第22話 薄月
十一月某日。
その日は朝から雨が降っていた。
姉妹揃っての登校は、もうあと僅かだというのに、二人の言葉数は少なかった。
特段大きな理由があるわけではない。
ただ、特に理由もなく相合い傘をするのも不自然に思えたし、かといって傘を差した人間が道路に横並びになっていると車の邪魔になる。
だから、小鐘を先頭に、そしてそれを見守るように、後ろを鈴音が歩いていた。
単純に会話に適さない環境だったから会話がないだけ。鈴音はそう思っていた。
この時期になると三年生は、受験勉強や就活に励む。そのどちらとも縁のない鈴音は、特にやることもなく、自習時間を使って上守家のしきたりなどを学ぶ、というような生活をしていた。
大渦様の件もあれ以降音沙汰はなく、汐さんから連絡が来ることもない。妹もいつも通りのように見えたし、少し心配しすぎただろうか。
ザアザアと雨が降る。
こんな日に限って、運転できる使用人が全員、神無月明けの混乱や事後処理で出払ってしまっているとは、ままならないものだ。
雨は下校時にも降り続いて、姉妹は黙って帰路を歩んでいた。
山から降りてくる軽トラックを見つけ、鈴音は事故のことを思い出していた。地主の娘、上守の血筋を撥ねたとなれば、普通ならかなり重い罪になる。
しかし今回の事故は子供が飛び出したことが原因だ。大きさからして、三歳くらいだったろうか。そんな子供が突飛な行動をして、それを避けようと急ハンドルを切る運転手の気持ちはわかる。
幸いにも鈴音自身の怪我も大きくなく、骨折こそしたが経過も悪くない。
これでトラック運転手だけを責め立てるのも酷な話だと、軽い刑罰で済んだらしい。
青海の土地は、警察すら介入をためらう閉鎖的地域だ。刑罰、といっても、おそらく司法による裁きではないだろう。
裁定を下したのは裁判長ではなく、鈴音の父であり、青海の地主である忠臣だ。罰を軽くしたのは慈悲などではなく、ただ騒ぎを大きくしないことが、この町を統治する上で合理的だと判断したからだろう。
妹がわがままを言えば刑が重くなる可能性もあるが、あの子はちゃんと周りを見れる子だ。状況からして、運転手にあまり重い罪を与えることはないだろう。子どもの親には、少し厳しい指導があったかもしれないが。
家に着く頃にはようやく雨が少し小降りになってきた。山の方も雲は薄れ、じきに雨は止みそうだ。
どうせならもう少し早く止んでくれれば、妹との登下校を楽しむことができたのに、と鈴音は空を睨んだ。
「お姉様、お風呂は先に入りますか?」
雨の日は濡れた体を温めるため、帰宅後すぐにお風呂に入るようにしている。
どうしようかと迷った末、やはりここは妹だろうと小鐘にお風呂を譲った。
着替えてしばらく部屋で過ごしていると、ノックの音。ノックにも人がよく表れるな、と思う。
「どうぞ」
この、控えめで遠慮がちなノックの音は、妹のものだ。
「こんばんは、お姉様。お風呂空きましたよ」
「ええ、ありがとう」
すぐに篠乃を呼び、風呂場へ向かう。
風呂を出ると小鐘と鈴音の分の食事が用意されている。母がいつ食べているのかは知らないが、父と兄はおそらくもっと遅い時間に食べているのだろう。
二人で会話をしながら食事をするのは、楽しかった。今までの息苦しい食卓とは全く違う、穏やかで解放された居心地の良さ。
妹は定期テストに対して不満を述べたり、雨に文句を言ったりと楽しそうだ。
ただ、ただどこか、拭いきれない違和感がある。言葉にすることさえできないような、些細な違和感。
私のそばにいることを純粋に喜んでくれている、その裏に、何か隠しているような気がする。
これが気の所為なのであれば、私の思いすぎなのであれば、それ以上のことはない。
いつまでもこうして二人で食事ができたなら、それだけでどれだけ幸せだろうか。
そう思うとき、いつも、そんなことは不可能だと、私の中の私が嘲笑う。
いつまでも変わらないものなんてない。
小鐘は私の大切な妹だけれど、それ以上に、この町では何より重要な、神子なのだ。
食事を終えて、部屋に戻るとき「おやすみなさい」と挨拶を交わし夜を迎える。
そして目覚めた時に、隣に彼女がいないことに、私は慣れなければいけないのだ。
**
妹が、夜中の内に部屋に侵入してこなくなったのはいつだったろうかと、鈴音はどうにか記憶を掘り起こす。
違和感に気付いたのはつい数日前だ。
今までも小鐘は気まぐれに部屋に来ないことがあったし、神無月の件でバタバタしていたこともあり、気付くのが遅れてしまった。
最初は怪我を気にして遠慮しているのかと思っていたが、怪我が完治した後も妹は部屋に現れなかった。それに、よく考えればもっと前から小鐘は部屋に来なくなっていた気がする。
障子を上げて、窓を見上げる。
小さな窓では月も随分欠けて見える。
つま先立って更に覗き込むと、その月が満月であることに気付いた。
それと同時に、小鐘が現れなくなった日を、思い出した。
文化祭の終わり。
本物の神子による、本物の舞。
神に捧げるに値するその舞に涙した夜。
あの日から小鐘は、部屋に来ていない。
愕然として、鈴音はよろめいた。
自分が、そんな簡単なことも見落としていただなんて、思いもしなかった。
小鐘という聡い少女が、あの日の鈴音の涙の意味に気付かなかったはずがない。
小鐘は、好きな人を想い、負担にならないようにと避けていたのだ。そのことに、鈴音は今、ようやく気付いた。
さり気なく、
ゆっくりと、
小鐘は私を遠ざけていた。
シトシトと再び降り始める雨が、音もなく、二人の間に境界線を引くように、降り続ける。
薄くかかった雲が満月を消し去ってゆく。
それはまるで、小鐘の中から鈴音という存在が薄れてゆくように。




