第20話 荒波
とある休日、小鐘と鈴音、そして海良の三人は大潮神社に来ていた。早朝に汐から『神託が下った』と連絡があり、その説明を受けることになっている。
特に神託の理由は明かされていないが、内容は概ね想像がついていた。上守の血筋と、神子がここにいるのだ。
季節は十月下旬。今年も神無月がやってくる。
普段は大潮命に守られている町も、この時ばかりは皆用心する。とはいっても、大潮命の結界の効力が神無月の内に消えてしまうわけではない。万が一、というだけだ。
普段、大潮命の加護によって神子は常に安全圏に居る。事故や事件に遭うことはなく、病気になることもない。それも、神無月では効果が薄くなる。
ちなみに忠臣が呼ばれなかったのは、単純に上守の血筋ではないからだ。
鏡矢は絶対参加ではないなら、と父との仕事を優先した。自分が絶対安全だという自信があるわけではないが、大潮命が女の血筋を重視していることを考えると、妹たちに比べれば比較的安全だろうと判断したのだ。
海良を先頭に山道を登り、鳥居をくぐり、階段を登り、ようやく参道にたどり着くと、汐がいつもの温和な笑顔で出迎えた。
「やあ、小鐘さん、鈴音さん」
そしてとても自然に、自身の姉である海良の存在を無視した。
「シオはアタシが見えないのかな〜?」
海良が厭味ったらしく汐に顔を近づけると、これに対して汐は「これは失敬、見えませんでした」とシレッと返した。
「今回は、アンタが呼びつけたんだから、相応の対応をしなさいよね」
ぶすくれた様子で、海良は汐から離れた。
まあ、これも姉弟の軽いじゃれあい、挨拶のようなものだ。
「わかってるよ。本殿へ行こう、今日は渡したいものもあるんだ」
そう言うと汐は、海良に対してとは全く違う、優しく落ち着いた口調で鈴音たちに話しかけた。
「すみません、お待たせしてしまって。さあ、お二人もどうぞ」
たぶん、これが本来の母の姿なのだと思う。小鐘はぼんやりと考える。
もし母が、家でも同じように気さくで、よく笑うような人だったら、榊原家はどれだけ今と違っただろうか。
何故その性格を出そうとしないのか、そこにどんな意味があるのか、小鐘には想像もつかない。
──いや、もしかして、もっと単純に考えるべきなのか?
小鐘はハッと目を見開き、今までの記憶を掘り起こす。
そうだ、海良という人は配慮に欠けた発言をする上、突飛な考え方をする変な母親だが、意図して人を傷つけようとしたことはない。
会話だって、ただ、こちらが語り合おうとしなかっただけで、彼女はいつもあんな調子だった気がする。
無神経な言動で姉を傷つけたことは許せないが、忠臣とは違い、母は、母であり続けていたのではないか?
共に食卓を囲み、会話を交わしてきた。
私は母を、姉を傷つけてきたという事実だけを見て嫌っていた。けれど、もしかしたら、私は母を、これほど憎む必要なんてないんじゃないか?
