まで二人の通学路は正反対だったのだ。
この町には、小中高とそれぞれ一つずつあるが、小中は隣り合っているのに対して、高校は町の反対側にあった。そのため、中高に分かれてしまってから、二人はいつも一人で通学していた。
高校に進学して、大好きな姉と通学路を共にできることは、小鐘にとって非常に嬉しいことなのだ。
「とはいえ、お姉様はもう高校三年生。あまり長くはご一緒できませんね……」
うなだれる小鐘の頭を、鈴音が優しく撫でる。
「少しの間だって良いじゃない。大切なのは、その時その時を大切に、幸せに感じられるかよ」
「……そうですね」
姉は、この瞬間を幸せだと感じてくれているのだろうか。そんな疑問が頭をもたげる。
小鐘は、自分の愛情が普通でないことを自覚している。今だって大げさに喜んで見せ、姉へ愛をぶつけている。そんな自分と共に歩くことは、姉にとって大切で、幸せな時間だろうか。
「こうして二人で歩くのも、久しぶりね」
鈴音が小鐘の手を取る。
優しい瞳、柔らかい手、温かい言葉。
それだけで小鐘は、すべての不安を忘れてしまいそうになる。
──ああ、こんなにも、私は……
「そうだ、忘れてた!」
鈴音がハッと顔を上げた。繋いでいた手も上げられたものだから、なんだか変な見た目だ。小鐘はおかしくなって息を漏らした。
「小鐘は部活、もう決めた?」
「いいえ。部活動の体験週間は今日からですので」
鈴音たちの通う高校では、部活動への所属が必須だ。
体験週間とはその名の通り、部活動を体験できる期間のことで、入学式の翌日から、翌週木曜日までとなっている。その後、金曜日に入部届を各部活動へと提出する。
「そうよね。うん……」
鈴音は何やら歯切れ悪そうに口ごもる。
「どうかしましたか?」と小鐘が尋ねると、鈴音は困ったように視線を彷徨わせた。
ややあって鈴音は諦めたようにため息を吐いて、ようやく口を開いた。
「あのね、本当は小鐘の選択肢を減らしたくはないから、できれば言いたくなかったんだけど……」
そうして更に深呼吸。その後にもたらされた言葉は、小鐘にとってはそれほど大きな問題ではなかった。
「実はね、榊原では基本的に”道”の付く部活に所属しているの」
鈴音たちの生まれた”榊原”という家系は、青海でも歴史ある家で、いくつもの掟がある。時代によって変化し、効力を失ったものも多いが、この部活についての掟は長く続けられてきた。
部活の制限、というのは確かに大きい問題なのかもしれない。”道”の付く部活なんて限られているのだから、選択肢が減ってしまうのもその通りだ。
しかし小鐘は「いいですよ」とあっさりそれを肯定した。理由は単純で、それを問題だとは思わなかったからだ。
それに、どうせどこへ所属しても、神子という肩書と、榊原という名はつきまとう。だから、小鐘にとっては、どの部活を選んでも同じことだった。
そもそも榊原家は部活動を含め、何かの大会に出場することが禁止されている。これは青海に於ける榊原家の影響力の都合で、榊原家の上になる存在を作らないようにするためだった。
大会へ出ないのなら、特例で榊原家は無所属でも良いところを、何故部活動への所属が必須となっているのか。それは、榊原の人間にとって部活動は『自分を律するための修行』と位置付けられているからだ。他者と競い、勝敗に一喜一憂する大会への出場が禁じられている一方で、日々道場で自分と向き合うことだけは、逃れられない掟として課せられていた。
「対象は、剣道部、弓道部、書道部、茶華道部、柔道部の五つよ。気になるものはある?」
「お姉様はどちらに所属しているのですか?」
「書道部よ。ちなみにお兄様は剣道部だったわ」
「そうですか……」
悩む素振りを見せた小鐘に、鈴音は少し違和感を覚えた。彼女なら迷わず自分と同じ部を選ぶと思っていたから。
やりたいことがあるのならそれに越したことはない。小鐘には誰にも縛られない自由な選択をしてほしい。それに、小鐘と同じ部というのは、鈴音にとってプレッシャーだった。
小鐘は幼少期からなんでも人並み以上にできた。人に習わずとも、人よりも少ない努力で、人の何倍もの成果を上げてきた。
先に始めたはずの鈴音はいつも置いていかれる。それがいつも、苦しかった。
幼少期から抱えてきたコンプレックスは、今もそれほど変わらない。鈴音は妹を認めていて、愛しているけど、それでも憎く思ってしまう瞬間があるのだ。
だから、ホッとしてしまった。
妹がすぐに「お姉様と同じ部活が良いです!」なんて言わなかったことに。
そして同時に、そんなふうに感じてしまった自分自身を恥じた。
「じゃあ私は、弓道部に入ろうかな」
鈴音の思いを知ってか知らずか、小鐘はサラリとそう述べた。兄とも、姉とも違う部活。
「かっこよくないですか? 憧れだったんですよ」そう言って小鐘は、弓を射るポーズをしてみせた。
可愛い妹の姿に、鈴音はくすくすと笑う。
妹が本当は自分と同じ部活を選びたがっていたことを、鈴音はなんとなく察していた。そして同時に、聡い妹は鈴音がそれを望んでいないことに気付いていて、敢えて別の部活動を選んだのだろうとも思った。
しかし妹の姿が単純に可愛いと思えたのも事実だ。
「似合っているわ。活躍が楽しみね」
鈴音がそう言うと、小鐘は花開くように顔をほころばせた。
