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第14話 須らく選ぶべし

 ゆらゆら ゆらゆら

 荒波の立つ 黒く深い闇


 ゆらゆら ゆらゆら

 暗い水底から 私を呼ぶ声


**


「今日は神社に行きませんか?」


 翌日、小鐘はそう言って鈴音のもとに訪ねてきた。


「そうねぇ、夏祭り以来行ってないし、良い頃合いかもしれないわね」


 大潮命に挨拶をしておきたいし、伯父である汐さんもいる。小鐘の様子も気がかりだし、一度、大潮神社へ行く必要があると感じていた。


 家にいても、本を読むか、たまに妹とボードゲームをするくらいだ。

 夏休みはあと一週間。高校卒業後の未来は決められているから、自由なのは今のうちだけだ。学生の内に自由を謳歌しに行くのも良いかもしれない。


「いいわ、お昼ご飯を食べたら向かいましょうか」


**


 山道を元気いっぱいにぐんぐんと登っていく小鐘の背中を見ながら、鈴音は少し感傷に浸る。いつの間にか大きくなった背中、頼もしさはそれ以上に成長している。

 隣でも後ろでもなく、いつだって”前に”彼女がいることに気付いたのは、いつだったっけ。


「そろそろ着きますよ、お姉様っ!」


 笑顔で振り向いた小鐘に、同じように笑顔で返す。どうか自分の醜い感情が伝わらないようにと願いながら。


 大潮神社の神主であり、伯父の汐は、海良の前以外ではとても優しい人だった。海良との喧嘩も、本気ではなく、姉弟でじゃれ合っているようなものだと伝わる程度のものだ。

 幼少期の厳しかった父、その重責に耐えかねて癇癪を起こす兄、それらを諌めるでもなだめるでもなくただ放っておく母。

 その頃から汐は優しく穏やかで、小鐘や鈴音にとっては、互いを除いて、最も親しみやすい家族だった。


 鳥居をくぐると、いつもの穏やかな笑みで、汐は二人を迎えた。


「おや、こんにちは。二人揃って遊びに来たんですか?」


 汐にとって二人は可愛い姪だ。海良や忠臣の性格を知る汐は、なんとなくこの場所が、二人の防衛ラインだと理解していた。だから、いつだって二人を笑顔で迎える。


「こんにちは、汐さん。境内の掃除、大変ですか?」


 鈴音は続けて「いつでもお手伝いしますよ」と笑顔で付け足した。

「心配いりませんよ、他の巫女たちもおりますし。せっかくの夏休みなんですから、お二人は楽しんでください」

「そうですか……」

 少し残念だが仕方がない。こういうときは素早く引き下がった方が良い。

「それじゃあ、ご挨拶だけしてきますね」

 鈴音はパッと話を切り上げて、拝殿の方へ向かって歩き始めた。小鐘はそのすぐ隣を、機嫌良く歩き始めた。


「ねえお姉様、私たちも学校を卒業したらここに就くんですよね?」

「そうね。それから、汐さんに養子縁組をしてもらわないといけないわ」


 上守の女が家を出るというふざけた真似をした母の尻拭いを、二人はしなければならなかった。

 榊原は男系、上守は女系で、当主になる。しかし数年前、二人兄妹だったはずの海良が上守から飛び出してしまったため、跡継ぎ問題が非常に複雑になってしまっていた。

 そして、それに伴い鈴音と小鐘の立ち位置も複雑になっている。


 海良が勝手に嫁ごうとしたのがそこらの町民の家なら、町内全体で反対もできたのだろうが、厄介なことに海良が狙ったのは榊原の次期当主。

 海良と忠臣は幼馴染であり、関係性もそう悪くない。予想されていたことではあるが、結婚当時の町は上を下への大騒ぎだった。

 しかし町の二大権力に対して、大っぴらに文句を言えるはずもなく、二人の結婚は決まった。


 その時に決められたのが、『海良に娘ができたら上守に引き渡す』というものだった。

 海良の娘を汐の養子として、上守を継がせる。これで体裁は保てる。町民たちはそう考えたのだ。

 保護者の必要な年齢までは榊原で実の親に育てられ、保護者が必要ない年齢になってからは上守に入る。これが町民たちの譲歩という名の、一方的な決定だった。

