第7話
「先週までは、“いまの五つの国がどんな場所か”を話した。
今日は、“なぜこうなったか”――つまり、魔石と魔法の歴史だ」
ラウロは黒板の前に立ち、チョークを軽く鳴らした。
「まず、魔石だ」
黒板に、丸い石の図が描かれる。
「大昔、魔石は“呪いの石”と呼ばれていた。
魔石の近くでは、火が勝手に燃えたり、水が突然凍ったり、風もないのに音が響いたり――不可思議な現象が起きたからだ」
教室のあちこちから、小さく紙の擦れる音がする。
アルスも、ゆっくりとペンを走らせようとするが、ラウロの声に意識を引き戻された。
「あるとき、偶然か、あるいは必然かは分からないが――
“魔石が人間に刺さる”という出来事があった」
ざらり、と何人かのペンの動きが止まった。
「その人間は、その瞬間から“世界に満ちる見えない力”を認識しはじめた。
のちに“マナ”と呼ばれるものだ」
ラウロは、黒板に新たな円を描く。
人間の輪郭。その胸のあたりに魔石が埋め込まれた図。
「感情が昂ぶると、その者の周囲でまた不可思議な現象が起きるようになった。
火が強く燃え、水が集まり、風が渦を巻き、石が震える。
これが――魔石文化の始まりだ」
ラウロは周りを見渡した。
アルスと目が合うとにやりと笑いながらアルスに質問した。
「アルス、先日話した五つの国の話を覚えているか?」
「……火、水、風、土、光の国」
「そうだ、よく覚えていたな」
「魔石の周囲には、見えざる境界があった。
外側は、マナが拒絶される“緩衝帯”。
内側は、マナが濃く満ちる“情脈帯”と呼ばれる」
黒板の上に、二重の円が描かれていく。
「緩衝帯では、自然は荒れ、気候は過酷になる。
火の国の周囲が極寒で、水の国の周囲が砂漠なのは、そのせいだ」
「逆に、情脈帯の内側では、マナが潤沢に満ちる。
火の国では熱が、風の国では風が、水の国では水、土の国では土、光の国では光――
他の場所とは比べものにならないほど濃く存在する」
ラウロは、チョークの粉を軽く払った。
「人々は、やがて気づいた。
“呪いの石”の近くこそが生き延びるに値する場所だと。
こうして、情脈帯の内側に自然と人が集まり、集落ができ、やがて国が生まれた」
五つの国の輪郭が、黒板に重ねて描かれる。
「それが――今の五つの国の原型だ」
アルスは、紙の上にゆっくりと線を引いた。
イグラシア。サラディア。ファルセリア。ドロスティア。グロリアン。
さっき練習した文字が、今度は世界の形をなぞっていくような気がした。
「魔石を埋め込んだ人間たちは、“晶装士”と呼ばれるようになった。
彼らは埋め込んだ属性のマナだけを扱えた。
火の魔石なら火だけ、水なら水だけ――ただし、それだけで十分に強力だった」
ラウロの声は淡々としているが、その中にわずかな重さが混じる。
「やがて、晶装士たちの子孫の中に――
“魔石を埋め込まずとも、マナを感じ取り、動かせる者”が現れた」
教室の空気が、ほんの少しだけ変わった。
「彼らが、“導士”だ」
ミーナの横顔が、わずかに誇らしげに見えた。
「導士は、晶装士とは違う。
特別な“特異性”は持たないが、マナを繊細に制御できる。
炎の形を変え、風の流れを編み、水を浮かせ、土を組み替える」
黒板の上に、小さな炎と、水滴と、渦巻く線が描かれていく。
「そして――導士は数が少ない。
この二百年ほどで現れ始めた新しい存在だ」
「だが扱える属性は、多くの導士はひとつきりだ。
生涯でふたつ扱えた例は、記録に残る限りでもごくわずかだ」
アルスは、ユベルの姿を思い出した。
山小屋の炉の火を、ふっと撫でるように動かした手。
水を一滴ずつ並べて見せた指先。
石を浮かせて、すぐに落とした、不器用な笑み。
だったらあれはなんだったのだろう。
「魔石文化の時代から、徐々に“魔法文化”へ移り変わっていく。
魔石は力の源であり、導士はその先を見ようとする者たちだった」
ラウロは、そこで一度区切るように息をついた。
「――だが、その過程は、決して平和ではなかった」
ほんの少し、教室が静まり返る。
「“より強い血筋”を生むための魔石を巡る争い。
情脈帯の境界線を巡る争い。
晶装士と導士、その価値を巡る争い」
