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造物のアルス  作者: おのい えな


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第95話

 研究棟の奥は、外の喧噪が嘘みたいに静かだった。

 廊下の石床は冷え、魔石灯の光は昼でも淡い。

 さっきまでの祭のざわめきが、遠い別世界の音に思える。


 案内された部屋には、紙の束と器具が並んでいた。

 机の上には小さな結晶が、布の上に置かれている。

 光を受けても派手に輝かず。

 それでも、視線を引き留める重みだけがあった。


 エルネは椅子の背に軽く手を置く。

 アルスが息を整えるのを待ってから、口を開いた。


「君が送ってくれた、結晶について調べたんだ」


 言葉は穏やかだった。

 だが、いつもより慎重だ。

 視線が机の上の結晶へ落ちる。


「今回僕が調べたのは、マナの融合について」


 アルスは反射で眉を上げた。

 授業で聞いた言葉と、実験の現場で使われる言葉は。

 同じでも重さが違う。


「マナの融合?」


 エルネは頷き、たとえ話を探るように指先で空をなぞった。


「絵の具を思い出して欲しい。赤色に青色を混ぜると何色になる?」


「紫色です」


 即答すると、エルネの口元がわずかに緩む。


「そうだね。

 そしてそれがマナでも同じことが起きるのではないかと思っていたんだ」


 エルネは机の端に置かれた測定具を指で軽く叩く。

 器具の針は、止まったように見えて。

 ほんのわずかに、呼吸するみたいに揺れていた。


「結論から言うと、マナは融合しなかった」


 アルスは息を飲み、結晶を見る。

 小さな塊の中に複数の属性が押し込まれている。

 その話の現実味が、急に増した。


「いや、融合しなかったと言うより、すぐに戻ったが正しいかもしれない」


「戻った?」


 エルネは「そこが肝だ」とでも言うように、視線を上げる。


「ああ、それは後に説明するよ。

 ところでなんで僕がこんなこと調べたかわかる?」


 問いは軽い。

 だが、答えを探す時間が、実験の線をなぞる。


「結晶にはいろんなマナが閉じ込められているからですか?」


 アルス自身の声なのに。

 言いながら、一瞬だけ瞬いた。

 質問の形で出たが、答えとしては筋が通っている。


「察しがいいね。

 そう。自然界や魔石と違い、複数の属性がこんな小さな結晶に圧縮されているんだ」


 エルネは布の上の結晶を、触れない距離から見下ろす。

 触れれば何かが変わりそうで。

 だから触れない。


「だから、この状況ならマナ同士が干渉し合うのではと、仮説を立てたのさ」


「要は、風のマナと水のマナが混ざり合って別のマナを生み出すのではと思ったんだ」


 アルスは言葉を追う。

 新しい属性。

 授業で聞く理屈が、目の前の小さな塊へ結びついていく。


「それが生み出されなかったと?」


 エルネは首を横に振った。

 断言ではない。

 慎重な否定だ。


「いや、それはまだ分からない。

 むしろ生み出すことは可能かもしれないと思ってる」


「どういうことですか?」


 エルネは器具に手を伸ばし、針の位置を示す。


「今回調べた結晶は、水のマナと風のマナが潤沢に含まれた結晶だったんだ」


「結晶内の各マナの総量は器具で正確に測っていたんだけど」


「それはいくら時間が経ってもほぼ変わらなかったんだ」


 アルスは針を見る。

 変わらない、というのは安定だ。

 だが、エルネの声にはまだ続きがある。


「それなら、干渉していないのと同じでは?」


「今言ったとおり、『ほぼ』変わらなかったのさ」


 『ほぼ』。

 その一語で、部屋の空気が少しだけ引き締まる。


「器具の針は、ずっと同じ場所を示していたんだが、ほんの少しだけ揺れていたんだ」


 エルネは指を近づけて、揺れの幅を示す。

 わずかな違い。

 けれど、それが「ある」と言えるほどに、確かだった。


