第19話 美しき蝶の舞
文化祭が始まって早速お化け屋敷に向かった小鐘と鈴音だったが、既に小規模ながら列ができていた。
去年の人気を鑑みれば仕方のないことかと、二人は列の最後尾に並んだ。
「楽しみですね」
「そうね。如何に予算を引き出そうかと何度も企画立案して申請してくるから、熱意と出来はすごいものだと思うわ……」
鈴音はややげんなりしながら呟いた。
彼らが文化祭予算をガッツリもぎ取っていったことを思い出すだけで、鈴音の胃がキリキリと痛む。
しかし彼らも今年度で卒業だ。小鐘が彼らの熱意に苦しむことはないだろう。それだけは救いだ。
青海では大潮様という神、そして大渦様という悪神が信じられている。つまり、人ならざるものの存在を、全員が認めているのだ。
そんな町民がつくるお化け屋敷がどんなものか、鈴音は少し興味があった。
まだ鈴音の前に本物の幽霊や妖怪が現れたことはないが、神がいるならそれらも本当に存在するのかもしれない。
信仰の都合上、悪神などを主題にすることは無いだろうが、どのような趣向を凝らしているのか。去年の小鐘の無念を晴らすべく選んだ場所だったが、自分自身もかなり期待していることを、鈴音は自覚していた。
そしてついに二人が入場すると”診察券”が渡された。
このクラスでは毎年主題を決めてお化け屋敷を作っているらしいが、今年は廃病院なようだ。
「決して走らないでくださいね」と受付の女生徒に案内され、暗幕をくぐる。
走って逃げ切るのは禁止らしい。まあ、あまり広いとは言えない教室では、無秩序に走られると危険だというのもあるのだろう。備品の破損や怪我にも繋がる。
既に言いしれぬおどろおどろしい雰囲気を感じながら、二人は通路に従って歩き始めた。
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出口の暗幕を抜けると、今度は男子生徒が受付をしていた。
「お疲れ様です。楽しんでいただけましたか?」
「はい、すごく怖かったです。特に第二診察室の演出が良かったですね」
「あはは、なんだか余裕そうでちょっと悔しいです」
そういいながら、男子生徒が先程配られた診察券に判子を押す。
「これがあると、隣のドーナツ屋さんで割引を受けられるんですよ」
「へぇ……」
そういった、クラスを超えた交流もあるのかと、小鐘は素直に感心する。文化祭というものが、学校全体の行事であることがよく分かる。
「スタンプカード自体はクラスによって違うんですけど、制度はどこでも共通ですから、別のクラスに行った時にこれを提出して大丈夫ですよ。割引とか特典とかは、あったりなかったりですけど」
なるほど、クラスや学年をまたいでの制度らしい。
生徒会長を任された身であるのに知らないことばかりで、小鐘は自分の無知を恥じた。次回からはもっとこの学校の行事というものを理解しなければ。
「ちなみにスタンプを全部ためると、なんと、校長先生とツーショットが撮れます!」
「えっ、いらない」
つい言葉に出てしまった。
何だその謎の制度。やっぱり知らなくても良かったのではないか?
