表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜明けを知らぬ月の巫女  作者: てるみち。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/28

二十 説得

それから数日後。

臘春(ろうしゅん)がまどろみの底から引きずり上げられたのは、優しさとは程遠い衝撃だった。


「起きろ」


身体に掛けていた布を剥ぎ取られ、肩を掴まれ、がくんがくんと揺さぶられる。寝起きの人間への配慮など微塵(みじん)もない。


目を細めて見上げれば、火久弥が当然のような顔で立っている。


「……火久弥(かぐや)殿。いつも言っていますが、急に来るのやめてください。せめて、いつ来るのか事前に教えるとか……できませんか?」


布にしがみつきながら訴える臘春に、火久弥は鼻で笑った。


「無理だ。我は来たい時に来る」


「え……」


「そもそも、いつ来ようと思うかなど我にもわからぬ。ふと思いついた時が来る時よ」


それを平然と誇らしげに言うあたり、この男には配慮という概念がどうやら存在しないらしい。


「だが、月神が来る日は避けておる。それで充分であろう?」


「充分なわけないでしょう……!」


臘春が声を潜めながら荒げると、火久弥は逆に怪訝そうに眉を寄せた。


「なぜだ。我は配慮しておるぞ?月神が居る時に踏み込めば、さすがに色々と面倒であろう。そなたには話を聞き出す役目もあるしな。だから我は避けてやっておる。褒めるがよい」


「それは人として当たり前の配慮ですよ……」


火久弥は臘春の疲れ切った顔をじっと見つめ「ふむ……やはり眠そうだな。揺すりが足りなかったか」と、危険な結論に至りかける。


「やめてください!」


臘春は瞬時に身を引き、火久弥から距離を取る。


火久弥はいつもの調子で口を開いた。


「それで──実の在処の手掛かりは掴めたか」


それは火久弥にとって、挨拶代わりの言葉だった。「おはよう」の代わりに、毎度同じ問いを投げかけるのだ。臘春はその度に首を横に振り、まだ何も掴めていない、本当にあるのかも怪しいと言い訳をしてきた。



だが今回は違った。臘春の胸裏には、月神とのやり取りがまだ生々しく残っている。

そのせいで言葉が遅れてしまった。


「……………………………………残念ながら何も掴めていません」


平静を装って告げる。

だが、火久弥は臘春が思う以上に臘春を見抜く性質だった。


「今の間は何だ、臘春。我にはわかるぞ。いつもより半拍遅かった」


「……気のせいですよ」


「否。何かを隠しておるな」


火久弥は言い切り、ぐっと一歩近寄る。臘春はとっさに布を抱えて距離を取った。


その動きに、火久弥の口元がゆっくりと歪む。


「逃げよったな。ますます怪しい」


「急にそんな顔を近づけられたら、誰だって逃げますよ」


臘春は布を胸に抱きしめたまま、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「ほう。では問おう。臘春、おまえはいま、何から逃げた?」


「だから……あなたが突然──」


「違うな」


火久弥は臘春の言葉を切り捨てるように断じた。


「我からではない。追及から逃げたのだ。知らぬと言いながら、目が迷っておる。口は否と言い、身体は肯を示しておる」


臘春は思わず口を噤んだ。

火久弥はさらに一歩近づく。

先ほどよりもゆっくり、逃げ道を塞ぐように。


「さあ、臘春。言え。我に隠す理由はあるまい?実の在処、その手掛かり──掴んだのであろう?」


その瞳は赤い火種のようにぎらりと光り、退路を許さない。臘春はごくりと喉を鳴らした。


「……い、いえ。本当に、大した話では……役に立つようなものでも……」


「役に立つかどうかは我が決めることだ。臘春、言え。すぐにだ」


「でも……」


「言わぬのなら──約束を違えたとみなす」


その瞬間、火久弥の気配が変わった。

静かな部屋に、ふっと熱が満ちる。


「我は再び暴れるぞ。宮中を荒らすことなど造作もない」


臘春の背に冷たい汗が伝う。


「それとな。我に“穢れを落とされたふり”をして己の評価を上げ、星祀りの巫女に選ばれるよう協力しろと言い出したあの話。あれもすべて、我は暴露するぞ」


臘春は息を呑んだ。

胸がきゅっと縮み、言葉が喉奥でつかえる。


「さあ言え、臘春」


逃げようとしても、きっと火久弥は追ってくる。下手に誤魔化せば、ますます長引くだけだ。


(……少しだけ。場所そのものじゃなければ、言っても……)


