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夜明けを知らぬ月の巫女  作者: てるみち。


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二十三 妖

その時だった。


背後の小川から、水面を割って長い影が現れた。細くしなやかな胴体が波を切り、鱗は濡れた光を反射している。海の底から迷い込んだかのようなその姿は、ただの蛇ではない。臘春の目に、ぞっとするほど異質な存在として映った。


「ちょっと……後ろ……!」


臘春の声は震えていた。しかし火久弥は熟した実にばかり意識を向け、背後に迫る影に気付いていなかった。



火久弥が口へ実を運ぼうとした瞬間──水面を裂いた影は唐突に速度を増し、鋭い牙を剥き出した。


「──っ!」


蛇は火久弥の手首へ食らいついた。鋭い痛みに火久弥は呻き声を上げ、手にしていた実を取り落とす。膝を折り、その場に倒れ込む。



臘春は叫び声を上げて駆け寄った。だが蛇は動きが素早く、火久弥から離れると臘春の周りをまとわりつくように滑り回り、追い払おうとする臘春を翻弄する。


「っ……こ、こないで……!」



火久弥の額からは汗が滴り、目の焦点さえ揺らいでいる。腕を押さえながら歯を食いしばり、無理やり体を起こした。


実を狙うかのように蛇は地を這い回り、火久弥の落とした果実へと近づいていく。


「……渡すものか!」


火久弥は顔を歪めながらも右手で蛇を掴み取ろうとした。だが毒が回っているせいで指先に力が入らず、すんでのところで蛇はするりとすり抜けて火久弥の右腕へ巻き付き、牙を突き立てようとする。


「火久弥!」


臘春は咄嗟に両手で蛇の胴を掴み、必死に引き離した。蛇は身をくねらせ、今度は臘春へ牙を向ける。臘春は悲鳴をあげるが──火久弥が左手を伸ばし、蛇の首を荒々しく掴み取った。


そしてそのまま力任せに握り潰す。骨の軋む音が響き、蛇はぐったりと動きを止めた。

臘春は息を荒げ、火久弥の横顔を見つめる。


「……実を食らえば……毒など恐れるに………足らぬ……」


火久弥は転がった果実を拾い上げようとした。だが──潰されたはずの蛇が、最後の執念を見せるかのように身を跳ね、火久弥の左手へ牙を突き立てた。


「──あ、がっ……!」


火久弥の喉の奥から、声にならない声が漏れる。二度目の毒が体内に回り、視界がぐらりと歪む。火久弥の身体は倒れ、実が指からこぼれ落ちた。


「やめて……もうやめて……!」


臘春は泣きそうになりながら、蛇の頭を何度も踏み潰す。鱗が砕け、血と肉片が飛び散る。ようやく蛇はぴくりとも動かなくなった。



実は転がり、小川の縁で止まっていた。淡い橙の光を放ちながら、そこに静かに佇んでいる。


息を荒げながら、火久弥は這うようにして実の元へ向かう。痛みで意識が遠のきそうになりながら、それでも実を掴もうとした。だが、毒が蝕み、指が痙攣している。腕が上がらない。




臘春は火久弥の元へ駆け寄り、脈を取った。


(……まだ生きている)


その時、臘春の足首に焼けつくような激痛が走った。反射的に振り返ると、そこには先ほど倒したものとは別の蛇がうねるように地面を這っていた。痺れが脛を駆け上がり、足から力が抜ける。


倒れ込んだ拍子に、臘春の指先が何かに触れた。火久弥が落としたそれは、まるで臘春の手を待っていたかのようにそこに佇んでいた。


臘春は震える腕を地面に突き、必死に身体を引きずった。甘い香りを放つ果実を胸に抱え、土を擦りながら火久弥のもとへ近づいていく。



臘春は火久弥と実を交互に見つめる。

決意と恐怖が一度に胸へ落ちてくる。


(……この行動がどういう結果をもたらすのかは、分からない。我ながら矛盾しているけど……でも………)



歯を立てて皮を裂き、思い切って実を火久弥の唇へ押し入れようとする。しかしそれは固く丸く、指で押しても形は変わらない。


口には大きすぎた。臘春は両手で支えながら押し込もうとするが、全く入らない。割ろうとしても、指に力が入らずひび一つ入れられない。


その間にも火久弥の呼気は弱まっていく。臘春の心臓はドクンと跳ねた。


何とかしないと、このままでは──


臘春は一度だけ目を閉じ、覚悟を飲み込んだ。実を自らの唇に寄せ、歯を立てた。皮が裂け、口に広がる果汁をこぼさぬよう含み、そっと火久弥の顔へ身を寄せた。


火久弥の顔の上に身体を寄せ、唇をそっと重ねる。


口に含んだ果肉を、少しずつ火久弥へ移す。火久弥の喉がわずかに動き、果汁が飲み込まれていく。


ふと冷たい何かが脚に絡みつく感触があった。そして鋭い痛みがふくらはぎを貫いた。


全身に痺れるような痛みが走り、視界が白く弾ける。


それでも臘春は息も途切れ途切れに、何度も同じ動作を実がなくなるまで繰り返した。


火久弥へ最後の一滴を渡した瞬間、臘春の身体は糸が切れたように崩れた。

地面の冷たさが頬に広がり、目を閉じる。



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