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造物のアルス  作者: おのい えな


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第34話

 丘の上には、低い石の縁で囲われた小さな広場があった。


 布は張られていない。

 代わりに、風がそのまま、身体のすべての面を撫でていく。


 下を見下ろせば、風暦院の塔と、その周りの建物が小さく並んでいた。

 遠くには、港と、白い風帆を畳んだ船影。


 アルスは、縁に腰を下ろした。


 風は、ここでもよく吹いている。


 髪を揺らし、服の裾をくすぐり、耳のすぐ横を抜けていく。


(風の結晶……)


 目を閉じると、風の揺れ方が、少しだけはっきりとした線を持って感じられた。


 塔の上を回る羽根。

 街の隙間を抜ける流れ。

 海から運ばれてくる湿った気配。


 それら全部を、一度に掬い上げて形にすることを想像してみる。


 頭の中で、結晶が一つ、光った。


「……迷ってる様ですね」


 不意に、声がした。


 アルスは目を開けた。


 いつの間にか、すぐ隣に人影があった。


 年の頃は二十代の半ばくらいだろうか。

 淡い色の長い髪を後ろでまとめ、目元には薄い布が巻かれている。


 手すりにそっと触れながら、風の吹いてくるほうへ顔を向けていた。


「えっと……」


「ごめんなさい。驚かせましたか?」


 女性は、こちらに向き直る。

 目は布で隠されているのに、不思議と視線が合ったように感じた。


「さっきから、ここだけ風の流れ方が落ち着かなくて」


 彼女は、指先で空中をなぞった。


「あなたの周りをくるくる回ったり、止まりかけたり、急に高く跳ねたり」

「……」


「あなたは風に好かれるようですね」


 アルスは、自分の周りを流れる風に意識を向けてみる。


 たしかに、さっきから頬を撫でる強さが、ずっと一定ではない気がした。


「不思議な人」


 女性は、くすりと笑う。


「こんなに近くにあるのに、遠くまで会いにいきたがっている」


「……僕の事?」


「ええ。あなたの事」


 布の奥の目を細めるみたいに、彼女は顔を傾けた。


 ふわり、と前髪が持ち上がる。


「よければ、少し聞かせてもらえますか?」


 アルスは迷った。


 名前も知らない、初めて会う人。


 けれど、この丘の風が、先ほどよりも柔らかく吹いている気がして。


 自分でも気づかないうちに、口が動いていた。


「……少し、変な相談かもしれません」


「この国は変な話ばかりですよ」


 女性は、冗談めかして言う。


「大丈夫。案外話してしまえば、少しは楽になります」


 アルスは、海のほうを見下ろした。


 言葉を探しながら、ゆっくりと話し始める。


「友達から、ちょっと変わった魔法を教わりました」


「お友達、ですか」


「はい。その魔法は……なんて言えばいいんだろう」


 アルスは少し考えてから、言葉を選んだ。


「たとえば、出来事とか力とかを、“小さな箱にしまっておける”みたいな魔法です」


「箱に」


「はい。あとで開ければ、しまったときの様子が、そのまま取り出せるような」


 女性の声に、わずかな興味が混じる。


「それを使って、ここの人たちと一緒に仕組みを作りました。

 箱の中にしまったものを、外からでもちゃんと覗けるようにする……そんな仕組みです」


「ここの人?」


「風を調べている人たちです。塔の人や、魔道具を作る人たち」


 自分でも、だいぶぼかして話している自覚はあった。


 けれど、女性はそれを咎めることなく、ただ静かに耳を傾けている。


「それで、もっといろいろ試したくなってきて」


 今、その“箱”を開いて確かめる道は、少しずつ増えている。


 自分以外の手でも、箱の中身を確かめられるようになってきた。


「“風のことも、その箱にしまえたらいいのに”って言われて」


「風のこと」


「はい。風の流れや揺れを、その箱に入れておけたらって」


 アルスは、自分の胸のあたりを握った。


「でも、僕には……ちょっと事情があって、出来なくて」


「事情」


「はい」


 少し間を置いてから、続ける。


「もしそれをやってしまったら、僕が、“誰かのもの”になっていくような気がして」


 山小屋での夜が頭をよぎる。


 眠れないときに眺めていた、実験器具。

 隣で何かを書き付けているユベルの手元。

 震えていた自分の指。


「今はまだ、信じられる人たちと一緒に使っているだけですけど……」


 視線を落とす。


「箱のことも、仕組みのことも、気づいたら僕の知らないところで勝手に使われたりしたら、って思うと……どうしても迷ってしまって」


