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造物のアルス  作者: おのい えな


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第63話

 アルスの足元で、土が競り上がった。


 地面が波打つように揺れる。

 かかとに、ぐっと押し上げる力がかかった。


「っ……!」


 アルスは条件反射で飛び退く。


 さっきセラに足元をいじられたときの感覚が、一瞬で全身を駆け抜けた。

 遅れれば足首を折られる、あるいはそのまま埋められる。そんな予感と共に。


 アルスが飛び退いた場所で、さっきまで立っていた土が、棘のように細く突き上がる。

 靴の裏のすぐそばを、鋭い土の先端がかすめた。


「おー、勘はいいんだね」


 トールが楽しそうに言った。


 その声が終わる前に、今度は周囲の土がざわりと動いた。


 トールが片手を払う。


 アルスの周りの土が、一斉に盛り上がり、拳大の塊になって宙に浮かび上がった。


 数は十も、二十もある。


「――!」


 飛んできた。


 石ほど重くはない。けれど、当たればただでは済まない速度だった。

 ばらばらに、しかし狙いを外さない軌道で、塊たちが迫る。


 アルスは横へ転がった。


 頬のすぐ脇を、土の塊が掠めていく。

 土が壁に、床に当たって砕ける音が、周囲で次々と弾けた。


「アルスさん!」


 トールの声が飛ぶ。


「避けてばっかじゃ勝てないよ!」


 アルスは息を切らしながら立ち上がる。


 右、左。

 再び土の塊が飛んでくる。


 数も、軌道も、先ほどより増えていた。


 それでも――避けることはできる。

 体が勝手に動く。足元から伝わってくるマナの流れの変化を、今のアルスは前よりずっと敏感に感じ取れるようになっていた。


 だが、それだけだった。


 避けることはできても、自分の番が回ってこない。


「ほらほら!」


 トールが笑う。


「反撃しないと!」


 言葉どおり、容赦はしなかった。


 土の塊だけではない。

 足元を狙う短い杭。

 頭上から落ちてくる砂の雨。

 視界を遮るように立ち上がる土の壁。


 どれも致命傷ではないように、ぎりぎりのところで抑えられている。

 だが、一つでも読み違えれば、足を取られ、転び、その瞬間にまとめて叩き込まれるだろう。


 アルスは息を荒くしながら、ひたすらに避けた。


 土が背中を掠めるたび、細かな痛みが走る。

 服のあちこちに土が張り付き、膝には擦り傷が増えていく。


(……まずい)


 このままでは、本当に一発も当てられない。


 焦りが胸を締め付ける。


 そのとき、ふっと攻撃が緩んだ。


 トールの腕が一瞬止まり、土の動きが収まる。


 息継ぎのような、ほんの短い空白。


(今だ)


