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第10話 かみの思し召し

 七月三日、月曜日。七月最初の登校日となるその日は、近くで台風が発生したらしく、少し荒れた天気だった。


 通学中、鈴音は曇天を見上げ、眉を下げた。並んで歩く小鐘もそれに倣い、空を見上げる。

 風が強く吹きすさび、鉛色の雲からは、今にも雨が降り出しそうだった。

「雨が降ったら、帰りには篠乃に迎えに来てもらいましょうか」

 榊原家には専属の運転士もいるが、二人が帰る頃には父の仕事で出払っているだろうと予想した鈴音の提案に、小鐘は迷わず頷いた。濡れずに済むのなら、それが一番良い。

 特に夏の雨は、今回のように台風とともに現れることも多く、この町の深くに沈殿した何かを掘り起こしてしまいそうで、気味が悪い。

 小鐘にとってのせめてもの救いは、隣に愛しい人が居ることだった。


 二人がたわいない話をしながら学校に着くと、校門で三人の女生徒が待っていた。


 既に記憶の端に追いやった三人の顔を、数秒経ってようやく思い出した小鐘は、それと同時に、彼女らの停学明けが今日だということも思い出した。

 故意に小鐘にぶつかり、危険に晒したという事実は大きい。しかし、段ボールの中身が軽かったことや、榊原とはいえ神子ではない鈴音が小鐘を守りきったことにより、彼女たちには情状酌量の余地が与えられた。

