十四 顔合わせ
臘春は鳥のさえずりで目を覚ました。
枕元に、昨夜の温もりが残っているような気がした。だがそっと手を伸ばせば、そこにあるのは冷たい布の感触だけ。月神の姿はどこにもない。
「……夢だったのかしら」
そこへ、控えめに戸を叩く音がした。
「失礼いたします、臘春さま。お目覚めでしょうか」
侍女が入室し、丁寧に頭を下げる。
「お支度をお手伝いさせていただきます」
昨夜の装束を一枚、また一枚と脱がせ、新しい白小袖をまとわせ、髪を梳き、顔を整える。
「臘春さま」
侍女が控えめに声をかける。
「月神様は決まった周期で、御方たちの元を訪れられます」
臘春は少し驚いた。もう自分の元には来ない可能性を考えていたからだ。
「周期で……?」
「はい。どの日に訪れられるかは、事前にお知らせいたします。ですので、その日までに心身を整え、準備されるようお願いします」
まだ次の日取りも告げられていないのに、臘春の体は緊張で固まった。
「わかりました……しっかり準備をして、臨みます」
侍女は頷き、静かに手を動かし続ける。
身支度が整うと、侍女に案内されて朝餉の御座へ。連れて行かれた小部屋には贅沢な食事が並べられていた。
まず目に入ったのは、小さな土器の椀に盛られた炊きたての白米。
一粒一粒がふっくらと輝いている。
隣には、白味噌を淡く溶かした淡雪汁が置かれていた。
さらに白銀の皿には、香ばしく焼かれた小鯛。その上に添えられた山椒の若葉が爽やかな香りを立てている。
銀の小鉢には、刻んだ紫蘇の緑と胡桃の淡い茶色が混ざりあった和え物。
その隣には薄い琥珀色をした干物の薄切りと、玉子色と薄紅色が混ざった桜海老の卵焼き。
冷やされた蜜柑の甘露水の澄んだ琥珀色の水面には、細く切った蜜柑の皮がひとひら揺れている。
臘春は膝をつき、そっと箸を取る。
巫女として仕えた日々、宮中で出された食事は確かに上等だった。白米に味噌汁、小鉢二つ。有り難く頂いた。
けれど、これは。
「……まるで、夢を見ているみたい」
ぽつりと呟くと、侍女たちがくすりと笑った。
「夢ではございません。こちらが、これからの臘春さまの日常でございますよ」
食事が終わると、今度は別の侍女が二人、静かに現れた。
「では、お召し替えを」
上衣は白の絹地に、袖口から襟元へと、まるで夜空が降りてきたような深い藍色への濃淡が施されている。その濃淡の中には星模様が刺繍されていて、光の加減で瞬いていた。
下は鮮やかな山吹色の袴。
「星祀りの巫女として、本日よりこちらの装束をお召しいただきます」
侍女たちは慣れた手つきで臘春を包み、結び、整え、髪に簪を挿した。
そのまま促されて廊を進むと、広間の前で襖が左右に静かに開く。
そこにはすでに十一人の巫女が円を描いて座っていた。
同じ装束をまとっていても、佇まいも雰囲気もそれぞれ違う。
臘春に静かな足音が近づく。
最初に進み出たのは、長い黒髪を高く結い上げた背の高い女性。
「私は早緑だ。星祀りの巫女としては最も早く務めを任ぜられた。そして自己紹介の口火を切るのも、毎度私の役目になっている」
唇の端を上げ、冗談めかしながら話す。
「まあ、これも最初に選ばれた巫女の務めと言えば務めだが……今回でその役目も終わりそうだ」
そう言うと、後に続く者へ視線で促した。早緑の隣に座していた巫女が立ち上がる。
「花朝と申します。見ての通り、少し眠たげと申しますか……ぼんやりしているように見えるかもしれませんが、務めはきちんと果たしておりますので、ご安心を」
淡い桃色の頬と、とろんとした目元が印象的で、温和な雰囲気を放っている。
「こんにちは!彌生です!」
小柄でよく声の通る巫女が元気よく手を挙げた。
「分からないことがあったら何でも聞いてくださいね!色々詳しいので!」
胸を張る彌生の背後で、早緑が「詳しいというより、お喋りだな」と小声でつぶやき、花朝がくすりと笑った。
続いて、白い顔を伏せるようにして巫女が立ち上がる。線が細く、白百合のような女性だ。
「卯花と申します……話すのは得意ではありませんが……どうぞよろしくお願いします」
卯花の隣に座る巫女が元気よく立ち上がる。
「私はサツキ。よろしく!新しい子が来てくれて嬉しいよ、仲良くしてね」
明るい笑みを浮かべたサツキは少し日焼けしていて、健康的な印象を与えた。
次の巫女は立ち上がると臘春に一礼した。
「瑞季です。遠慮せず気楽に接してください」
穏やかな笑みで礼をした瑞季は、楚々とした雰囲気で、気品のある女性だった。まとっている空気がしっとりと落ち着いている。
短い髪の中性的な雰囲気の巫女が立ち上がる。美形だが愛想はなく、冷たそうな印象を与える。
「涼だ。よろしく」
滑らかな所作で立ち上がった巫女は、人目を引く綺麗な顔立ちをしていた。
「臘春殿、ようこそいらっしゃいました。私は葉月と申します。慣れぬことも多いでしょう。いつでも頼ってくださいね」
その場の空気が柔らかくなるような人だ。
次に立った巫女は背筋がすっと伸び、どこか近寄りがたい雰囲気をまとっていた。
「梢です。……以後、お見知りおきを」
次の巫女は勢いよく立ち上がった。
見るからに勝ち気そうな風貌をしている。
「時雨です。気が強いってよく言われまーす。よろしくねー」
最後の巫女は静かに立ち上がった。
「雪見と申します。十二番目の巫女殿のお越しを、長らくお待ちしておりました。よろしくお願い致します」
臘春に向かって一礼し、目鼻立ちの整った容貌に控えめな微笑みを浮かべる。
そして早緑が代表するように、臘春に近寄る。
「――これで全員だ。新たなる星祀りの巫女、臘春。君を歓迎する」
臘春は深く礼をした。
「臘春と申します。未熟ではありますが……どうか、よろしくお願いいたします」
「今日より君は我らの妹。そして同じ月神様の伴侶として、ともに務めを果たす仲間だ。さあ、席へ」
早緑が軽く手を示すと、円を描く十一人の中の、一つだけ空いた場所が見えた。
臘春はその空いた席に腰を下ろす。
こうして十二の円が完成した。