自分に言い訳しながら、臘春はついに口を開いた。


「………月神様は……“もし実があるとしても、道は岩に隠れ、月に気付けねば開かぬ”と……そんなふうに仰っていました……」


言ってしまった。


口から出た瞬間、臘春の背筋を後悔が走り抜けた。


(ま、まあ……これくらいなら……!具体的な場所なんて言ってないし……私にも分からないし……火久弥にわかるはず、ない……!)



「……それで?他には?」


「えっ……?」


「月神は、ほかに何と言っていた?それだけで終わる話とは思えぬがな」


臘春は一瞬たじろぎ、咄嗟(とっさ)に視線をそらした。どうにか火久弥の興味を削ぐため、少しでも不利に聞こえる情報を探す。


「そ、そういえば……その……」

臘春は意を決して続けた。


「実を取ろうとすると……妖に襲われるそうですよ……だから、諦めたほうが──」


「妖、か」


火久弥には一片の怯みもない。

むしろその声は、面白がっているようにすら聞こえる。


「どんな妖だ?名は?形は?何を喰らう?」


「し、知りません!そこまでは本当に……!“侵入者を許さぬ、名も無きものだ”としか……!」


「ほう。名も無きもの、とな」


火久弥はくく、と小さく笑った。

その笑いは、臘春の胸をざわつかせるほどに剣呑で、軽やかだ。


「ようやく話を吐いたと思えば、出てくるのは霞のように掴みどころのない話ばかり。臘春、おまえというやつは――」


火久弥は臘春の顔を覗き込み、唇の端を思いきり歪めた。


「聞き出す手間ばかりかかるわりに、得られるものは薄味だな。まるで水で薄めた薬湯を延々飲まされておる気分だ」


臘春は悔しさと恐怖と苛立ちで、胸の奥がぎゅっと縮む。

だが反論したらさらに突かれるとわかっているから、言葉が出ない。


火久弥は臘春の沈黙を愉しむように一度目を細め、そして瞳に静かな光を宿しながら低く呟いた。


「だが……まあ、いいだろう。半端とはいえ、糸口は得た。あとは我が勝手に辿るまでよ」


その声音に、臘春の心臓は冷たい指でつかまれたように跳ねた。


(……だめだ、このままじゃ火久弥は本当に──)


臘春は咄嗟に口を開いた。


「火久弥……聞いてください。月神様は、あなたの……出生を知っておられるようでした。そして──あなたを神にする方法も知っている、と」


火久弥の眉が、わずかに動く。

それは関心か、警戒か、あるいは怒りか判別しづらい微細な反応。


臘春は続けた。

止めなければ、という焦りで喉が熱くなる。


「ただ、月神様は……あなたの気性の荒さを気にしておられるのです。もし、そのまま神になれば──再び神の座を降ろされ、追放されるかもしれない。だから、様子を見ていると……。あなたが心から性根を改めれば、実など盗まずとも、月神様はきっと助けてくださるはずです」


言いながら臘春は、自分の声が震えているのを感じた。

嘘ではない筈だ。

月神の言葉の端には確かに、火久弥への何かしらの気遣いがあった。

それに賭けたかった。


だが――


火久弥は、臘春の必死の言葉を聞き終えると、静かに笑った。

それは冷ややかで、乾いた、刃物のような笑いだった。


「臘春。己は、まだそんな夢のような話を信じておるのか」


火久弥は顔を寄せ、低い声で囁く。


「月神が我を神にしたいだと?笑わせる。あやつはただ“我に神になってほしくないだけ”だ」


臘春は息をのむ。


だが火久弥は構わず続けた。


「理由などいくらでも並べ立てられる。“気性が荒いから様子を見る”など、もっともらしい方便よ。実際のところはただ一つ──我が神になれば、あやつを越える。月神を、今の神々を。あやつらはそれを恐れておるだけだ」


妄言だ。

けれど火久弥は、本気でそう信じている目をしていた。

瞳がぎらぎらと輝く。

狂気と確信と、長年の渇望が混ざり合った色で。


臘春の背筋を、冷たいものがすうっと走った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