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造物のアルス  作者: おのい えな


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第32話

 扉の向こうから、落ち着いた声が返ってきた。


「どうぞ」


 アルスはノルンと顔を見合わせ、小さく頷き合うと、取っ手を握り直して扉を押し開けた。


 ◆


 研究室の中は、やはり紙と本と機材で埋め尽くされていた。


 壁一面の棚には、分厚い資料束や瓶詰めの試料がぎっしり詰まっている。

 中央の机には、見慣れた観測器やら、円盤状の計測用の器具やらが、相変わらず雑然と並んでいた。


「おお、アルス君」


 椅子から立ち上がったエルネは、二人と、そのあいだにある魔道具を見て目を丸くした。


「それが――例の装置かな?」


「はい。ヘンデルさんと、ノルンと一緒に作ったものです」


 アルスは、いつもより少し誇らしげに答えた。


「失礼します」


 二人は「よいしょ」と声を合わせるようにして、魔道具を机の脇の空いたスペースにそっと下ろした。


「ほう……」


 エルネは近づき、円盤と輪と枝を、まじまじと眺める。


 枝の継ぎ目を指でつつき、輪と輪の角度を覗き込み、結晶を固定する枠の位置を確かめる。


「ヘンデルらしい、いやらしいほどしつこい配線だね」


 楽しそうに目を細めた。


「それと――」


 エルネの視線が、アルスの隣で固まっているノルンに移る。


「君が、ヘンデルの孫君だね?」


「っ……」


 ノルンの肩が、びくりと跳ねる。


「は、はい。ノルンって言います」


 慣れない場所の緊張と、知らない大人に話しかけられた戸惑いが一度に押し寄せてきたのか、声がほんの少し裏返った。


「ノルン。ノルン=ヴァイスです」


 言い終えるまでに、わずかな間があった。


「ノルン君」


 エルネはその名を一度、噛みしめるように繰り返した。


「初めまして。エルネ=アルセリオだ。ヘンデルには、昔からずいぶん無茶な部品の相談をしていてね」


「そんなことないです……」


 ミーナがいたら横から口を挟んでいそうなところだが、今日は研究室にはエルネ一人だけだった。


「設計は、君も手伝ったのかな?」


 問われ、ノルンは一瞬アルスを見る。


 アルスが小さく頷くと、ノルンも、そっと息を吸い込んだ。


「……枝と輪のところは、ぼくが考えました」


「そうか」


 エルネは、輪と枝のあたりを指先でなぞった。


「“さっきの揺れだけ受け止める”ための枝と、“散らすための輪”――だったね?」


 ノルンの目が、驚いたように見開かれる。


「アルス君から聞いてるよ」


 エルネは目元に笑みを浮かべた。


「とてもいい発想だと思う」


「……ありがとう、ございます」


 ノルンは、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。


 ◆


「さて。せっかくだから、ここでも一度、動かして見せてもらってもいいかな?」


「はい」


 アルスはポケットから土の結晶を取り出し、中心の枠にそっとはめ込んだ。


 エルネは周囲の機材を手際よく片付け、代わりに観測器をいくつか引っ張り出してくる。


 目盛り盤と連動する記録器、

 マナの揺れを波形として紙に刻む装置、

 塔から送られてくる風の観測値と同期をとるための小さな盤――。


「ここ、接続しても大丈夫?」


「はい。輪のこの部分なら、余分な負担はかからないと思います」


 ノルンが枝と輪の交点を指さすと、エルネは素直にそこへ線を繋いだ。


「よし。準備完了」


 エルネは、わくわくとした子どものような目で魔道具を見つめる。


「アルス君。お願いします」


「分かりました」


 アルスは一歩下がり、レバーに手を伸ばした。


「――行きます」


 カチ、と音がして、結晶がかすかに光を帯びる。


 輪と枝のあいだを、見えない流れが走った。

 目盛りの針が、小さく震えながら弧を描く。

 記録器の上を、細いペン先が滑り、紙の上に揺らぎの線を描いていく。


 土を敷いた皿の上で、粒が集まり、盛り上がる。


 結晶を作ったときと同じ、小さな山の形。


「……おお」


 エルネの喉から、低い息が漏れた。


「これは……」


 記録器の紙を引き抜き、先ほどの波形と、資料棚から取り出した別の紙とを並べる。


 線の形が、ほとんど重なっていた。


「塔から送られてきた観測値と……結晶の内側から取り出した揺れが……」


 エルネは、何度も、角度を変えてその二つを見比べる。


 瞳の奥が、静かに興奮で光っていた。


「もう一回、いい?」


「はい」


 アルスは、今度は別の土の結晶を枠にはめた。


 同じ動き。

 しかし、波形はさっきとはわずかに違う。


「そう。そうだよね。これは“別の土”だから……」


 エルネは、ぶつぶつと独り言を漏らしながら、波形の差分に印をつけていく。


 ノルンは、その横顔と、紙の上の細かな線を、息を殺して見つめていた。


 何度か実験を繰り返したのち、エルネは大きく息を吐いた。


「……素晴らしい」


 心底からの言葉だった。


「これがあれば、アルス君がいない場所でも、結晶を“開いて確かめる”ことができる」


 魔道具の縁を、そっと叩く。


「君の術は、君の中にしかないと思っていたけれど……」

 