 アルスは地面に手をついた。


 掌の下の土に、マナを流し込む。

 地面がわずかにたわみ、細長い棒となってトールの足元へ走り出す。


 速度を乗せる。

 セラに撃ったときよりも、意識を集中させる。


 だが――。


「――遅い」


 トールの声が、あっさりと落ちた。


 彼は一歩も動かないまま、指先だけを、アルスの打ち出した方向に向ける。


 土の棒の進路を、別の土が横からえぐった。


 床の中を、鋭い何かが駆け抜ける感覚。

 アルスの魔法が形を保つ暇もなく、途中からばらばらに砕かれて散った。


 驚く暇も与えられない。


 砕けた棒のまわりの土全体が、一気に盛り上がった。


 さっきまで飛んできていた塊とは次元の違う量だった。

 床一面が波打つように隆起し、その頂点から、板のような土が複数枚、扇状に広がって飛び出した。


 逃げ道を狙いすました軌道だった。


 アルスが左に跳びかけたところへ、すでに一枚。

 後ろへ下がろうとした足場も、別の板が抉り取る。


 逃げ場が、視界から消える。


「っ……!」


 土の板が正面から迫った。


 腕で顔をかばった瞬間、体全体が大きく弾き飛ばされる。


 肺の中の空気が、一気に押し出された。

 背中が固い床に叩きつけられ、視界が白く弾ける。


 耳の奥で、鈍い音が鳴り続けていた。


「……っ、は……」


 息が、うまく吸えない。


 体のあちこちが痛む。

 特に左肩と脇腹が焼けるように熱い。


 足音が近づいてくる。


「アルスさん、本当に十四歳?」


 上から覗き込む影が、少しだけ首を傾げた。


「小さい子と戦ってるみたいだったよ」


 悪意はなかった。


 トールは本当に不思議そうに、素直な感想を口にしているだけだった。


 それが、余計に刺さった。


 震えそうになる唇を、アルスは噛んだ。


 セラのほうへ視線を向ける。


 修練場の端で、彼女は腕を組んだまま立っていた。


 わずかに顎を上げて、落ちてくる土煙を見送り、そのあと視線をアルスへと戻す。


「セラさん」


 短く名を呼ぶ。


「一週間だっけ?」


 トールがセラを振り返る。


「無理だと思うよ」


「調子に乗るな、トール」


 セラの声が冷たく跳ねた。


 トールは「はーい」と肩をすくめる。


「じゃ、訓練に戻るね」


 軽い足取りで、再び修練場の中央へ向かっていく。


「バイバイ、アルスさん」


 手をひらひらと振って。


 アルスは起き上がれずに、それを見送るしかなかった。


 足音が遠ざかり、修練場には再び、トールが土を動かす音だけが響き始める。


 その中を、セラの靴音が近づいてきた。


 影が、アルスのすぐそばで止まる。


「これが、今のお前だ」


 見下ろす声は、淡々としていた。


「諦めろ」


 短い言葉が、胸のど真ん中に突き刺さる。


 全身が、重くて、痛くて、動かない。


 自分でも分かる。

 届かない。果てしなく遠い。


 十四歳で、十二歳の子に、こうもめちゃくちゃにされるとは思っていなかった。


 それでも――。


 アルスは、ぐっと歯を食いしばった。


 痛む腕に力を込め、床を押す。


 よろめきながらも、どうにか上半身を起こした。


「まだ、一週間ありますよ」


 息が乱れて、声が上擦る。

 それでも、言葉ははっきり出した。


 口の端を、少しだけ上げた。


 うまく笑えているかどうかは分からない。

 けれど、それでも笑おうとした。


 セラは一瞬だけ目を細めた。


「……精々、がんばれ」


 それだけ言って、背を向ける。


 再び、トールのほうへと歩いていった。


 ◆


 学院の門の前で、リデルが待っていた。


 門柱の影に寄りかかるように立ち、通りを何度も見回している。

 手には、館の資料室でもらったのだろう、数枚の紙が握られていた。


「アルス!」


 やがて、ふらつく足取りで坂を上がってくるアルスの姿が見えた。


 リデルの息が止まる。


 服は土と埃で汚れ、ところどころ擦り切れている。

 頬や腕には、細かな傷がいくつも浮かんでいた。


「どうしたのアルス! 大丈夫!?」


 駆け寄って、思わず腕に手を伸ばす。


 触れた先で、アルスの体がびくりと震えた。


「……大丈夫だよ、リデル」


 アルスは、なんとかそう言った。


「ありがとう」


 声は掠れていた。


 どこまでが本当に大丈夫で、どこからが大丈夫ではないのか、自分でもよく分からない。

 ただ、ここで「駄目だ」と言ってしまうと、何かが折れてしまいそうだった。


「でも……」


 リデルは何か言いかけて、言葉を飲み込む。


 アルスの顔を覗き込む。

 そこに浮かんでいるのは、涙ではなかった。


 悔しさと、痛みと、それでもまだ消えていない何か。


「帰ろう」


 アルスが先に口を開いた。


 それ以上、何も言えなかった。


 リデルは唇を噛んで、頷いた。


 二人は並んで歩き出す。


 行きに通った道を、そのまま戻っていく。


