二十六 門
夜は深く、朧の門の周囲だけがぼんやりと灯っていた。
門の手前に立つ夕映は旅装に身を包み、まだ若い面差しに決意の色を帯びている。
臘春が以前穢れ落としをした少女──夕映から、数日前に文が届いていたのだ。
その文には、この国を出ていく決意と臘春に対する感謝が記されていた。
だから今日、彼女を見送るために臘春は門まで足を運んだ。
「来てくれたんだね」
夕映が臘春に気づき、にっと笑う。
夜の灯りに照らされたその顔は、臘春の記憶の中の少女よりもずっと強く見えた。
「……本当に行くんですね。もっと残ることもできたのに」
臘春が尋ねると、夕映はほんの少し迷うように目を伏せ、それでもすぐに顔を上げた。
「ここで過ごした一年は、私にとって安らげる時間だった。でも……怖くても、その先にいる新しい私に賭けてみたくなったの」
夕映は淡い金色の薬湯を門番から渡された。
それは朧の門を越える前に、必ず飲む決まりの薬湯。
夕映は器を両手で受け取り、臘春にもう一度微笑んだ。
「見送り、ありがとう」
そして迷いなく薬湯を飲み干す。
臘春が見守る中、彼女はためらいなく朧の門へ歩み出る。
白靄が足元から巻きつき、瞬く間に身体を包む。夕映の姿はふっと掻き消えるように、靄に呑まれていった。
この門から出ていく人々を、臘春は何十、何百と見送ってきた。一年で去る者もいれば、百年まで粘る者もいた。けれど自分は──
(出ていきたいなんて……一度も思ったことがない)
この国に流れ着いた者は一年を経て、残るか去るかを選ぶことができる。
しかし──どんな者であれ百年が経てば必ず門をくぐらねばならない。
──臘春は、それがどうしようもなく嫌だった。
本来なら自分も百年目に門を越えるはずだった。
けれど運が味方した。人手が足りないという理由で声がかかり、臘春はそのまま宮仕えの巫女として残る道を許されたのだ。
他の皆が出ていく中で、臘春は留まり続けた。
どれほど穢れを落とし、心を澄ませて穏やかに過ごせたとしても業だけは消えない。
それは自分の中に巣食い、次へ引き継がれていく。臘春はそれを知っていた。
臘春は長く居すぎたせいで、どうして自分がここを出たくないのかさえ忘れていた。
だが──こうして一人、また一人と見送るたび、うっすらと思うのだ。
(きっと……私の業は大きいからだ)
白靄に呑まれていく人々を幾度も見送ってきたのに、自分は門の向こうを想像することができない。
風が吹いて、靄がゆっくりと動く。誰かが遠くで手を振っているような気がして、臘春はもう一度だけ門の向こうを眺めた。
そこには、いつもの闇が広がっているだけだった。




