二十二 果園
臘春は鍵束を握りしめたまま、ただじっと眺めていた。 時間だけが過ぎていく。火久弥の視線が突き刺さり、焦りばかりが募る。
(……何か、何か手がかり……)
何度も鍵を持ち替え、柄の部分を見つめる。艶やかな色が塗られた持ち手と、差し込み口の境目――そこに細い切れ込みのようなものがあることに、ようやく気付いた。
(……これは……?)
臘春は恐る恐る指をかけ、引っ張ってみるが何も起こらない。だが試しにくるくると回してみると、金属がかちりと音を立て鍵の差し込み部分が外れた。
「え……?」
柄から先端がぽろりと抜ける。まるで玩具のように、簡単に。
臘春は目を丸くして残りの鍵も次々と分解してみた。全部、先端が外れる。柄はただの色付きの土台で、鍵の「芯」は別に存在していた。
(もしかして……組み替えるの?)
白色の柄を一本選ぶ。そこに、他の色の先端を順番に差し込んでいく。
最初は適当だった。赤を付けてみたり、紫を付けてみたり。だが、どれもピタッと収まる感触がなくて、焦りが募る。
(落ち着いて……この色の組み合わせには見覚えがある……)
ふと、脳裏に記憶がよみがえる。
──月誓の儀。
星祀りの巫女として正式に認められる為に行われた儀式。あの時灯した五色の火。
(緑の火が最初に灯り、次に赤、黄、白、そして紫……あの時の色の順番……)
緑の鍵を軸に、赤、黄、白、最後に紫と繋げていく。
カチ、カチと音を立てて五つの先端がぴたりと重なり、一本の長い鍵が完成した。
火久弥は肩に担いでいた蛇の死骸をぽいと放り捨てる。
「そなたのような者でも、稀には使い道があるものだな。ならば、その鍵──預かるぞ」
臘春が返事をするより早く、火久弥は臘春の手から鍵をさっと奪い取る。
カチリ、と軽い音が響く。続いて、ごおり……と重い錠が外れる音。
巨大な扉が、軋みを上げながら内側へゆっくりと開いていく。
中から柔らかな光が漏れ、臘春は目を細めた。
扉の向こうは、予想外の景色だった。
小川がさらさらと流れ、両岸に若い果樹の木々が整然と植えられている。木々はまだ幼く、幹は細く枝葉もまばらで、根元には丁寧に土が盛られ、水やり用の溝が掘られている。
実の多くは小さく青々としていて、熟れきっていない。ところどころに、わずかに黄色みが差したものが混じり、風に揺れて軽く音を立てる。
空気は湿り気を含み、土の匂いと混ざった爽やかな甘酸っぱさが鼻をくすぐった。園は奥へ奥へと続き、霧のような光が木々の間を漂っているように見えた。
「……果園……?」
臘春が呟くと、火久弥は鼻を鳴らした。
「ほう、月の神が隠し持つ秘密の庭か。意外と風流だな」
思わず見入る臘春を尻目に、火久弥はさっそく最も実りの良さそうな木へ歩み寄る。そして迷いなく手を伸ばした。
「待って!!」
臘春は慌てて駆け寄り、火久弥の手首を両手で押さえて止めた。
「熟していない実を食べると身体がおかしくなると……月神様が仰っていましたよ!」
火久弥は摘む寸前の青い実を見下ろし、ゆっくりと臘春へ視線を移す。
「……身体がおかしくなる、とな?」
「なります!」
「ふむ……」
火久弥はしばし真顔で実を見つめ――臘春の方を振り向く。
「では、そなたが食べて試して見せよ」
「なんで私が!?」
「そなたが言うのだ。ならば確かめねばなるまい。……我が食べて倒れては困ろう?」
(……この男、本当に信じられない!)
臘春の胸の奥で、ぷつんと何かが切れた。
(いつもそうだ。私の言うことなんて最初から本気で聞いてない。だったらいい。だったら自分で確かめればいいじゃない!)
「私の言葉を疑うなら、食べて後悔すればいいんです。私は毒味係じゃありませんから!倒れて苦しむのも、這いずり回るのも、全部あなただけなんだから、どうぞご自由に!!」
最後はほとんど叫んでいた。臘春の息は荒く、握りしめた拳は小刻みに震えていた。
火久弥は虚をつかれたような顔をする。
「……ほう。随分と啖呵を切るではないか、巫女風情が」
「事実を言っただけです!」
火久弥は青い実を指先で弾き、鼻を鳴らした。
「よかろう。今回はそなたの言葉を聞き入れてやる」
“聞き入れてやる”に全力で尊大さを込めてくるあたりが、本当に腹立たしい。
「別に……恩着せがましく言うことじゃ……」
「黙っていろ。我が譲歩してやっているのだぞ?」
どこが譲歩なのか臘春には一生理解できそうにない。
火久弥は木々の間を歩き回り始めた。
「しかし……どれを見ても青いな。ひとつとして熟しておらぬとは、どういうことだ。育て方が悪いのか?」
「育て方は関係ありません。これは……そういうものなんです」
臘春は小川沿いに並ぶ果樹を見渡し、神殿で聞いた話を思い出す。
「月神様が仰っていました。“ここの実が完全に熟すには、数百年はかかる”と」
火久弥の足がそこでぴたりと止まった。
「……数百年?」
「はい。ですから、その……食べられるようになるのは、ずっと、ずっと先です」
火久弥は遠い目をして実を見上げる。
実は青い。見事に青い。どれもこれも、まだ固く締まったまま。
「ふむ……なるほどな」
(これなら……さすがに諦めるはず……!何百年も待てるわけないし、例え何百年経ったとしても、その頃には流石に火久弥も多少は変わっているでしょうし……)
臘春が胸を撫で下ろしていると、火久弥は腕を組み、果園を見渡しながらぼそりと呟いた。
「……それにしてもつまらぬな。ここには妖が出る、と──どこぞの巫女が脅すように申しておったが、まるで気配がないではないか」
臘春は眉をひそめ、声を潜める。
「……出てこない方がいいじゃないですか。……それにさっきいた蛇、あれがもしかしたらそうだったのかもしれませんよ」
火久弥は振り返り、臘春を見下ろすようにしてせせら笑う。
「あんなもの、ただの蛇ではないか。何が“名もなき妖”だ。戯れ言も大概にせよ」
臘春は唇を噛み、言い返そうとしたが──先に火久弥が足を止めた。
「……ほう」
火久弥の視線の先、一本の枝に一つだけ色づいた実があった。青ではなく淡い橙を帯び、柔らかく熟した輝きを放っている。
臘春は息を呑んだ。
「ま、待って!それは──!」
だが火久弥は既に手を伸ばし、迷いなくその実をもぎ取っていた。
「数百年待たねば熟さぬと言ったな。ならばこれは奇跡の実よ。食わぬ理由があるか」
臘春は慌てて駆け寄り、必死に止めようとする。
「駄目です!本当に駄目!月神様が!」
火久弥は臘春の声を意に介さず、熟した実を掌に転がしながら口元へ近づける。




