第4話
静かな光が、窓から差し込んでいた。
アルスは毛布の上で目を開ける。
昨夜はほとんど眠れず、ほんの浅い眠りが何度も途切れた。
けれど今は――不思議と、胸の奥が少し軽かった。
コン、コン。
「アルス、起きてる?」
扉の向こうから、リデルの明るい声がした。
「……おきてる」
「よかった! 先生が呼んでるの。ついてきて!」
リデルはにこっと笑い、廊下を先に歩きだした。
アルスは靴を履いて、その後に続いた。
◆
マギア院の廊下は朝でも静かだった。
紙の擦れる音、魔石灯の小さな揺らぎ、
そして研究生たちの早足の気配。
そのすべてが、アルスにはまだ馴染みのない匂いだった。
「緊張してる?」
リデルが横目で覗き込んでくる。
「……ひとが多い」
「そうかな?でもそのうち慣れるよ。たぶん」
「たぶん……?」
「たぶん!」
よく分からない返事にアルスは首を傾げたが、言葉の調子は不思議と安心感があった。
◆
「先生ー、連れてきました!」
「ご苦労さん。入んな、アルス」
部屋に入ると、昨日と同じ暖かさが漂っていた。
部屋の角には丸い生物が眠っていて、机には湯気の立つ茶。
棚には古い本と、整えられた道具類。
けれど奥の作業台だけは、布で覆われたままそっと置かれていた。
「ほら、座りな。茶を淹れてあるよ」
リュマの言葉に、アルスは椅子に座り、両手でカップを包む。
「……あたたかい」
「寒いと頭が回らないからね。さて――聞きたいことがあって呼んだのさ」
リュマは椅子を引き、アルスの正面に座った。
「まず、山を出てどれくらいだい?」
「……三日くらい」
「そうかい。じゃあ、あのばか……ユベルの様子はどうだった?」
アルスは少し考えて、首をほんの少しだけ傾けた。
「……わからない」
「……そうかい」
リュマは短く息を吐いた。
それは寂しさとも安堵ともつかない、複雑な息だった。
「それで、山ではどんな暮らしを?」
「ユベルが……おしえてくれた。いきることと、まほう」
「魔法ね。どんな風に教わった?」
アルスは言葉を探した。
昨日よりも、少しだけ自然に話せている気がした。
「……みて、おぼえて、ほどいて、あつめて……またつくる」
リュマの手が、ほんの一瞬止まった。
「きのうの手紙に書いてあった魔法だね」
「……たぶん?」
リュマは腕を組み、しばし黙り込んだ。
疑っている、というより――慎重に受け止めているような沈黙だった。
「……アルス。今その魔法を見せてくれないかい?」
「……いいけど」
アルスは素直に頷いた。
リュマは机に置かれていたスプーンをアルスの目の前に置いた。
「これを使おう」
「……わかった」
アルスはそっと指先をスプーンに触れた。
その動きはぎこちないのに、不思議と迷いがなかった。
ひとつ深く息を吸い、静かに言葉を落とす。
「……みる」
その瞬間、金属の表面が薄く震え、
スプーンの輪郭をなぞるように淡い光が浮かび上がった。
「おぼえる」
光の縁がふわりとゆらぐ。
「ほどく」
金属が溶けるわけでも、砕けるわけでもなかった。
ただ音もなく“ほどけて”いく。
スプーンはゆっくりと輪郭を失い、
細い光の糸となって空に舞い上がり、
やがて静かな粒子の群れへと姿を変える。
朝の光を受けた雪のように、
その粒子は淡く、儚かった。
「……あつめる」
アルスの指先に呼ばれるように、
散った粒子がゆっくり集まっていく。
空気の中で丸みを帯び、
やがてひとつの結晶へとまとまった。
淡い水色。
四角いようで丸くも見える、不思議な形。
「……これ、けっしょう……」
アルスは両手でそっとその結晶を持ち、
リュマへ差し出した。
リュマの息が、かすかに止まる。
ただの金属から生まれたとは思えないほど、
その結晶は静かに生きているようだった。
「そして……つくる」
結晶に触れた瞬間、淡い光がぱっと弾けた。
水色の結晶は光の粒へほどけ、