知ろうとしなかったのは、歩み寄ることをやめたのは、私自身だ。けれど、それでも姉を傷つけたという事実が消えることはない。
小鐘の高校卒業まであと一年、鈴音の高校卒業まであと数ヶ月。今更、何か大きなことを変えられはしないだろうけれど、少しくらい母に歩み寄ってみよう。
自分が歩み寄ることで、榊原家の空気がほんの少しでも、姉にとって心地よいものになるのなら、どんなことも苦痛ではない。
これ以上、最愛の姉が余計な毒に晒されないように。
「さて、着きましたよ」
立ち止まり、振り向いた汐に促されるまま、三人は見慣れた本殿に入る。御神体の前には箱と座布団が用意されており、海良から順に座っていく。
挨拶を済ませると、汐は早速本題に入った。
「もうお気づきとは思いますが、今年も神無月がやってきます。大潮命がこの土地を留守にするのは一週間程度ですが、その間は加護の力が薄れます。そこで、用意したのがこちらのお守りです」
差し出された木箱には、五つのお守りが入っていた。どれも見た目に大きな違いはないが、よく見ると刺繍の模様などが微妙に異なってる。
「じゃあはい、姉さんにはこれね。これとこれは、忠臣さんと鏡矢さんに渡しておいて」
お守りの効果もわからないままさっさと手渡されて、さすがの海良も面食らっている。たまに、汐さんの海良への扱いは目を見張るものがあるな、と小鐘は思う。真似はできないだろうが。
三つのお守りは、残り二つに比べて変化が少ない。普段大潮神社でいただくことのできるお守りと大差ないようだ。
「さて、ではまずこちらが鈴音さんのものです。最も神子に近い存在ですから、常にそばにいて、守っていてあげてくださいね」
「はい、確かに頂戴いたしました」
お守りの刺繡は凪いだ海と龍。平穏と、それを守る神獣といったところか。
「最後に、こちらが小鐘さんのものです。悪しきものはきっとあなたを狙うでしょう。くれぐれもご用心ください」
「頂戴いたします」
お守りの刺繍は、波と龍、そして月。波は大潮命、神獣である龍、そして強いエネルギーを持つ月。
全員にお守りが行き渡ったことを確認して、汐は頷いた。
「はい、ではそれを肌身離さず身につけておいてくださいね」
それはそれでちょっとめんどくさいんだよな、と例年のことながら小鐘は心の中で呟いた。外出時は着替えるし、制服に体操着、家着に部屋着と変わるため、服に縫い付けるわけにはいかない。かといって鞄の中ではすぐに置いていってしまう。
肌身離さずというと、やはり首からかけておくしかないか。
「そういえば、今年の神無月っていつでしたっけ?」
神の集まる神無月と言えば十月だが、神様たちの会合は現在も旧暦を基準として行われているらしい。
「う~ん、大潮命は結構気まぐれなところがありますからね。早くご神託をいただくこともありますし、遅いこともあります。はて、今年はいつだったか……」
一応『至急』と言われたし、三日以内くらいだろうか。
汐は脇に置いてあった冊子を手に取り、パラパラとめくり「ああ、明日からですね」と答えた。
その瞬間、本殿内の空気が凍り付いた。
そして、最初に言葉を発したのは汐だった。
「明日ぁ!?」
汐は今朝、神託を受けたばかりで、大潮命が『至急』と言ったので直ぐに神子たちを呼んだわけだが、まさかそれがこれほど直近だとは思いもしていなかった。
汐は、先程までの”神主として”の厳格さを失い、今にも泣きそうな顔を浮かべた。
「良かった、今日呼んで……」
そんな呟きに、三人はさすがに同情せざるを得なかった。
その後、三人を見送った汐は、今年の神無月について考えていた。
例年、神無月には神子の周りがやけに騒がしくなる。どれも大事にはならない程度の”事故”だが、今年は一つ懸念事項がある。
鈴音が言った”大渦様”の誘いだ。今のところ、神子の身は鈴音が守ってくれているようだが、あの悪神がこれを好機と捉えるか……
先程は鈴音に神子を守るように言ったが、汐の本心としては、鈴音を含めて守ってくれるような存在がほしいところだ。まだ高校生の鈴音に背負わせる責任としては、あまりに重すぎる。本来なら、鈴音だって”守られるべき子ども”のはずなのだから。
海良は期待できない。彼女は能天気過ぎる。かといって、他の家族もあまり当てにはできないだろう。
あの二人は、互い以外を殆ど信じられていない。
山から見下ろす海は凪いでいる。
それなのに、大岩の周辺だけ、不自然な気の流れにより、荒っぽい波が流れていた。
しめ縄の紙垂は海風に揺れているが、それもどこか怪しげな様子だ。
「何事もなければ良いが……」