 エルネは、アルスを見た。


「アルス君頼みじゃなく、他の研究者たちも少しずつ試せるようになる」


「追いかけられる……」


 アルスは、自分の指先を見下ろした。


 山小屋の小さな机の上で、ユベルに教わったあの夜を思い出す。


 自分の中だけにあったはずの術が、

 今、目の前で、別の形で世界に触れようとしている。


「ただ――」


 エルネは、机の端に置いてあった小さなノートをめくりながら続けた。


「土の結晶だと、どうしても僕の“感覚”とは、ずれが出るんだ」


「ずれ?」


「うん。僕は風マナしか直接は感じ取れないからね」


 エルネは自分の胸元を、軽く指先で叩いた。


「塔から送られてくる風の揺れなら、数字と体の感覚を一緒に覚えられる。

 でも土の揺れは、こうして数字や波形にしても、“本当にそうなのか”を自分の感覚で確かめられないんだ」


 ノルンが、小さく首を傾げる。


「……だから」


 エルネは少しだけ遠くを見る目をした。


「“風の結晶”があったらなぁって」


「風の、結晶……」


 ノルンが、その言葉を口の中で転がすように繰り返した。


 エルネは、あくまで研究者の独り言のように続ける。


「風なら、僕も、風の国の魔法士たちも、“生”で揺れを知っている。

 その感覚と、結晶から取り出した数字を照らし合わせられれば……」


 どういう世界が開けるのか、想像しているのかもしれない。


「まあ、現状では夢物語だけどね」


 最後だけ、エルネは軽く肩をすくめて笑った。


「その顔だと、魔道具で結晶化までやろうとするのはほぼ不可能なんだろう?」


 アルスは頷く。


 ノルンは、さっきからずっと視線を――机の端の、紙の束に目を向けている。


 そこには、細かな文字と図でぎっしり埋められた資料が数冊、無造作に積まれている。


 一番上の表紙には、やや掠れた文字で題名が記されていた。


『再構築魔法論』


 そのすぐ下には、小さく、導士の名前が記されていた。


「……それ」


 ノルンは、思わず手を伸ばしていた。


「それ、……見てもいいですか」


「ああ、それかい」


 エルネは、ぱらりと数ページめくってみせた。


 魔法陣とも、回路図ともつかない図が、紙一面に描かれている。


 情脈帯の流れを模式化したような線と、そこから伸びる矢印。

 線の一部には、数字や記号が書き込まれている。


「アルス君とリュマ様がまとめた、"ユベルの魔法"の論文さ」


「……"ユベルの魔法"」


 アルスは、その図を覗き込みながら苦笑した。


 見覚えのある考え方が、どこかに隠れている気がした。


「僕も全部は理解しきれていない」


 エルネは正直に言った。


「ただ、もしこれが出来るようになればいいな、って思ってる」


 ノルンは、図から目を離せなかった。


 魔道具の輪。

 結晶。

 さっきまで手の中で転がしていた土の山。


 それらが、紙の上の線と、頭の中で少しずつ重なり合っていく。


「……この資料」


 ノルンは、唇を一度噛んでから、勇気を振り絞るように口を開いた。


「少しのあいだ、借りてもいいですか」


 エルネの目が、少しだけ驚いたように動いた。


 すぐに、それは嬉しそうな光に変わる。


「もちろん」


 ためらいなく頷いた。


「ただし、返してね。

 それと――」


 ノルンの手元の資料に目をやる。


「読んで分からないところがあったら、いつでも質問に来ていい。

 一人で悩むより、誰かと一緒に頭をひねったほうが、案外早く進むこともあるから」


「……はい」


 ノルンは、両手で論文を受け取った。


 紙の重みが、そのまま責任の重さみたいに感じられる。


 けれど、それは決して嫌な重さではなかった。


 ◆


 研究室を後にするとき、魔道具はそのまま机の上に残された。


「しばらくは、これと遊ばせてもらうよ」


 エルネはそう言って、観測器の配線をまたいそいそと組み替え始めていた。


 廊下に出ると、さっきまでノルンが両手で抱えていた重さは、論文の束と入れ替わっていた。


「……緊張した」


 研究棟の角を曲がったところで、ノルンが小さく呟く。


「でも、楽しそうだったよ」


 アルスは笑った。


「エルネさんも、ノルンも」


「そ、そうかな」


 ノルンは、照れくさそうに視線を紙に落とした。


 そのまま何歩か歩いたあと、ふっと足を緩める。


「アルス」


「うん?」


「……今日は、ありがとう」


 ノルンは、抱えた論文を胸の前でぎゅっと抱き直した。


「ここまで、一緒に来てくれて」


「こちらこそ。ノルンが一緒に来てくれなかったら、この魔道具、完成しなかったからね」


 アルスは、自然にそう言えた。


 ノルンの耳が、少しだけ赤くなる。


「……がんばって、読んでみる」


 それだけ言って、ノルンは論文の束を見つめた。


 その横顔には、工房で図面を追っているときと同じ、真剣な光が宿っていた。


 この日を境に、ノルンが工房の奥の部屋にこもる時間は、また少し長くなる。


 けれど、それはもう、外から逃げるためではない。


 新しい何かを掴むために、扉を閉める人間の背中だった。


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