まるで逆再生のように金属の線へと編まれ、
輪郭を取り戻していく。
机の上には、元のままのスプーンが静かに横たわっていた。
アルスは小さく息をつき、指先がわずかに震えていた。
「……ユベルに、ならった……まほう」
リュマはしばらく声を失っていた。
スプーンが元の姿を取り戻した瞬間――
部屋の空気が、きゅっと張りつめた。
リュマは、ただ目を見開いたままアルスを見つめていた。
驚愕や動揺では片づけられない、もっと深い何かが揺れていた。
「……あんた。いま、何をしたんだい?」
声は震えていない。けれど、その奥に“本気の探求者”がいた。
「……みて、おぼえて、ほどいて、あつめて……つくった」
アルスは淡々と答える。
5つの工程を、そのまま読み上げるように。
リュマはしばらく黙り、深く息を吸い込んだ。
「……なるほどね。じゃあ、1つずつ聞かせてもらうよ」
彼女の瞳は真剣だった。
まるで目の前にある現象を、1つも取りこぼさず理解しようとする学者そのもの。
「“みる”ってのは……マナを見るってことかい?」
「……うーん。かんじる」
「“おぼえる”は?」
「どんなかたち……どううごく……って、のこる」
「“ほどく”は?」
「ばらばらに、なる」
「“あつめる”は?」
「もどす。でも……ちょっとちがう小さなかたち」
「“つくる”は?」
「……もとのかたちに、あわせる」
その説明はぎこちない。
けれど、一切の嘘がないことが分かる。
リュマはしばらくその五段階を考え込み――
やがて、静かに息を吐いた。
「……アルス。今の魔法はね、普通じゃまずありえないんだよ」
◆
「いいかい、アルス。まずは“魔法の基本”を話すよ」
リュマは机の上の紙を取り、さらさらと円を描いた。
「この世界には“マナ”って呼ばれる力が流れてる。火、水、風、土、光……いろんな種類がある。導士が魔法を使うってのは、このうち“どれか一つ”を動かすことなんだ」
アルスはじっと耳を傾けていた。
「魔石が必要なのも同じ理由さ。晶装士も導士も、扱えるのは基本ひとつだけさ。
火の導士は火。
水の導士は水。
光の導士は光――」
リュマは指を一本立てた。
「一つだけなんだよ。たった一つ。
だから、複数属性を持つ物質――金属みたいに色んなマナが絡み合ったもんは操作できない。
触れようが、揺らそうが、どうにもならないのさ」
アルスはスプーンを見た。
「……ゆれた、よ?」
「普通は揺れないんだよ」
リュマは即答した。
「どれか一属性だけなら、研究が進めば“再構築”もできるようになるさ。でもね……」
彼女はスプーンを指先で押し、コトリと机に落とした。
「このスプーンは、火も水も風も土も、光も――いろんなマナが混ざってできてる。
本来なら“一度でもほどく”なんて不可能なのさ」
「けどね、アルス」
リュマは椅子に深く腰を下ろした。
「あんたはそれをやった。しかも“全部同時に”だ」
「どうじ……?」
「ああ。普通の導士は一つのマナしか掴めない。
どんな天才でも、同時に複数の属性を扱えるやつはいない。
だからこそ魔石を埋め込んで補助するんだよ」
リュマはアルスの瞳――紫に光るその色を見つめた。
「なのにあんたは……“素手”で全部のマナを感じとって、ほどいて、あつめて、つくり直した」
「……むずかしい?」
「難しいなんてもんじゃない。
“できるはずがない”んだよ。理論上も、記録上も」
リュマの声は静かだった。
だがその静けさには、底知れない衝撃が滲んでいた。
「アルス。あんたの魔法は……ユベルが遺した研究じゃ片付かない。
これは、あり得ないんだよ」
◆
リュマはしばらくスプーンを見つめたまま黙っていた。
やがて、深く、重く息を吐く。
「……ユベル、本当に厄介なものを残していったね」
そしてアルスのほうへ向き直る。
「アルス。今日からあたしが、あんたを教えるよ」
その声は、覚悟と責任を帯びていた。