***
授業を終えた小鐘は、級友たちと軽く言葉を交わしてから弓道場へと向かった。
小鐘にとって級友というものは絶対に必要なものではないが、円滑に学校生活を送るために利用する価値はある。部活の選択は合わなかったようだが、また明日、笑顔で挨拶を交わすことができればいい。
声をかけたときの、驚いたような、怯えたような顔にも慣れたものだ。そこから上手く懐に入り込むのも、小鐘にとっては造作もないことだった。
弓道部では上手くやれるだろうか。不安はないが、懸念はある。だがとりあえずは、様子見といこう。
弓道場の入口は開放されており、上級生らが体験入部の案内をしていた。中の様子も少し見ることができたが、既に何人かの体験者がいるようだった。
「体験入部、いいですか?」
案内をしていた一人に話しかけると、案の定と言うべきか、驚きと怯えの混ざった顔で小鐘を見た。
「あ、ああ、もちろん。案内するよ──いや、します?」
神子、とはいえ下級生。さらにはこの地の権力者の娘。小鐘を案内しようとする少女は、自分の立場を見失っている様子だった。
小鐘はいつものことながら自分に注がれる視線に辟易する。好きで特別な存在になったわけじゃない。才能も、神子という肩書も、榊原という名も。
「他の下級生と接するときと同じように、”普通に”接してくださって結構ですよ」
「そ、そう。うん、じゃあえっと、とりあえず上がろうか」
挙動不審な上級生の案内に従い、道場内へ入る。
道場内は独特の緊張感に満たされ、時折響く弦音が空間を支配していた。
「自己紹介が遅れたね。私は浜田、よろしくね」
「よろしくお願いします、浜田先輩」
最初に話しかけたときの反応から、彼女が小鐘のことを知っているのは明白だ。しかし小鐘は形式的に「はじめまして、榊原小鐘です」と自己紹介をして、しっかりと頭を下げた。
先輩に言われるまま、弓の構え方や引き方を学ぶ。そのぎこちない初日の動きを、周囲の上級生らは微笑ましく見守っていた。
だが、その場の空気が一変したのは、小鐘が初めて矢を番え、弓を引いた瞬間だった。
浜田は思わず息を呑んだ。彼女の動きに迷いがない。初めて弓を引く人間特有の震えや、力みが、微塵も感じられないのだ。
まるで、数年間、同じ動作を繰り返してきた熟練者のように、小鐘の体は弓と一体となっていた。
そして、放たれた一本の矢。
鋭い弦音が響き、矢は的の中央に吸い込まれるように命中した。
直後、道場内のすべての音が消失した。
隣の的で談笑していた一年生も、指導していた上級生も、まるで見えない壁に突き当たったかのように言葉を失っている。安土に突き刺さった矢が、微かに震えて鳴らす音だけが、やけに大きく道場内に反響していた。
浜田の背を冷や汗が伝う。素晴らしいと褒め称えることはできる。だが、それ以上に、恐ろしかった。
震えるほど美しい所作。定められた線をなぞるように空を走る矢。
とても初心者とは思えなかった。だが確かに、弓を引くその瞬間まで、小鐘の動きは初心者そのものだった。動きや姿勢を指導した浜田にはそれがよくわかっていた。
ゆっくりと息を吐き、弓を下ろした小鐘に、浜田が近付く。
ビギナーズラックなのか、実力なのか。これが”神子”という選ばれた存在の力なら、恐ろしいものだ。
自分は上手く恐怖心を、警戒心を隠せているだろうか?
浜田はそんなことを考えながら、小鐘に声をかけた。
「初めてで的に当てるだけでもすごいのに、ど真ん中だなんて、さすがね」
「まぐれですよ。先輩の教え方が上手かったから、たまたまです」
「あはは、乗せるのがうまいなぁ」
人懐っこい笑み、穏やかな雰囲気、明るい口調。本当にただのまぐれなら、ただの可愛い後輩だ。
「続ける?」
それを確かめたくて、浜田は小鐘にそう尋ねた。けれど小鐘は首を横に振って答えた。
「いえ、今日はやめておきます」
「そっか。まあ、部活はたくさんあるからね、色々見て回るといいよ」
浜田の言葉に、小鐘はただ笑みだけを返した。
小鐘は弓道部に入る。それを覆す気はない。小鐘は姉に「弓道部を選ぶ」と言ったのだから。けれど、浜田を含む他の生徒らには普通の新入生として、他の部活も回ると思わせておいたほうが都合が良い。だから、否定の言葉は返さなかった。
体験入部をここで切り上げたのは、にわかにざわつく周囲が面倒だと感じたからだ。まだまだ体験入部者もいるのに、上級生らの視線は小鐘に集まってしまった。これ以上ここにいては、体験入部の指導もままならないだろう。
「もし弓道部に入りたいって思ってくれたら、来週金曜日に入部届を持ってきてね」
「はい。今日はありがとうございました」
浜田に見送られて、弓道場をあとにする。他の部活に用はないため、小鐘はまっすぐ校門へ向かった。
悪くはない、と思った。若干のぎこちなさは感じたが、あくまで普通の下級生として扱ってくれた浜田という先輩。上手く関係を築いていきたい、が──
──さすがね
賛辞に添えられたその言葉に、小鐘は顔をしかめた。
今まで何十、何百と聞いてきた言葉だ。そこには、神子だから、榊原だから、という意味が込められている。
今回はたまたま小鐘に弓道の才能があっただけ。仮にその結果が努力に裏付けされたものだとしても、彼女らは同じことを言うのだろう。
だから、小鐘はこう吐き捨てた。
「つまらない言葉」




