二十七 神託
縁側には風が通り、月明かりが柔らかく座敷を照らしていた。
星祀りの巫女たちは合間の休憩の時間を、思い思いの姿勢でのんびりと過ごしている。
花朝は柱にもたれ、湯呑みを手に持ったまま舟をこぎかけていた。
その横で早緑が呆れたように笑う。
「花朝、また寝ているのか。今日も昼寝三昧か?」
と早緑がからかうと、隣で花朝は半開きの目で「そんなに寝ていませんよお」と返しながら、頭をこくこくさせている。
「ねえねえ!今日のおやつ、芋饅頭だよ!すっごく美味しいよ!」
彌生は両腕いっぱいに饅頭を抱え、弾むように駆け込んできた。
「欲張りすぎ!半分寄こせー!」と時雨がすかさず手を伸ばし、二人でじゃれつきながら饅頭を奪い合う。
卯花は少し離れたところで「芋ですか……いいですね……」とぼそりと呟き、葉月が優雅に微笑みながら「お茶を淹れ直して参りましょう」と立ち上がろうとしたその時──珍しく、神官長が姿を見せた。
白い装束の裾を翻し、神官長は縁側の手前で立ち止まる。
「…… 神官長殿が来られるなんて珍しいな」
早緑は怪訝そうな顔になる。
彌生は既にそわそわしていた。
「何かあるの!? なになに!? 教えてよ神官長さん!」
「彌生さん……落ち着いてください……」
雪見が控えめに袖を引く。
神官長はまず深く一礼した。
「星祀りの巫女たちよ。日々の務め、誠に御苦労である」
静かな挨拶のあと、神官長はいつもより一段低い、重々しい声で告げる。
「──皇母神様より神託が下った」
一瞬の沈黙。
彌生が「えっ!?」と声を上げかけたが、時雨が素早く肘で小突いて黙らせた。
神官長は目を伏せたまま、静かに続けた。
「まもなく、無月の刻が来るそうだ」
空気がぴんと張りつめた。
巫女たちの背筋が思わず伸びる。
「無月の刻って……月、なくなるの?」
サツキが眉をひそめる。
涼は腕を組みながら低く呟いた。
「嫌な響きだな」
神官長は巻物を広げ、ゆっくりと読み上げる。
「朱き月の夜、月の神は力を失う。獣が光を喰らい尽くす時、永き極夜の国は真の闇に呑まれる」
神官長の読み上げた言葉が、巫女たちにざわり、と水面のような不安の波を広げた。
「月神様が……力を失うって、どういうことなんですか?」
葉月が控えめながらも真っ先に問いかける。
「獣とは何を指しているのでしょうか……」
雪見も両手を胸で合わせながら尋ねた。
サツキは独り言のように呟いた。
「真の闇に呑まれたら……どうなるの?」
巫女たちが口々に質問をぶつけると、神官長は困ったように瞬きをし、静かに首を振った。
「……そのすべてを、わしも知らぬ。皇母神様から賜ったのは神託と、巫女たちに“結束を深めよ”との御言葉のみだ」
「……それだけ?」
思わず涼が声を漏らす。
巫女たちの視線が神官長に集まる。だが神官長は巻物を閉じ、深い皺を刻んだ顔を伏せたまま、静かに言った。
「無月の刻がいかなるものか、詳細は神のみぞ知る。ただ……来るべき時に備え、互いを信じ、心を一つにせよとのことだ」
瑞季が落ち着いた声で言う。
「心を一つに……と仰られましても、何が起きるのかもわからずでは、心構えも難しゅうございますね」
神官長は深くうなずいた。
「皆の戸惑いは理解している。しかし、神の理に曖昧はつきものだ。……心得よ。巫女たちの務めは、恐れを広げぬことでもある」
そう言い残し、神官長は一礼すると、静かに立ち去っていった。
残された縁側には、奇妙な余韻が落ちていた。
「……なんか、こわ……」
サツキがぽつりと漏らす。
彌生は膝を抱えてそわそわしている。
「獣って何? 出てくるの? 戦うの!? 私たち武器ないよ!?」
時雨がため息をつきながら、彌生の肩を軽く叩く。
「落ち着きなってー。そんな慌てたって、わかんないもんはわかんないのよ」
梢は静かに呟いた。
「……私たちは……結局どうすればよいのでしょうね」
葉月は穏やかな笑みで梢の肩に手を添える。
「まずは、心をそろえることからでしょうか」
臘春は膝の上に置いた自分の手を見つめる。胸の奥が、ひやりと揺れていた。
(……月神様が力を失う夜……そんなこと、本当に起きるの?)
ふと横を見ると、瑞季が棚に置かれた巻物にそっと手を伸ばしていた。
「……聖言の書……」
臘春がぽつりと呟く。
瑞季は頷き、巻物を胸元に抱え思案顔になる。
「もしかすると、これが関わっているのかもしれませんね」
その言葉に、巫女たちは思わず顔を見合わせた。
「……関わってそうですねえ」
花朝がのんびりと同意する。
サツキは苦笑した。
「まあ、何があっても、私らがやることは変わんないってことだね」
鐘の音が響き渡ると瑞季が立ち上がり、皆を促す。
「では戻りましょう。どれほど不安があれど、務めは変わりません」
「そうだな」
早緑が背筋を伸ばす。
「いつも通りやるだけだ」
巫女たちは再び定められた位置に並ぶ。声を合わせ、聖言の詠唱が始まった。
その響きはどこかいつもより重く、迫り来る闇を押し返すための祈りのように臘春には感じられた。