「まあ僕もなんでこんな特典なのか良くわかりませんけど、せっかくなら集めてみてくださいね」
男子生徒に見送られてお化け屋敷を出る。小鐘としては期待以上で満足だ。
スタンプカードの件は全く意味がわからないが。
「お姉様、スタンプカードの件知ってました?」
「まあ、一応ね。でもなんか、知っても小鐘の得にならなさそうで、話す機会を失っちゃってた。どうせ本番でもらえるから……」
コンプリート報酬が校長先生とのツーショットだなんて、意味がわからなさ過ぎる。鈴音が話すのをためらい、そのまま機会を失うのも、理解できる話だ。
初っ端からこの学校の文化祭の洗礼を受けた小鐘は、せっかくならと隣のドーナツ屋さんへ向かうことにした。
ドーナツを食べ終わる頃には、一般参加の時間が目の前だった。生徒会長の役割としてはこのままクラスを回るだけだが、姉とは一旦ここでお別れだ。
「それではお姉様、また夕方に」
一般参加が終わる時間には、クラスを回って一般参加者の帰りを促さなければなならない。
文化祭一日目の一般参加終了後は、ごみ捨てや掃除が主で、やることはそう多くない。
そうして一日目も二日目も、大きな問題もなく文化祭は終わりに近付いてきていた。
二日目の一般参加終了後は大道具の片付けや、使った機材、器具の片付け、掃除なども行われるから大変だ。
喧騒が引いていくにつれ、校舎は少しずつ『学び舎』から『神域』へとその表情を変えていく。
夕方四時になり、日が暮れ始める頃、校内の片付けや清掃を終えた生徒たちがグラウンドに集まり "儀式”の準備を始める。
夏に大潮神社での夏祭りで用意された舞の舞台より一回り小さい舞台が、グラウンドの真ん中に組み上げられる。そしてその舞台を囲むように篝火が炊かれていた。篝火のそばには必ず一人教員が立ち、安全管理をしているようだ。
篝火と、舞台に取り付けられた小さな明かりが、舞台の中央を照らしている。
準備の整った舞台の上では、満月が輝いていた。
「それではお姉様、行って参ります」
小鐘は力強くそう宣言し、舞台へと向かった。
この学校では、文化祭本番が終わると、学内限定の後夜祭が行われる。ただしそれは、外部の人間が思い描くキャンプファイヤーやフォークダンスなどではなく、生徒会長による舞だった。
キャンプファイヤーは篝火で、フォークダンスを舞だと言い張れば、同じものだと言えるだろうか。なんて、バカなことを考える自分を、鈴音は嘲笑った。
これは一種の神事だ。
今年の文化祭も無事に終わったことを神に感謝するための神事。
だから踊るのも、学生代表となる生徒会長なのだ。舞の内容は流石に本家のものをそのまま素人に踊らせるわけにもいかず、本物の舞より簡易的なものになっている。それでも十分に派手で美しいと感じるのは、元の舞の完成度の高さあってだろう。
去年と一昨年は鈴音が後夜祭で舞を踊った。しかし、今年の舞は本物の神子が踊る。
上守の血筋であった鈴音が踊るだけでも、一般の生徒が踊るよりは良かったが、やはり本物は違う。
毎年夏祭りや正月に向けて、本物の舞の練習に励む小鐘とそれ以外では、出来が違う。
鈴音がある程度完成された舞を踊ることができるのは、幼少期に少し習っていたことと、幼い小鐘が『お姉様と踊りたいです!』とわがままを言ったときに付き合っていたからに過ぎず、その舞を極めたわけではない。
昨年の後夜祭の舞を務めた後に『さすがは上守の血筋だ』『やはり神子の姉ともなれば出来が違う』と教師たちが鈴音を褒め称えた。
だが違う。小鐘と鈴音では、圧倒的な才能の差がある。
鈴音は舞台の上の愛しい妹を見ながら、無意識に涙をこぼしていた。
ずっと、わかっていた。知っていたことなのに、悔しくて、苦しくて仕方がなかった。
──私では、小鐘に届かない。
どれだけの努力を重ねても、その才能の欠片にも届かない。
上守を継ぐだけなら妹だけで十分だ。榊原を継ぐには兄がいる。ならば私がここにいる意味はなんだろう。
パチパチと篝火が燃える。
華やかな衣装を身にまとった小鐘が、季節外れの美しい蝶のように舞い踊る。
私は、愛すべき妹が大禍に呑まれないように、守るべき義務がある。
私は、愛すべき妹が、心を病むことがないように、救うべき義務がある。
ずっとそばにいて、守ってあげたい。
彼女の望むように、愛してあげたい。
けれども同時に、今すぐ消え去ってしまいたかった。
舞を終えた小鐘が、笑顔で鈴音に駆け寄ってくる。遠くからは暗くて表情は見えないらしく、その顔は満面の笑みだ。
「どうでしたか!?」
「とても……素敵だったわ」
私のものよりもずっと、という言葉を飲み込んで、鈴音は小鐘に微笑みかけた。
そこでようやく、目の前に立つ姉の顔を見た小鐘は、不安げに姉に尋ねた。
「……泣いているんですか?」
「ええ、小鐘があんまりきれいだから、つい」
その言葉をどう受け取ったのかはわからなかったが、小鐘は優しく微笑んで鈴音の手を取った。
「さあ、最後の片付けをしにいきましょう。あと、この衣装着替え難いから、手伝ってくださいね」
「ええ、勿論」
その夜、小鐘が鈴音の部屋を訪れることはなかった。