 風が、一瞬だけ止まりかけた。


 女性は、その変化を確かめるように、少し顔を上げた。


「……嫌ですか?」


「嫌、というか……」


 アルスは言葉を探した。


「怖いです。

 でも、誰かの役に立つなら、やってみたい気持ちもあって」


 その二つが、どうにも一つにまとまらない。


 女性はしばらく黙って風に耳を澄ましていた。

 やがて、小さく息をついた。


「心のゆくままに、ですね」


「……心の、ゆくまま?」


「ええ」


 女性は、空に向けて手を伸ばした。


「やってみると意外に上手くいくときもありますよ」


「意外に……」


「あなたの魔法も、きっと同じです」


 布越しの目が、まっすぐこちらを向く。


「“誰のために”より先に、“自分がどんな風景を見てみたいか”を考えてみてください」


「風景……」


「あなたは、その箱を使って、何を見たいですか?」


 アルスは、質問を頭の中でなぞる。


 風を調べている人たちは、きっと風のことを、もっと正確に知りたがっているだろう。


(……それだけ、じゃない)


 山の上の小屋。

 情脈帯を眺めるユベルの横顔。

 リュマが見せてくれた水の揺れ。


 それと同じように。


 この国の風の「姿」を、ちゃんと見てみたい。


 そんな気持ちが、胸の奥で静かに動いた。


「……知りたいです」


 自分でも驚くくらい、素直な声が出た。


「この国の風が、どんなふうに流れてるのか。

 今まで僕が知らなかった風も、全部」


 女性の唇が、ゆっくりと笑みの形をつくる。


「それなら、答えはもう、出ていますね」


「え?」


「知りたいなら、行くべきです」


 彼女は、手を引っ込めて、膝の上で指を組んだ。


「怖いほうと、見てみたいほう。

 両方あるときは、だいたい“怖いほう”に、本当に行きたいほうが隠れていることが多いんです」


「……そういうものですか?」


「そういうものです」


 女性は、淡々と断言した。


「もちろん、無理に誰かに渡す必要はありません。

 嫌なら断ればいいし、大事なところは、自分で抱えておけばいい」


 風が、足元をくすぐるように吹き抜けていく。


「ただ、“怖いから何もしない”より、“怖いけれど見てみたいから一歩だけ行ってみる”ほうが、きっと上手くいきます」


 アルスは、自分の周りの空気をもう一度感じてみた。


 さっきよりも、少しだけ楽に息ができる気がする。


「……心のゆくままに、か」


 呟くと、女性は満足そうに頷いた。


「はい。あなたはきっと、風に好かれていますから」


 そのときだった。


「フェアリス!」


 丘の下のほうから、よく通る声が響いた。


 振り向くと、短めの外套を羽織った若い女性が、石段を駆け上がってくるところだった。


 鋭い目つきに見えるが、口元はどこか楽しそうだ。


「また一人で抜け出して……!」


「あら、ユーリカ」


 隣の女性――フェアリスが、肩をすくめる。


「少し、風を見ていただけですよ」


「見ていただけ、じゃありません」


 ユーリカと呼ばれた女性は、フェアリスのそばまで来ると、その腕をそっと取った。


「心配する人間の身にもなれ」


「はいはい。ごめんなさい」


 口ではそう言いながら、フェアリスはどこか楽しそうだった。


 ユーリカは、その存在に気づいたように、アルスのほうを向く。


 目が合った瞬間、さっきまでとは違う種類の風が頬を撫でた気がした。


「そちらの少年」


「あ、はい」


「うちの子が、お世話になりました」


「あ、いえ……」


 アルスは慌てて立ち上がる。


「僕のほうこそ、話を聞いてもらって」


「そう」


 ユーリカは、アルスを一度だけじっと見てから、ふっと表情を緩めた。


「いい風、連れてるね」


 それだけ言って、フェアリスの肩を軽く叩く。


「さ、戻るよ。皆、あんたを探してる」


「分かりました。……では、またどこかで」


 フェアリスは、アルスのほうへ顔を向け、軽く頭を下げた。


「あなたの風が、良い場所へ辿り着きますように」


「……はい」


 アルスも、慌てて頭を下げる。


 二人は並んで石段を降りていった。


 ユーリカが何かを言うたびに、フェアリスが小さく笑い、それに合わせるように、丘の上の風も柔らかく揺れた。


 姿が見えなくなるまで見送ってから、アルスはもう一度、丘から街を見下ろした。


 塔。

 工房。

 港。

 風鈴の音が、風に運ばれて小さく届いてくる。


 ポケットの中で、自分の指先がじんわりと温かくなっていく。


 心のゆくままに。

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