 聞くところによれば、ぶつかってきた張本人の好きだった人が、小鐘に恋をしてしまったことが一番の理由らしい。

 たかだか学生の恋で、人生をふいにしかけるなど馬鹿らしいと一蹴することできるが、鈴音を心から愛している小鐘には彼女が少し憐れに思えた。


 結局彼女らに下った裁定は六月末までの停学処分。鈴音と小鐘があまり重い罪を求めず、さらに初犯だったこともあり、かなり軽い処分になったと思う。


「この度は、私の軽率な行動で神子様及びご親族様を危険に晒してしまったこと、深くお詫び申し上げます」

 深々と頭を下げる三人を見下ろす。


 これは儀式だ。加害者が被害者に謝罪をして、被害者がそれを許す。そしてそれを多くの人が見届けることで、許されたことを確実にするための。

 特に神子という特別な立場にある小鐘や榊原に許しを請うことは、青海では重要なこととなる。

 仮にいま、三人が許されなければ、彼女らは今後、青海での人権を殆ど失うと言っても良い。それほど重要な儀式なのだ。


「いいでしょう。私は、あなたたちを許します」


 小鐘の言葉に、三人は心から安堵したようだった。

 しかし小鐘の行動はここで終わりではない。筆頭だった女生徒にそっと耳打ちする。


「今回は”私に”手を出したから許しただけ。もしもお姉様に手を出そうとしたら……そのときは、ね?」


 怯えた顔の女生徒に、小鐘は笑顔を送る。

 そうだ。自分に足りなかったのは、きちんと罰を与えることであり、きちんと教育することだ。

 青海の町で、榊原に、そして神子に手を出すという意味を、彼女らに教えてあげなければならない。


「さあ、行きましょう、お姉様」


 女生徒三人に背を向け、歩き始める。

 きっと姉ならもっと優しく、穏やかに事件を収束させる。こんな、脅すような真似をするはずがない。


 薄々は気付いていた、自分と、姉との違い。

 排他的で合理的に見えることもある姉だけれど、その本質は優しさで出来ている。

 けれど自分は、もっと単純に、姉以外の全てを愛することが出来ない。

 私はたぶん、姉のようにはなれない。


 小鐘はそんな自分の本質を改めて自覚して、ただ、ため息を吐いた。


**


 それからしばらくすると、すぐに夏休みに入った。

 テスト期間は帰宅が早かったこともあり、小鐘としては、本当にあっという間に夏休みが来たという印象だ。


 夏休み初日の夜、小鐘は入浴を終えると、夏休みの宿題にでも着手しようかと思い、机に向かって座った。

 しかし机に積まれた夏休みの宿題を前にすると、やる気が出るどころか、げんなりするばかり。


 そもそも小鐘はあまり夏が好きではない。単純に、日焼けの心配やベタつく肌も不愉快だし、こうも暑いと頭が回らなくなる。

 夏休み前の定期テストの結果は、特に可もなく不可もない。ケアレスミスで一点落としてしまったことは反省すべきだが、他に不備はなかった。

 テスト用紙とともに配られた成績表には「1/82」と、学年一位を示す印字があった。


 ひとまずは榊原の名を落とさなかったことに胸を撫で下ろしたが、目の前に積まれていく宿題を見るとやはり気が滅入ってしまう。

 榊原は夏の間、こんなことをしている暇などないのに!


 そうだ!

 お姉様に会いに行こう。そうしたらきっと、嫌な気持ちは全部吹き飛ぶはずだ。

 そう決めると、小鐘は鈴音の部屋へ急いだ。姉がまだ眠る前であれば良いと祈りながら。


「で、甘やかしてもらいに来たの?」

「はい……」


 お風呂上がりに、鈴音の部屋に入れてもらい、膝枕をしてもらう。

 これだけでもう十二分に小鐘の溜飲は下がったが、せっかくならもう少し姉に触れていたかった。

 いつでも絶え間なく降り注ぐ愛を、敵意や妬みや嫉みのない、ただ純白な愛を、享受していたかった。


 表面上の小鐘は女生徒との諍いは大したことがないと思っていた。しかし深層心理では、そんな理不尽に嫌気が指していたのだ。

 神子だから、榊原だから。それら全ては小鐘が選んでなったものではない。それにも関わらず周囲は小鐘にそうであることを求める。そして時に憎しみを向ける。

 自分が目指す姉にも同じ悩みはあるだろうか。あるいは────


「そうね、今年も夏祭りの季節だものね。すぐに忙しくなるわ」


 鈴音の言葉に、小鐘の意識がふっと現実に戻ってくる。


 六月に行った夏越祓と同様に、夏祭りも大潮神社にて毎年行われる神事の一つだ。こちらも、地主である榊原家と神主の家系である上守が主導して行う。

 六月は学校があるからと免除されていた準備作業も、夏休みだからと、鈴音と小鐘にもいくつか任されている。


 準備が嫌だとか、出来ないだとか、そんなことを言うつもりはまるでない。けれど、学生のうちくらいはゆっくり夏休みを楽しませてくれとも思ってしまう。

 それに、夏祭りの準備期間中から終えるまで、小鐘と鈴音が一緒にいられる時間は、平時以上に減ってしまう。それは小鐘が神子だからに他ならず、それが余計に小鐘の胸に不満を生む。


 ただ、姉のそばにいたい。

 そう思うことは悪いことなのだろうか。


 小鐘は頭を撫でる姉の手を堪能しながら、ウトウトとそんなことを考えていた。


「七月のうちに宿題は終わらせちゃって、八月はお祭り頑張りましょうね」


 そんな気が滅入るようなこと言わないで欲しい。確かに宿題は早く終えるに越したことはないが、夏休みに入ってすぐに勉強なんて、休みに入った気がしない。


「夏祭りが終われば、私たちもお休みできるようになるのだから、そのときは小鐘のしたいことをしましょう」


 そうだ、夏祭りは八月の中旬に行われるから、八月下旬には、私たちにも短い夏休みがある。一週間半程度だけれど……


「今年も一緒に花火、しましょうね」


 パチパチと跳ねる火花。線香花火。

 小鐘の意識にふわふわと浮かぶ、去年の記憶。


 うん、楽しみだね。


 その一言をちゃんと伝えられたのかわからないまま、小鐘は眠りに落ちてしまった。


 篠乃も梅芽も既に仕事を終えて帰ったあとだ。鈴音でも小鐘を抱えて部屋に送ることはできる。

 鈴音は少し迷ってから、自分の布団に小鐘を寝かせた。

 どうせ放っておいても勝手に侵入してくるのだ、今更追い返す意味もない気がする。それに、あどけない顔で眠る妹を見ると、このままにしてあげたいと思ってしまう。


「おやすみなさい、小鐘。良い夢を」


 同じ布団に入り、そう囁いた。


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