 朝見たときには、すべてが新しくて鮮やかに見えた。


 水路を流れる水。

 土の魔道具で動く揚水装置。

 石と木を組み合わせた学院の塔。


 今は、それらが目に入っても、胸の奥は静かなままだった。


 人々の声。

 土を削る音。

 荷車を押す掛け声。


 それらがみな、少し遠くから聞こえてくる。


 アルスは、ただ前を見て歩いた。


 リデルも、横で黙って歩いた。


 何か言葉を探そうとするたび、喉の奥が固くなる。

 余計なことを言えば、今にも崩れてしまいそうな気がした。


 裂環を見下ろす坂道から、夕方の光がこぼれていた。


 段々に積まれた家々の影が長く伸びる。

 同じ道なのに、行きとは違う世界のように感じられた。


 ◆


 グラナード家の客間は、灯りを落とすとほとんど真っ暗になった。


 窓から差し込む僅かな光が、床に薄い四角を描いている。

 外からは、ときどき風の音と、どこかで鳴る鍋や食器の音が聞こえてきた。


 アルスは寝台の端に座っていた。


 手は膝の上で固く握られている。

 指先には、昼間の土の感触がまだ残っていた。


 目を閉じると、トールの動きが蘇る。


 足元をすくい上げる土。

 左右から飛び込んでくる土の板。

 自分が伸ばした魔法が、途中からあっさりと砕かれていく感覚。


 どれも、鮮明だった。


 全く歯が立たなかった。


 ユベルの魔法を人より上手く使えることで、少しだけ自分が特別だと思っていた。

 山や、アルベスでの訓練も、決して楽ではなかったし、努力もしてきたつもりだ。


 けれど――。


 そんなことは、全然足りていなかったのだと、今日の戦いで思い知らされた。


 むしろ遅れているほうだった。


 自分より小さい子どもに、めちゃくちゃにやられた。

 年齢も、体格も、言い訳にはならない。


 ただただ、悔しかった。


 胸の奥に、熱いものが溜まっていく。


 こみ上げてくるのを止めようとして、肩に力を入れた。


 それでも、瞼の縁から零れた。


 一筋の涙が頬を伝い、顎から落ちて、膝の上に小さな痕を残す。


 アルスはうつむいたまま、しばらく動けなかった。


 こんこん、と戸を叩く音がした。


 慌てて袖で涙を拭う。


「アルス、大丈夫?」


 リデルの声だった。


 扉の向こう側から聞こえる声は、昼間よりも少し静かだった。


「……うん」


 アルスは小さく答える。


 扉がそっと開いた。


 灯りを持ったリデルが入ってくる。

 足元で、何か柔らかいものがこつんと脚に触れた。


 見なくても分かる。

 ウィルだ。


 岩狼が鼻を鳴らし、アルスの足元に座り込む。


 リデルは寝台のそばまで歩いてきて、アルスの隣に腰を下ろした。


「アルス、これ貸してあげる」


 そう言って、両手を差し出す。


 その手のひらの上には、小さなガラス玉がひとつ乗っていた。


 薄い緑色の、透明な玉。

 中心に、細い風の筋が閉じ込められているように見える。


 風の目。


「……ありがとう」


 アルスは、そっとそれを受け取った。


 指先に、ひんやりとした感触が伝わる。


「じゃあ、私は先に下に行ってるね」


 リデルはそれ以上何も言わずに立ち上がった。


 扉へ向かう途中、ウィルの耳元に身をかがめる。


「アルスのこと、お願い」


 囁くように言う。


 ウィルは短く「ふん」と鼻を鳴らした。

 尻尾が、すこしだけ揺れる。


 リデルが出て行き、扉が静かに閉まる。


 部屋には、アルスとウィルだけが残された。


 ウィルは寝台の脚元に前脚を乗せ、ゆっくりと体を寄せてくる。


 温かい体温が、ふくらはぎ越しに伝わった。


 アルスは掌の上のガラス玉を見つめた。


 透き通った玉の中に、小さな空が閉じ込められているみたいだった。


 風の国の空。


 船の上で、ミーナの笑い声を聞いた。

 エルドがからかうように笑う。


 エルネが、真剣な顔で研究を教えてくれた。

 ガルドが風の読み方を見せてくれた。


 ヘンデルの厳しい声。

 ノルンの優しい声。


 そして、帰りを待っていてくれたリュマとリデル。


 山ほどの顔が、玉の中に浮かんでは消えていく。


 みんな、自分の足で立って、前を見て、進んでいた。


 アルスはガラス玉を握りしめた。


(諦めない)


 心の中で、はっきりと言葉にする。


 悔しさも、情けなさも、全部ある。


 それでも、このままうずくまって終わるのは嫌だった。


 一週間。


 たった七日。

 されど七日。


 何もできないままで過ごすのか。

 それとも、少しでも前に進もうと足を動かすのか。


 握り込んだガラス玉の冷たさが、少しずつ温かくなっていく気がした。


 ウィルがそっと頭を預けてくる。


 アルスは、片方の手でその頭を撫でた。


「……がんばるよ」


 誰にともなく呟く。


 その声は、自分に向けた約束のようだった。


 涙は、もう出なかった。

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