二十九 新月の儀
翌日。
星祀りの巫女たちが円形に並び、聖言の詠唱を始めようと息を合わせていたその時──静かに妻戸が開く音が辺りに響く。
視線が一斉に向かうと、そこに立っていたのは月神だった。
こうして全員が揃う場に姿を現すことなど、これまで一度もなかった。
高嶺の花どころではない。
高嶺の月そのものが目の前にいる。
巫女たちは一斉に開きかけていた口を閉ざし、条件反射のように深く頭を垂れた。
月神は澄んだ声で告げた。
「──汝らに、余より伝えねばならぬことがある。顔を上げよ」
早緑は驚きつつもそれを顔には出さない。だが心の中では(来るなら事前に言ってくれよ……)とぼやいていた。
花朝は眠たげな目がいつになく見開かれ、(……これは夢なんでしょうか……)と思考が停止していた。
彌生は声を上げたい衝動を必死に抑え、肩を震わせながら(うわぁぁぁ!月神様だ!本物だ! 声出ちゃいそう!我慢我慢!!)と頭の中で叫んでいた。
卯花は白い顔をさらに青ざめさせ、(……不意打ちはやめてほしいですわ……)と考えながら細い指をきつく握りしめている。
サツキは日焼けした頰を引き攣らせ、必死に笑いを堪えていた。
(まずい、緊張しすぎて笑いが込み上げてくる……!)
瑞季は気品ある姿勢を崩さず、礼儀正しく頭を垂れているが、胸の奥では(……まさか月神様がこの場にお出ましになられるとは……)と動揺していた。
涼は中性的な顔を強張らせ、(こんなことで怯むな……)と自分に言い聞かせていた。
葉月は穏やかな顔を保ちつつ、胸の奥で(……月神様と立ち会えることは、どんなことであれ光栄にございます)と静かに畏敬の念を抱いていた。
梢は背筋をさらに正し、表情ひとつ動かさないが、内心では(月神様が私たちの前に……恐れ多くて、息が苦しいです……)と緊張を噛みしめていた。
時雨の勝ち気な瞳は驚きを隠しきれずに大きく見開かれ、(月神様が何故?伝えたいことって何?何か怖いんだけど……)と混乱している。
雪見は整った顔を引き締め、両手を重ねて(……どうか、良きお言葉でありますように)と祈るように思っていた。
臘春が柔らかく、しかし緊張した声音で尋ねる。
「わ、私どもに……お伝えくださる事ととは……?」
月神はゆっくりと巫女たちを見回し、静かに微笑んだ。
「ふむ。まずは――汝ら、落ち着け。余が来たからといって、そんなに怯えることはない」
巫女たちは、ほぼ同時に顔を見合わせる。
(落ち着けって……無理でございます!) (無理だよ!絶対無理!) (……無理、です……)
表面上は誰も口にしないものの、十二人全員の瞳が同じことを叫んでいるのが月神にもはっきりと伝わるのか、苦笑している。
瑞季が姿勢を正し、深く頭を下げる。
「月神様、私どもはただただ畏れ多くて……」
月神は優しく手を上げ、皆を制した。
「構わぬ。汝らが驚くのも無理はない。……さて、本題に入ろう」
静寂が部屋を包む。巫女たちは固唾を飲み月神の次の言葉を待った。
「空に浮かぶ月は、永き年月の間……人々の抱く負の想い──穢れを吸い取り続けてきた。余はその穢れを光として地上に返し、浄化してきた」
月神はふう、とひと息つく。
「だが、穢れが満ちすぎれば……月は朱に染まる。そのとき古き月は、大狼に喰われて消える」
彌生が「えっ!?」と叫びかけ、卯花に袖を引っ張られて慌てて口を押さえた。
「月が消える闇のあいだ、余は古き穢れを排出する。そして──汝ら十二人の星祀の巫女と共に新たな月を生み出す。十二日かけて、な」
月神はそっと目を細めた。
「これが、新月の儀よ」
巫女たちは呆然とした表情で互いの顔を見る。
梢がぽつりと呟いた。
「……聖言はその儀の為に、覚えさせられていたということでしょうか……」
月神は優しく頷く。
「然り。汝らが定期的に集められ、厳しく教え込まれたのは、全てこの儀のため。──汝らは、新月を生むための星そのものなのだ」
部屋に再び重い沈黙が落ちた。
時雨が月神に真っ直ぐな視線を向ける。
「……ということは、私たちが失敗したら……新しい月はずっと生まれないってことですか?」
「左様。闇が続き、穢れが地上に溢れ返すことになるだろう」
巫女たち全員が息を呑んだ。
雪見が伏し目がちに尋ねる。
「月神様……私どもにそのような大役が務まるでしょうか……?」
月神は、再び優しく微笑んだ。
「務まるさ。汝らは選ばれたのだから。──さあ、恐れるな。余と共に、新たな月を創ろうではないか」
月神の言葉が静かに広がると、部屋にはまるで深い水底のような沈黙が訪れた。
十二人の巫女たちはそれぞれに硬い表情のまま、互いの顔をうかがい合う。
だが、最初に動いたのは葉月だった。
彼女は気品ある所作でそっと膝を進め、月神に深く頭を垂れる。
「……月神様。私どもは、これまで理由も知らず聖言を学んでまいりましたが……今その意味を知り、恐れよりも、務めを果たしたいという思いが湧いております。国の人々に再び清らかな光を届けられるよう、役目を全う致します」
巫女たちは互いに顔を見合わせ、力強く頷き合う。全員に異論はなかった。
早緑はそんな巫女たちを見渡し、ふっと口端を上げる。長身の影がすっと前へ出た。
「……私たちの気持ちは同じです。どうか、任せてください。十二人そろって、必ず新月の儀を成し遂げます」
その言葉は力強く、巫女たちの決意をひとつに束ねるようだった。
月神は満足そうに目を細め、静かに頷いた。
「うむ。よう申した。汝ら十二の星がかくも心を揃えるなら……余は何も案じぬ。新たな月は、汝らの力なくしては生まれぬのだ」
十二人の巫女は再び一斉に深く頭を垂れる。彼女たちの胸には、恐れよりも使命感が満ちていた。




