第8話
廊下は午後の光で静かに満ちていた。
授業が終わったばかりのざわつきが遠ざかり、
学院の奥まった通路には、ほとんど人影がない。
「こっちだよ、アルス」
リュマの声は落ち着いていた。
その背中を追いながら、アルスは胸の奥が少しだけざわつくのを感じていた。
通されたのは、
普段使われていない小さな実験室だった。
窓から差し込む光が、
一枚の大きな木の板の影を床に落としている。
机にはコップの水と、小さな金属片が並べられていた。
「今日はね、アルス。
“再構築の魔法”が、どこまで使えるのか……それを見てみようと思ってね」
リュマは木の板を軽く叩いた。
シン、と硬い音が響く。
「まずは、これをやってごらん」
アルスは黙ってうなずき、
そっと手のひらを木の板へ近づけた。
触れた瞬間、木の奥のマナの線が静かにほどけていく。
枝のように広がる線が光の粒へ変わり、
アルスの指先へ吸い寄せられていく。
(……おちついて……)
胸の奥に、自然と手順が浮かんだ。
分析。
記録。
分解。
圧縮。
(手の中に“結晶”が生み出される)
「――待った。アルス、それをみせておくれ」
構築に移ろうとした瞬間、リュマが静かに制した。
アルスの手の中にぽたりと落ちた、
わずか五センチほどの透明な結晶。
それを渡すと、リュマはごく自然にうなずいた。
「うん。やはりね。
大きさには、関係ないみたいだ」
驚きではない。
長年の研究者が記録を更新したときの、
静かな確信の声だった。
リュマは結晶を指先で転がしながらつぶやく。
「やっぱり。これはつかえるねぇ……」
掌に乗る小さな結晶を見ながら、
どこまで軽くできるのか、どこまで運べるのか――
そんな可能性を静かに思案しているようだった。
「じゃあ、次は……戻してごらん」
アルスはうなずき、
指先に意識を集中させた。
結晶に宿った線がほどけ、
光が逆流し、
粒子が板の形へと再び整えられていく。
静かに元どおりの木の板が姿を現した。
「よし。問題ないね」
リュマの声は淡々としていたが、
目には確かな満足が宿っていた。
「アルス。ちょっと見ててごらん」
リュマがコップの水を指先でなぞる。
ひたり、と水面が揺れ、
ふわりと宙へ持ち上がった。
水は細い糸のようにほどけ、
くるりと回転しながら集まり、
やがて透明な“小さな水結晶”へ変わった。
リュマは片目を細め、少しだけ得意げに笑う。
「どうだい。あんたの魔法は?」
アルスは目を丸くして見入っていた。
「いつおぼえたの……?」
「さぁねぇ。
あんたの魔法を見てると、昔の勘が戻ってきたのかもね」
リュマは水結晶をコップへ投げ入れ、
指を軽く鳴らした。
ぱちん――
水は静かに元の姿へ戻った。
◆
「それにしても……“再構築の魔法”ってのは、どうにも言いにくいねぇ」
リュマが腕を組んで天井を見上げた。
「せっかくだし、もっと呼びやすい名前にしないかい?」
アルスは胸元のポケットに触れた。
その中には、ユベルの手紙がしまわれている。
そして今日つくった結晶が、
まだ指先にひんやりと残っていた。
「……なら……
なら、“ユベルの魔法”が……いい」
リュマはしばらく黙っていた。
その顔には、懐かしさと寂しさが静かに混じっていた。
「そうかい。
……いい名前だね」
夕陽の光が窓から差し込み、
机の上の結晶をゆっくり照らしていた。
アルスはその光をじっと見つめ、
胸の奥でそっと息を吸った。
「……アルス。大事な話がある」
いつもより静かな声だった。
アルスは椅子に座り、
手を膝の上でそっと重ねた。
リュマはしばらくアルスを見つめ、
そしてゆっくりと口を開く。
「……あんたのことだよ」
その一言に、アルスの胸がきゅっと縮んだ。
リュマは机の引き出しから、
アルスから預かっていたユベルの手紙をそっと取り出した。
封の上を指でなぞりながら、静かに口を開く。
「――もう、薄々気づいてるかもしれないね。
あんたは“普通に生まれた子”じゃない」
アルスの胸の奥がひりつく。
リュマは、少しだけ苦い笑みを浮かべた。
「ユベルの馬鹿がね……
あんた――息子を“再構築”したんだよ」
部屋の空気がゆっくりと沈む。
「その時、ユベルは意識のない息子に埋め込んだ大量の魔石と一緒に
“再構築の術”を施した。
……それが今のお前さんなんだよ」
アルスの心臓がどくん、と跳ねた。
リュマは続ける。
「その影響で――
火、水、風、土、光……
あんたは全部のマナを感じてしまう。」
「そして……
どんな物でも結晶にできてしまう」
リュマの声は穏やかだったが、
その奥に、はっきりと危機への認識があった。
「これはね、誰にでも見せていい力じゃない。
ましてや学院で、だれかれ構わず披露したら――
必ず、悪い形で利用されちまうよ」
アルスは小さく息を飲んだ。
自分の力が危ないものだとは、あまり考えていなかった。
「研究者に捕まれば、
“どうしてそうなったか”調べるために、
あんた自身が道具にされる」
「禁忌の人体錬成の成功例だと見なされれば、
あんたは学院に“処分”される可能性だってある」
リュマはアルスを脅すような声音では言わなかった。
ただ、一つひとつの事実を淡々と並べていく。
「だからアルス。
あんたの能力は――絶対に人前で使っちゃいけない」
アルスは胸の奥がぎゅっと重くなった。
「……つかっちゃ、だめ……?」
「そう。
あんた自身を守るためだよ」
そう言って、リュマは手紙の端に火をつけた。
◆
「じゃあ……ぼく、どうすれば……?」
アルスの問いに、
リュマは静かに息を吐いた。
「“無揺者”は駄目だ」
即答だった。
「無揺者はね、マナを一切感じない人種だ。
でもあんたは……どうしたって反応してしまう。
日常の中で細かい動きを見せたら、
すぐに“不自然”だと気づかれちまう」
アルスはうつむいた。
「それに、魔法がまったく使えない子を弟子にしている……
そんな噂が立ったら、私も怪しまれる」
リュマは苦笑しながら肩をすくめた。
「だから、“魔法は使える子”として扱うほうが自然なんだよ」
「……じゃあ、ぼく……どのめいじ……?」
アルスの問いに、
リュマは迷いなく答えた。
「“土の導士”だ」
「……つち?」
「そう。土が一番、あんたを守る」
リュマはゆっくり説明を続ける。
「土の国の魔法はね、
石や鉱物を扱う。
魔石も魔法も“道具”として考える国柄でね――
多少変わった能力があっても、
“そういう体質なんだ”で片付いちまう」
アルスはぱちぱちと瞬きをした。
「火、水、風、光……
他の属性で、あんたの力は説明できない。
でも“物質に干渉する”という意味なら、
土属性の魔法ってことにすれば自然なんだ」
「……ぼく、つちのめいじ……」
「そう。
あんたを守るには、それが一番いい」
アルスは胸の奥が少しだけ痛くなった。
嘘をつくのは、なんだか苦しい。
でも――リュマを信じていた。
「……わかった」
その声は小さかったが、しっかり届いた。
◆
リュマは立ち上がると、
アルスの頭にそっと手を置いた。
「大丈夫さ。心配ない」
アルスは顔を上げた。
夕陽に照らされたリュマの横顔は、
いつもより少しだけ優しく見えた。
「……うん」
そう答えると、胸の奥がほんの少し軽くなった。