 幼い私の頭越しに、彼らは『娘ができたら上守に返せばいい』と、まるで借りたものを返すかのような気安さで私の未来を定めたのだ。


 小鐘が生まれる前、鈴音はいつか上守になるのだと言い聞かされ、この町の伝統や神社での行いを習ってきた。

 鈴音自身も、しっかりと勉強して、上守と成るために研鑽を積んできた。


 だがある日、彼女が現れた。

 分娩台での光景はまるで奇跡だったと聞かされた。祝福の光に包まれ、小鐘が生まれたのだ。


 神に選ばれし使徒、神子が生まれたとなれば上守に入るべきは神子ではないのかと、まとまっていたはずの話はまた振り出しに戻った。

 元々鈴音が上守に戻る予定だったのだからそうすれば良いと誰かが言い、しかし神子こそが上守を継ぐべきだと誰かが言った。


 鈴音が始めに感じたのは、強い疎外感だった。

 そして、鈴音さえいなければ、迷わず神子に上守を継がせることができるのに、という煩わしげな視線。

 鈴音の未来が決められたときと同じように、町民らは再び、簡単に鈴音の未来を決定しようとした。


 私は要らない子だったのだと、突きつけられるような感覚。足元がゆらぎ、世界は茫漠とした闇の中に飲み込まれてゆくようだった。

 上守の娘に成るために育てられた私は、ここで一度、生きる意味を失った。


 鈴音の目の前で、大人たちによって喧々諤々と行われる会議。いつまで続くのだろうかと、立ち尽くしたままの鈴音の目の前に、一人の男が現れた。

 凛とした立ち姿、少し怒りを滲ませた表情で、男は町民らから鈴音を守るように、目の前に立ち塞がった。


「二人ともうちに来ればいいだろう。引き取る相手が何も一人でなければいけないという理由はない」


 それは、若かりし頃の汐さんだった。それに対して、当時の上守家当主は「あら、それは素敵じゃない」と笑って手を叩いた。

 今にして思えば、あの時の汐さんは本当に怒っていたのだと思う。未来を勝手に決められ、更には鈴音の存在を否定をしかねない論議に。


「姉妹に差をつけて引き離すのも可哀想じゃないの。元々の約束は『海良に娘ができたら上守に引き渡す』だったのだから、何も矛盾しないわ」


 上守にそう言われては、町民は頷くしかない。指摘も尤もであり、誰かを不要だったことにしたくないという考えが彼らの中にもあった。まして相手は榊原だ。

 榊原家には既に鏡矢という跡継ぎ候補がいたのも大きかった。鈴音と小鐘、その両方を上守に引き渡しても、榊原家への影響は少ないためだ。


 そうして鈴音と小鐘は、高校卒業後に汐の養子となることが決まったのだ。


「う〜ん……」


 鈴音が幼少期を回顧していると、隣で唸り声が聞こえてきた。

「どうしたの?」

 珍しく真剣に悩んでいるようで、腕まで組んでいる。逆に怪しい。変な話を振られそうだ。


「汐さんの養子になったらさ、私たちって、汐のこと『パパ』って呼ぶのかな……?」


 真剣な顔で何を言い出すかと思えば、やっぱりくだらないことだった!

 小鐘が本気で真剣な考え事をしているときに、それを表に出すはずがない。

 鈴音はすっかり気が抜けて、これまでしたことがないほど笑ってしまった。


「ふっ、ふふっ……あはははっ!」

「な、なんで笑ってるんですか!?」


 言われてみれば確かに、関係性としてはそうなってしまうが、流石に『パパ』はないだろう。せめて『お父さん』とかにしてほしかった。

 今だって実の親のことは『お母様』や『お父様』と呼んでいるのに、どうしていきなり言語を変えてしまったのか。


 すっかりツボに入った鈴音はしばらくそこで動けなくなってしまった。


「真剣に考えたのに〜!」


 小鐘の不服の叫びも、今の鈴音には更に笑いをもたらす結果となってしまうのであった。


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