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第1話 目覚めにはそばにいて

 目を覚ますと、朝焼けが障子越しに部屋を照らしていた。

 鈴音は半身を起こし、扉の鍵を確認しようと視線を向けた。昨夜ひねったサムターンは今も変わらず横を向いたまま、扉は施錠されている。

 十数年前、この屋敷が改築されるまで、部屋は全て鍵のない障子で仕切られているだけだった。けれど今は、厚い壁とこの無機質な扉が、長方形に切り取られた六畳の静域を作り出している。

 壁際に寄せられた文机も、隅に鎮座する重厚な桐箪笥も、昨夜のまま動いた形跡はない。

 部屋の出入り口はその扉一つであり、あとは小さな窓があるだけ。

 確認する必要もないかと思いつつ、鈴音は立ち上がって窓の方へ向かった。二歩ほど歩き、障子を開いてガラス戸の鍵を確認するが、こちらもしっかりと閉まっている。

 障子を閉め、先程自分が出てきた布団を見やる。まるでそこにいるのが当然かのように、布団の中で妹が寝息を立てていた。顔を半分だけ出したその寝顔はあどけなく、まるで天使のようだ。


 しかし鈴音は、就寝時に彼女を部屋にすら招き入れていない。


 もう何度目になるだろうか。小鐘が鈴音の寝ている間に忍び込んでくるのは。

 扉も窓も鍵をかけ忘れたことはない。小鐘が忍び込んでくるようになってからは、特に厳重に確認している。

 机の下、押し入れの中、天井裏までも確認して、そのどこにも人はいなかった。就寝前のルーティンを、昨夜も鈴音は完璧にこなしたはずだった。


 ──これも”神子”の力なのだろうか。


 それとも、単純に彼女自身の力なのか。小鐘の溢れる才は、勝手に姉と同衾することにも発揮されているようだった。

 すぐ隣、妹の部屋からここまでは、壁一枚隔てているに過ぎない。しかし、その壁には通り抜ける隙間などどこにもないし、廊下側の扉もしっかりと施錠していた。


 ここ青海という町は、大潮命という神が治める神域だ。青海に於ける神子とは、神により特別な力を授けられた、人の理を超越する存在だ。

 数千年に一度現れるとされるその力が、もし妹に宿っているのだとしたら、厳重に閉ざされたこの扉など、彼女にとっては無意味な紙縒にも等しいのかもしれない。


 神子という肩書が小鐘にもたらすものは、あまりに重いと、鈴音は思う。

 町民らからは神に次ぐ信仰対象として、その身に余る期待を受けているだろう。その重責を、鈴音が真に理解することは出来ない。


 深く息を吐く。

 とはいえ、鈴音にとって小鐘は、神子である以前に妹だ。神子としてではなく、まずは妹として、人として、向き合いたいと思う。

 慕ってくれていることは、単純に嬉しい。家族との関係が悪いということがどれだけ苦しいことなのか、鈴音はよくわかっているから。けれど、ここまで執着されると、さすがに困ってしまう。


「おはようございます、お姉様」


 鈴音の視線に気付いたのか、小鐘はむくりと起き上がった。まだ眠そうな顔で、ふにゃりと顔をとろけさせる。

 まどろみの延長にいるような状態のまま、小鐘は鈴音に向かって柔らかく微笑んでみせた。朝日を浴びてきらきらと輝くその笑顔に、鈴音はいつも毒気を抜かれてしまう。


「おはよう、小鐘」


 姉の心労を知ってか知らずか、返事をもらえたことに、小鐘は嬉しげに笑う。そして、その笑顔を更に輝かせたかと思うと、こう言った。


「今日こそ、私と結婚してくださいねっ!」


 明るくはきはきとした元気いっぱいの言葉。もはや朝の挨拶の一環である。妹からの求婚、という特異な状況でも、鈴音にとってはこれが日常となっていた。

「小鐘、その話は……」

 諭そうとして、すぐに口を閉じる。

 無駄なことだ。何度言ってもこの妹は全く話を聞かない。いや、聞いているのかも知れないが、頑なに同じことを繰り返す。


 鈴音が再びため息を吐いたそのとき、控えめに二度、部屋の扉が叩かれる。 鈴音の返事を待たずにガチャリと鍵が開き、サムターンがカコンと音を立てて縦を向いた。

 朝の支度のために合鍵の使用を許されているのは、部屋の主に付く侍女だけだ。

 想像通り、入ってきたのは鈴音付きの侍女である篠乃だった。

「おはようございます、鈴音お嬢様。朝のお支度を──」

 篠乃はまず鈴音に頭を下げ、頭を上げるといつものように小鐘が部屋にいることを確認した。

「小鐘お嬢様も、おはようございます」

 鈴音付きの侍女になってから約十年。篠乃は主人と同じように、小鐘の行動にすっかり慣れていた。


 侍女の持つ鍵の管理は、最終的には当主である忠臣が行っている。夜に鍵を返し、朝に鍵を預かるまで、忠臣以外誰もそれに触れることなどできない。

 夜中にこっそり小鐘がそれを使ったということはありえないはずだ。

 今日も主人の努力は報われなかったらしい。ねぎらいの思いを込めて主人に笑みを送ると、鈴音からは感謝と諦観の込められた複雑な笑みが返された。


「おはよう、篠乃」


 鈴音と小鐘が挨拶を返すとほぼ同時に、再び部屋の扉が叩かれた。鈴音が「どうぞ」と返すと、ゆっくりと部屋の扉が開かれる。

「こ、小鐘お嬢様〜、いらっしゃいますか……?」

 現れたのはつい昨年、小鐘付きになったばかりの侍女である梅芽だった。高校を卒業したばかりの梅芽には、まだまだ初々しさとおぼつかなさがある。

「あっ、す、鈴音お嬢様、おはようございますっ!」

 慌てて部屋の主人に挨拶をすると、小鐘の姿を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。

 まさか行方不明になることはないだろうと思いつつも、さらに言えば、主人の行先が姉の元だと知りつつも、それでもやはりまだ慣れないものがある。

 そして心配のあまり、部屋の主への挨拶よりも先に小鐘の行方を尋ねてしまうこと。この辺りが従者としての経験の差なのだろう。


「さあ小鐘、お迎えも来たのだから、部屋に帰りなさい」

 鈴音が小鐘の背中にそっと手を添えると、小鐘はその力に逆らうことなく、鈴音と距離を取った。

「は〜い、お姉様。それではまた後ほど」

 くるりとターンし、ダンスにでも誘うように頭を下げる。

「失礼します」

 軽やかな足取りで小鐘は部屋を出た。

 そしてその後ろを梅芽が慌てて付いて行く。ただし、今度は部屋の主への挨拶を忘れずに。

「それでは鈴音お嬢様、失礼します!」


 慌ただしい朝が続く。

 けれど、鈴音はこの慌ただしさを嫌いになれなかった。

 数年前の、呼吸すら許されないような静寂と緊張に比べれば、この騒がしさは救いとさえ感じられたから。


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