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造物のアルス  作者: おのい えな


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第33話

 翌日も、風はよく吹いていた。


 アルスは、午前中いつもの習慣でエルネの研究室の前まで足を運んだ。


 扉の隙間から、紙の擦れる音と、機材のかすかな唸りが聞こえる。


「お父さん、昼ごはん……置いとくねー!」


 ミーナの声が、廊下の奥から響いた。


「そこに置いといてくれたまえ! あとで必ず――うん、必ず……!」


 中から返ってきた声は、やたらと元気そうで、しかし手が離せないのがありありと分かった。


 ミーナは扉の前に弁当箱をそっと置き、アルスと目が合う。


「今日は多分、ずっとああだよ」


「……だね」


「昨日から、ずーっとあの魔道具と遊んでるから」


 呆れ半分、誇らしさ半分といった顔で、ミーナは肩をすくめた。


「アルスは、これから工房?」


「うん。そのつもり」


「じゃ、またね。お父さん引きずり出せたら、顔くらい見せに行く」


「分かった」


 軽く手を振り合い、アルスは塔の外へ出た。


 ◆


 坂を下り、工房の並ぶ一角へ向かう。


 ヘンデルの工房の扉を開けた瞬間、いつもの油と金属の匂いに混じって、焦げた魔石の香りが強く鼻をついた。


「おお、坊主か」


 作業台の前では、ヘンデルが小さな金属の塊と格闘していた。


 昨日届けた魔道具を、そのまま縮めたような部品が、いくつも並んでいる。


「それ、もしかして……」


「小型版じゃ」


 ヘンデルは、ニヤリと笑った。


「院の連中に貸し出すなら、あんな図体じゃ邪魔でしかないからな。

 できるだけ軽く、頑丈で、馬鹿でも壊せんようにしとかんと」


 奥のほうから、どん、と何かを落としたような音がした。


「ノルンは?」


「部屋にこもっとる」


 ヘンデルは、工具を動かしたまま顎で奥を示した。


「朝からずっと、紙とにらめっこしとったが……さっきからは何か組んどるらしい」


 また、ガタガタと棚が揺れる音が聞こえる。


「転けてなきゃいいがな」


 そう言いながらも、声にはどこか楽しそうな響きが混じっていた。


「手伝うこと、ありますか?」


「今日はええ」


 ヘンデルは、アルスをちらりと見る。


「この小さいのは、わしのわがままみたいなもんじゃ」


「でも――」


「それに」


 ヘンデルは、金属片を指で弾いた。


「お前さん、ここ最近ずっと、朝から晩まで“土”と数字と鉄とで頭使いっぱなしじゃろ。

 たまには、ただ風に吹かれてこい」


 その言葉に、アルスは一瞬、返す言葉を失った。


「……分かりました」


「うむ。風の国におるあいだくらい、風のご機嫌も見といてやれ」


 背中を押された気がして、アルスは工房を後にした。


 扉を閉めると、すぐ向こうでまた、何かが紙の山に突っ込むような音がした。


「ノルン、大丈夫かな」


 思わず苦笑しながら、坂道を歩き出す。


 ◆

 

 工房を出て、いつもの通りに足を踏み入れる。


 午後の風は、塔のほうから吹き下ろしてきていた。


 坂の途中では、小さな子どもたちが、短い箒にまたがって跳ねている。

 地面すれすれをふわりと浮き上がっては、すぐに石畳に足をつき、また数歩助走して飛ぶ。


「高く行きすぎるなよー!」


 家の窓から、誰かの声が飛ぶ。

 子どもたちの腰には、細い紐が結ばれていて、

 いざというときは近くの手すりに風ごと引き寄せられるようになっていた。


 商店街のほうからは、また別の風の気配がする。


 軒先に吊された布の看板が、風を受けてくるくる回る店。

 高く掲げた籠に穀物を入れて、風に当てて乾かしている店。

 帆のような布を広げ、午後の風を受けて屋台ごとゆっくり移動していく商人までいる。


 魚屋の前を通れば、潮の匂いを乗せた重たい風が押し寄せてくるし、

 香草を扱う店の前では、軽くて甘い匂いの風が、鼻先だけを撫でて通り過ぎていった。


(……いろんな風があるな)


 アルスは、自然とそんなことを思う。


 山小屋のまわりを吹いていた、決まった風とはまるで違う。

 ここでは、人が暮らすぶんだけ、風の流れかたも違っていた。


 坂道の途中で、ふっと胸のあたりが重くなる。


 ◆

 

 街を歩くうちに、頭の中に一つの言葉が何度も浮かんでは消えた。


 ――“風の結晶があったらなぁって”。


 昨日、エルネが何気なく漏らした独り言。


 坂を下りきると、港へ向かう通りに出た。


 軒先には、色とりどりの布が今日も吊るされている。

 さっき歩いてきた高台の商店街より、風は少し湿っていて重たい。

 風が吹くたび、布は一斉にふくらんだり、しぼんだり、細かく震えたりする。


 魚を並べる店からは潮と焼けた油の匂い。

 風帆を畳んだ船乗りたちが、笑い声を上げながら酒場へ入っていく。


 通りの真ん中では、小さな子どもたちが、風に乗せた紙片を追いかけて走り回っていた。


(風なら、自分の感覚と数字を照らし合わせられる。

 風の結晶があれば――)


 エルネの声が、その景色の上に薄く重なる。


(……作ろうと思えば、作れる)


 アルスは、歩きながらポケットの中で指先を握りしめた。


 土の結晶を作るときと同じように。

 風の揺れを掴んで、形を解いて、結晶に沈めて。


 やろうとすれば、きっとできる。


 港のほうから吹き上げてくる風が、一段と強くなる。


 乾いた帆布の匂いと、遠くの潮の匂いが混ざって、頬をなでていった。


(でも)


 やった瞬間、自分は、また“測られる側”になるだろう。


 塔で測られる。

 数字にされる。

 どこか別の場所で、誰かがそれを使う。


 それはきっと、悪いことじゃない。


 便利になる。

 役に立つ。


 風の国の人たちにも、ヘンデルにも、エルネにも。


 通りを外れて、細い路地に入る。

 家と家のあいだを縫うような風は、さっきよりも冷たかった。


(……それでも、こわい)


 山小屋の机の上。

 ユベルの手元で光っていた結晶。


 あのとき見たものが、自分の知らないところで勝手に形を変えていくような気がして。


 いつの間にか、路地は石段に変わっていた。


 上へ、上へと続く段差を、考えごとを抱えたまま登っていく。


 気づけば、家並みが途切れ、視界がひらけた。


 街と海を一望できる高台に出ていた。

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