「最初はただの風や揺れかと思ったが、単一属性のマナの結晶ではその現象は見られなかった」


「だから、さっき言った結論になったんだ。

 マナは融合していないというよりすぐ戻ってしまったんだ」


 アルスは結晶から目を離せない。

 混ざりかけて、戻る。

 その繰り返しが、針の揺れとして現れている。


「なぜ、すぐ戻ってしまうんでしょう?」


 エルネは口を開きかけて、閉じた。

 言葉の行き先を選ぶ仕草だった。


「それは――」


 沈黙が一拍落ちる。

 紙の端が、どこかでかすかに擦れた。


「まだ分からない」


「そうですか」


 アルスは肩の力が抜ける。


「もしかしたら、お互いを嫌いなのかもしれませんね」


 冗談の形を借りた推測。

 アルスの声は軽い。


「ははっ。確かにそうかもね」


「冗談ですよ」


 すぐに引く。

 けれど、エルネは笑いを消さずに視線を泳がせた。


「いや、実際にあるのかもしれないよ」


「?」


 エルネは椅子に腰を下ろし、机の上の紙を一枚だけ指で押さえた。

 そこに書かれた図は、マナの流れを示す曲線だった。


「マナは生物の感情に呼応するように惹かれあう」


「魔法士なんか最たる例だよ」


「マナは強い感情や想いにより呼応して動くのは知ってるね?

 その動きを使って魔法を発現させているからね」


「はい。マナ理論の授業で学びました」


 教科書の言葉が、少し違って聞こえる。

 ここでは理屈が、現象に繋がっている。


「だからもし、マナ自身に感情の好き嫌いがあるとして。

 それが相入れない感情だったら離れていってしまうかもね」


 アルスは結晶を見る。

 小さな塊の中で、ぶつかりかけては離れる何かを想像してしまう。


「なんだか、人と同じですね」


「そうかもしれないね」


「じゃあもし、マナ達がお互いを許し合えた時。

 新しいマナが生まれることもあるのでしょうか?」


 問いは素直だった。

 けれど、どこか祈りの形にも聞こえた。


「今の仮説だと、あり得るね」


「なるといいですね」


「そうだね」


 それ以上の答えは出ない。

 けれど「分からない」という言葉の手前に。

 確かな輪郭が一つ増えていた。


 アルスは椅子を引き、軽く頭を下げる。

 エルネも頷き返した。


 部屋を出た途端、廊下の空気が少し冷たい。

 扉の向こうの静けさが、背中に残る。


 研究室の机の端で、リアーナは地図を広げたまま動かなかった。

 ペン先が紙の上を走り、止まって、また走る。

 視線は一度も上がらない。


「リアーナさん、ありがとうございました」


 返事がない。

 聞こえていないというより。

 世界の外にいるみたいだった。


「アルス君。しー」


 エルネが小さな声で話しかける。


「リアーナはあの状態になったら、他のことが見えなくなるんだ」


 肩をすくめる所作は、困っているというより慣れている。


「そうですか。すごい集中力ですね」


「そうだね」


 しばらく、ペンの音だけが続いた。

 地図の上の線が一本増えるたび。

 リアーナの指先が僅かに震える。


「ところで、明後日の開会式はアルス君来るのかい?」


「開会式なんかあるんですか?」


 アルスの声が少し大きくなり。

 エルネがもう一度だけ「しー」と目で合図した。


「中央円環堂で行われるんだ」


 中央。

 円環。

 名を聞くだけで、街の中心に立つ大きな円形の建物が思い浮かぶ。


「各国の入場セレモニーは圧巻だから見に来るといい。

 それにエルドも出るみたいだよ」


「エルドも来てるんですか?ぜひ行かせてもらいます」


 驚きが先に出る。

 知っている名が一つ増えるだけで、祭が急に近づいた気がした。


「うん。行ってみるといい。では気をつけて帰るんだよ」


「はい。お邪魔しました」


 アルスは廊下へ出て、扉をそっと閉めた。

 背後ではまだ、ペンの音が続いている。

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