表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
造物のアルス  作者: おのい えな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/44

第41話


「おう、お二人さん」


 塔の起点から少し離れたところで、ガルドが待っていた。


 行きと同じ外套に、大きな荷物を背負った船員たちが数人。


「荷物はそこにまとめとけ。ミーナ、その袋はさすがに積みすぎだ」


「え、これでも減らしたんだけど」


「何人分詰めてんだ」


「たぶん、アルベス一班分」


「一班は船じゃねえ」


 ガルドは、呆れたように笑って背負い袋を受け取る。


 アルスは、小さな木箱を胸の前で抱えたまま近づいた。


「よろしくお願いします」


「おう」


 ガルドは、港のほうではなく、島の内側を親指で指した。


「今日は、海じゃなくて山のほうだ。ついてこい」


「……本当に、こっちで合ってるんですよね」


 アルスは、思わず確認してしまう。


「どうだろうな」


 ガルドは、にやっと笑いながら言った。

 ミーナも後ろで同じような顔をしていそうだ。


 馬鹿にされているのが分かって、それ以上は聞けなかった。


 三人と数人の船員は、塔の根元から続く別の坂を上り始めた。


 石畳は次第に土の道に変わり、木々が増えていく。


 風は、いつものように吹いているのに、どこか「一方向」に引っ張られているような感覚があった。


 葉が揺れる音も、枝のきしむ音も、少しずつ同じほうを向いていく。


 やがて、木々の間から、妙な光の反射が見え始める。


 森が途切れた。


 その先に――巨大な円形の窪地が口を開けていた。


 ◆


 島の真ん中が、丸ごと抜け落ちたような場所だった。

 崖のような斜面が、ぐるりと円を描いて中心へ向かって落ち込んでいる。


 底は、真っ白な霧に覆われて見えない。


 霧の中で、何かがゆっくり渦を巻いているようだった。

 風は、四方から穴の中心へ向かって吸い込まれていた。


 髪も服も、下に引っ張られる。


 ミーナが小さく囁く。


「いつみても大きいー」

 

 崖の縁には、風帆を畳んだ小さな船がいくつか並んでいた。


 滑走用のレールが崖の下のほうまで続いていて、その先は霧の中に消えている。


「ほらよ」


 ガルドが、自分の船を顎で示す。

 行きに乗った船と同じ船だ。


 船の側面には、滑空用の翼が畳まれ、甲板には簡単な手すりが取り付けられている。


「今は下り風だ」


 ガルドは、穴の中を見下ろしながら言った。


「ここで風が集まって、底で渦を巻く。そこで向きが変わる」


「向きが……?」


「下り風が上り風になる。そいつに乗って飛ぶ」


 アルスは、霧の向こうを見つめた。


 底のほうで、かすかに淡い光が瞬いている気がした。


 ミーナは、アルスの袖を引っ張る。


「絶対目、開けててよ」


「……できるだけ、頑張る」


「叫んでもいいから」


「叫ぶ前提なんだ」


「うん。普通は叫ぶ」


 ガルドが、塔のほうを見上げた。

 遠くの塔の上で、光が一度強く瞬く。


 少し間をおいて、低い鐘の音が響いた。

 風の流れが、一瞬だけ静まる。


 次の瞬間――穴の底から、強い「押し上げ」が這い上がってきた。


「合図だ」


 ガルドは短く言った。


「乗り込め。しっかり掴まっとけよ」


 ◆


 船は、崖の縁に作られた滑走路に並べられた。

 アルスとミーナは、甲板の手すりをしっかり掴む。

 

 ガルドが舵のところに立ち、風帆を半分だけ広げた。


「行くぞ!」


 掛け声とともに、船が前へ押し出される。


 石の滑走路の上を、車輪がきしむ音を立てて走る。


 足元の地面が、あっという間に消えた。


「――っ!」


 胃が、ふわりと浮く。


 船体ごと、巨大な穴の中へ滑り込んだ。


 霧が視界を白く染める。


 風が一気に吹き上げてきて、身体を支える。


 落ちているのか、持ち上げられているのか、一瞬分からなくなる。


「アルス、目、目!」


 ミーナの声が、すぐ横でかすかに聞こえた。


 アルスは、必死に目を開けた。


 真っ白な霧が、あっという間に後ろへ流れていく。


 胸のあたりを、強い風が突き抜けた。


 ――次の瞬間、白が切れた。


 ◆


 雲の上に出た。

 船は、厚い雲の層を突き抜けて、青い空の中に浮かんでいた。


 下を見下ろせば、雲の切れ目から、島の輪郭が遠くに見える。


 塔。

 森。

 真ん中の大穴。


 それらが、少しずつ小さくなっていく。


 風帆が膨らみ、船体が滑るように進む。


「ふぅー!!」


 ミーナが叫ぶ。


 アルスも、手すりを掴んだまま、ただ風を受けていた。


 そのときだった。


 空気の密度が、すこし変わった。

 