ラウロは、黒板の端にひとつの言葉を書いた。
――魔石戦争。
「その話は、午後の続きでしよう。」
チャイム代わりの小さな鐘の音が、廊下の方から聞こえてきた。
アルスはペンを置き、胸のあたりをそっと押さえる。
世界の形。
五つの国。
情脈帯と緩衝帯。
晶装士と導士。
ひとつひとつが、まだうまく掴めない。
けれど、何か大きなものの“輪郭”だけが、少しずつ浮かび上がり始めていた。
◆
午後の教室には、午前とは違う影が落ちていた。
窓から差し込む光は少し傾き、机の上に長く伸びる。
生徒たちは、先ほどまでの緩い空気を残しながらも、
講師ラウロが黒板の前に立つと同時に静かになった。
「――では、“魔石戦争”の続きといこう」
ラウロの声は淡々としているのに、
黒板の前で構えるだけで教室の空気が変わる。
「魔石戦争の原因はただ一つ、“魔石そのものの奪い合い”だ」
チョークが黒板に触れ、ひとつの魔石の輪郭が描かれる。
「魔石は国の力であり、富であり……未来だ。
魔石があれば、その属性のマナを扱える者を増やせる。
魔道具を作れる。
そして――導士が生まれる可能性すら高まる」
教室の空気がわずかに揺れた。
それがどれほど国にとって大きな意味を持つのか、
アルスでさえ直感的に分かる。
「ゆえに魔石は、金より重く、武器より価値があった。
だから各国は考えたのだ。
“他国の魔石を奪えばいい”と」
黒板に描かれた五つの国が、
まるで噛み合わない歯車のように並ぶ。
「始まりは小さな盗掘だ。
境界線付近で魔石を盗み、
それに怒った相手が兵を出して報復し……
それが重なり、やがて“五国全体の戦争”へと広がった」
アルスはペンを握ったまま、黒板から目が離せなかった。
◆
ラウロは次に、大きな円を中央へ描いた。
五つの国の中心に置かれたそれは、まさしく“恵み”の象徴だ。
「特に争われたのは、大魔石がもたらす恩恵だ。
火は情熱と熱を、水は慈悲の湧水を、
風は自由の風を、土は信頼の大地を、
光は誠実の光と結界を与えた」
それらは人々の生活そのものを支える力だった。
「五つの国は互いに、隣の国の恵みを欲した。
それが戦争をさらに激しくした」
◆
ラウロは次の文字を書きながら続ける。
「この戦争の中で、各国の魔法文化が形を固めていった」
黒板に、五つの国の特徴が並んでいく。
火の国は、火の扱いが危険であるがゆえに魔石文化が深い。
水の国は、人体が水を多く含むことから導士が多く、階級は導士が上。
風の国は力に頓着せず、魔石すら装飾品のように扱う。
土の国は魔石を道具と見なし、動物に埋め込むことも珍しくない。
光の国は光晶装士を特定の役職にだけ許し、権威を守っていた。
「文化が違えば、価値観も違う。
だから魔石の所有、管理、採掘を巡る争いは、どの国でも“正義”になりえた」
その言葉は、教室の誰かの胸に重く落ちた。
アルスは視線を黒板に向けたまま、
自分が触れてきた世界の小ささに気づくような気がした。
◆
チョークが黒板の中央に、大きく一文字を書く。
――アルベス
「戦争を終わらせるために立ち上がったのは光の国だった」
黒板に書かれたその一言を、
生徒たちは息を呑むように見つめた。
「光の国は罪を異常に嫌う。
戦争であまりに多くの血が流れすぎた。
それに光の晶装士には嘘が通らない。
光の国はその力を使って、五国に交渉の場を作り上げた」
「その結果、五国は“中立都市アルベス”を建国し、
魔石のすべてはアルベスを通じてのみ取引されることになった。
魔石への干渉を互いに禁じる“不可侵条約”も結ばれた」
ラウロはチョークを置いた。
「こうして、魔石戦争は終わった。
五国はようやく“手を伸ばすこと”をやめたのだ」
窓から差し込む光が、黒板の文字を柔らかく照らす。
◆
「難しすぎる……」
リデルが机に突っ伏した。
「魔石の話、こわ……」
ミーナがノートを閉じる。
アルスは、黒板の“魔石”という文字をじっと見つめた。
魔石。魔法。五つの国。大魔石の恵み。
そして――ユベル。
胸の奥に、言葉にならないざわつきが残る。
そのとき、教室の入口から静かな声がした。
「――アルス。少し、こっちへおいで」
リュマが扉の前で待っていた。