 横合いから、何か大きな「流れ」が近づいてくる。

 冷たいのに温かいような、妙な鳥肌が腕に走った。


 アルスは、反射的に顔を向ける。


 雲と雲のあいだから、細長い影が姿を現した。


 それは、龍の形をしていた。


 鱗の代わりに、風紋のような模様が全身を覆っている。

 身体は半透明で、その向こうに空の青さが透けて見えた。

 長い体が、雲の上を滑るように蛇行する。

 眼にあたる部分だけが、淡い光を帯びていた。


「……」


 アルスは、息をするのも忘れた。


「アルス!」


 ミーナが、袖を掴んだまま叫ぶ。


「見えてる? あれ!」


「うん……」


 声が、勝手に漏れた。


「本当にいるんだ」


 ミーナの目も、見開かれていた。


「わたし……初めてみた……」


 風龍は、船と並ぶようにしてしばらく進んだ。


 尾が雲の中に消えても、頭のほうは青空の中を滑っていく。


 やがて、その長い体の一部が、こちらへ向かって少しだけ向きを変えた。


 淡く光る眼が、ほんの一瞬だけ、船のほうを見たように感じられた。


 その瞬間、アルスの胸のあたりの風が、ふっと軽くなった。


 何かを撫でられたような感覚。


「お」


 舵のところで、ガルドが目を細めた。


「随分とはっきり出てきたな。数年ぶりだ」


「船長、また風龍がどうとか言ってる」


 船員の一人が、半分冗談のように笑う。


 ガルドは、説明しようとはしなかった。


「縁起がいい。今日は、よく滑るぞ」


 風龍は、やがて雲の向こうへ消えていった。


 残されたのは、風の音と、船のきしむ音だけだった。


 ◆


 揺れが少し落ち着くと、船の上にも、いつもの賑やかさが戻ってきた。

 ミーナは、さっきの光景を何度も何度もアルスに説明している。


「ねえ、あの模様見た? 風がぐるぐるしてるみたいなやつ!」


「うん。ちゃんと見えたよ」


「絶対みんなに言うんだ……信じてくれないだろうけど」


「信じてくれると思う」


「そうかなあ」


 アルスは、甲板の縁に寄り、遠ざかっていく島を見下ろした。


 風暦院の屋根も、ヘンデルの工房の煙突も、もう小さな点にしか見えない。


 ポーチの中が、少しだけ重く感じられた。

 アルスは、そっと手を差し入れる。


 指先が触れたのは、小さな結晶。

 風暦院の塔の近くで作った、土の結晶のひとつ。

 

 掌に乗せて、風にかざす。


 霧を抜けるときの風。

 穴に吸い込まれるときの風。

 塔の周りを回っていた風。


 それらを思い出す。


 結晶の内側で、揺れがかすかに応えた気がした。


 ◆


 それから一日、海と風の景色は続いた。


 船首のほうから、ガルドの声が飛んだ。


「そろそろ、アルベスの風に入るぞ!」


 前方の空の端に、薄く陸の影が見え始めていた。


 アルベスの大地。

 あの塔。

 リュマやリデルたちのいる場所。


 アルスは、もう一度だけ振り返る。


 雲の向こうに隠れた島は、もう見えない。

 けれど、あの長い揺れは、まだ胸の奥で静かに続いている気がした。


「……また、行こう」


 自分でも驚くくらい、自然な声だった。


「え?」


 ミーナが首をかしげる。


「風の国。また、行こうね」


「うん!」


 ミーナは、力いっぱい頷いた。


「今度はもっといっぱいお土産持って帰ろう!」


「今でも十分多い気がするけど」


 二人の声を乗せて、船は風を切って進んでいく。


 アルスは、風を切る音を聞きながら、小さく決めた。


 いつかまた、戻ってこよう――と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